SMに市民権はなかった
SMという言葉が存在することを知ったのは中学時代でした。本のタイトルはおぼろげですが、ある日、本屋で黒い箱に入った銀色の叢書(確か「SM叢書」というような名前だった気がします)の一冊に出会いました。パイプを組み合わせた器具に女性が拘束され ヤクザに嬲られる場面を鮮烈に覚えています。買う勇気を持ち合わせていない私は、その日から本屋に通いつめ、純文学の棚の前へそっと持って行っては立ち読みを続けて、その叢書を全巻読破したのでした。もちろん、夜、布団に潜り込むと記憶を元に妄想を解き放ち自慰に耽ってしまったことは言うまでもありません。
自分の秘められた嗜好をくくるものとしてSMというカテゴリーがあり、市民権はまだ得てはいなかったものの小説まである ――これは私にとって革命的な出来事でした。
恐ろしげな名前の巨匠
高校生になった私は団鬼六氏の世界 に出会います。『やくざ天使』という作品がこの恐ろしげな名前の巨匠を知ったきっかけだったと思います。そして、もちろん『花と蛇』――。
貴婦人静子、気丈な女探偵京子、淑やかな令嬢小夜子に美少女美津子、美しい女たちが次々と捕えられ、淫猥極まりない責めにさらされて羞恥と屈辱に啜り泣く、絢爛たるこの大河小説 は、すでに当時から古典の風格と品格を備えていました。浣腸という女を羞恥の奈落に突き落とすとんでもない責めがあることを知ったのもこの作品からでした。
地元で買うのははばかられたのでわざわざ電車に乗って隣の市に出かけて買い集めてきた『花と蛇』 は高校時代の私のバイブル、世界のダークサイドへといざなう導きの書でした。
私は特に小夜子のファン でしたので、彼女の登場場面を何度読み返したか知れません。今でも「小夜子」という名を眼にすると当時の興奮をまざまざと思いだしてドキドキしてしまいます。
鞭と烙印の衝撃
『花と蛇』と並ぶ高校時代の私のバイブルがポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』 でした。もちろん澁澤龍彦氏の翻訳版です。バタイユの『エロティシズム論』を「エロティシズムとは死にまで至る生の称揚だ」という名訳で始められた澁澤版でなければならないと現在に至るまで頑なに信じています。
怪しげな洋館に連れ込まれた美女が男たちの共有物となり、調教されて性奴として目覚めていく古典的な名作ですが、シチュエーションと規律の完璧さ、容赦のない鞭打ち、そして烙印という過激な世界に受けた衝撃と影響は計り知れません。私のつたない作品の中にもその影響が色濃くにじんでいると思います。
尊敬する千草忠夫氏 が『奴隷学校』という作品に翻案されていますが、いつか夢野版O嬢を書いてみたい――これもまた見果てぬ夢です。
縛られた女は美しい
大学生となり、東京に住むようになった私にとって、神保町が聖地 でした。古本屋を徘徊しては、当時隆盛を極めていたSM雑誌のバックナンバーを物色しては買い集めていました。しかし、それは小説を読むためではありません。現在に至るも私は雑誌に連載されている小説を読むということがとても苦手で、小説は本としてまとめられてからでないと読むことができないのです。
SMファン、SMセレクト、SMキングなどなどといった雑誌を買い漁っていた理由は単純にヴィジュアルなグラビアや挿絵の収集が目的でした。
「縛られた女は美しい」 ――これはSMスナイパー誌の秀逸なコピーですが、篠山紀信氏の激写が全盛の時代に、私にとって最大の宝はSM雑誌のグラビア、とりわけ巻頭の絵物語や挿絵でした。春日章氏の熟れた和風美女、沖渉二氏のモダンな美女、椋陽児氏の美少女――それぞれの名画伯が描く緊縛画はそれ自体を見ているだけでまったく飽きることがなく、私の妄想を解き放ってくれました。
千草忠夫が神だった
そしてこの学生時代に私は千草忠夫氏の世界に出会います。ただこのあたりの記憶がかなりあやふやで、最初に手にとった本が『レイプ環礁』なのか、『女高生嬲る』あるいは『姦淫ハーレム』だったのかが判然としません。ただ、私が千草氏の世界に完璧に溺れることとなったのは『嬲獣』と『美肉の冥府』の二作からでした。
美しい文章、精緻に描かれた調教部屋、下品さに陥ることがない男たち、豊穣な物語とドラマとしての結構のみごとさ――いずれもが千草氏の他から抜きんでた特長ですが、なによりも過酷に責められ、堕ちていく女たちの儚いまでの美しさに 私は魅了されてしまいました。あれだけ多くの女を描きながら誰ひとりとして類型に落ちた女がいない筆力と、決して淀むことも枯渇することもなかった創作意欲――巨匠の巨匠たる所以と言うべきでしょう。
『闇への供物』『嬲獣』『凌辱学習塾』 、この三作がそれぞれのヒロインともども私のベスト3です。
その千草氏が逝去されて、新作をもう二度と読むことができない――、私にとって読むべき官能小説がなくなってしまった――その絶望感と飢餓感 が夢野乱月誕生の契機となったことはデビュー時に書いた通りです。
