ボッチの僕でも、クズのヤリチンになれるってホントですか? 1
第一話 ボッチの僕と修学旅行
突然だが、僕――瀬戸真司はボッチだ。しかも、筋金入りの。
僕という人間は、とにかく影が薄く、人の視界に入りにくいし、記憶に残らない。小さいときから、グループ決めなんかの場面では必ず一人だけ余ったし、遠足のバスに置いていかれるなんてこともよくあった。小学校と中学校の卒業アルバムには、集合写真の端っこに写っている以外、僕の姿はどこにもなかった。別にカメラを避けていたつもりじゃないのに。
仮にこれが、イジメられているとか、キモイから意図的にハブかれているとかなら、原因がわかって対処のしようもあっただろう。けど、そうというわけでもない。
僕の見た目は、決してイケメンではないけど、引くほどブサイクでもない……と思う。清潔さにもほどほど気を使っている。ただ、普通すぎるくらいに普通だ。個性に乏しいと言われればその通りだ。
コミュニケーションという意味では、確かに引っ込み思案な面がある。いわゆる「陽キャ」のように、積極的に人に絡んでいくことができない性格だ。だからと言って、オタク趣味を持つ陰キャのクラスメイトたちの輪に加わろうとしても、上手くいかなかった。
影が薄く、よく忘れられる。だから自分から人と交わらないようになり、さらに孤立する。そういう悪循環が続いた結果、中学を卒業し進学するころには、僕は本当に動かしがたいボッチになっていた。
僕は一生このままなのか。誰とも深く関わることなく、孤独に生涯を終えるのか。今年の春から両親が長期の海外出張に旅立ち、家でも一人になってしまった僕は、最近そういうことを考えるようになっていた。
そこに訪れたのが、五泊六日の修学旅行という、三年間の学園生活でも最大級のイベントだ。一学期の期末テスト終了直後、その修学旅行のグループ決めのため、学年全体でホームルームが開かれた。
教室の生徒たちはみんな夏服を着ていて、テスト直後の解放感と、目の前に迫った修学旅行を楽しみにする浮かれた気持ちが混じり合った雰囲気の中で、僕は先生に話しかけた。
「あの、先生」
「――ん? どうしたお前。え~っと……せ、せ……」
「瀬戸です」
「あ~そうだ、瀬戸か!」
一年のときから僕の担任をやっている先生は、僕の顔と「瀬戸真司」という名前を覚えていない。けどこれは、僕にとっては普通のことだ。
「――で、なんだ瀬戸」
「いや、あの……」
「……あ~、そういうことな。わかった」
僕が申し訳なさそうに言い淀んでいると、先生は納得したように頷き、大きな声でクラスに呼びかけた。
「おい誰か! 瀬戸を班に入れてやれ!」
できればそんな大声で言わないでほしいと思ったけど、そのときにはもう手遅れだ。
ざわめいていたクラスは、一瞬シーンと静まり返った。けど、すぐにみんな、グループのメンバーとの楽しいお喋りに戻った。
「おい、誰もいないのか? 誰か瀬戸を――」
「い、いや、大丈夫です。全然、一人で大丈夫なんで。ホントもういいです先生」
「もういいってなんだ瀬戸。いいわけないだろ。どっかの班に入るのは、決まりなんだからな」
止めておけばよかった。修学旅行のグループ決め。ボッチにとっては最悪のイベントだ。好きな者同士で固まれと言われても、案の定、僕はどこのグループにも入れてもらえなかった。だから先生に相談したんだけど、そんなことをすればこうなるのはわかりきっていた。
「――おい、誰か瀬戸を入れてやれって言ってるんだ。聞こえてないのか!?」
先生は、生徒みんなが自分を無視している状況に腹を立て始めた。
先生の横に立っている僕は、実に居たたまれない気分だった。こうなったら、僕を無理やりどこかのグループに入れるまで、先生は引き下がらないだろう。こんなのつるし上げに等しい。自分がどのグループにも望まれていないと知っているだけに、なおさら申し訳ない。
なんて思っていたら、クラスメイトの一人が手を挙げた。
「あの、先生」
「おっ、金井か。なんだ?」
その女子というのは、学級委員長の金井純花さんだ。ちょっと釣り目気味の涼やかな目元、腰まで届くツヤツヤの長い黒髪、可愛い子が多いと言われているこの学園内でも、別格の美人だと言われている、真面目で成績優秀な委員長が、細い腕を控えめに挙げている。
その瞬間、彼女のほうにクラスメイト全員の注目が集まった。特に男子は、普段から彼女の一挙手一投足に注目しているやつが多い。化粧なんかしていないように見えるのに、そこらのアイドルも霞むような顔の金井さんが、薄桃色の唇を動かして何を言うのかと思ったら――
「瀬戸君さえよかったら、私たちの班はどうですか?」
「――は?」
先生が呆気に取られて聞き返していたが、そうしたくなる気持ちは、周囲のクラスメイトも、僕自身でさえも同じだった。
あの金井純花が、ボッチの瀬戸を同じ班に誘うだって?
たとえ先生の怒りを誤魔化すためだとしても、あり得ない。
「いやいや金井、女子の班に男子を入れられるわけないだろ! 旅館の部屋割りも、この班分け通りにするんだからな」
おまけに先生は、圧倒的な正論を付け加えて、委員長の案を却下した。
金井さんは手を下げた。残念そうというか、僕に同情的な目をしているのは、彼女が決して、からかいの気持ちとかで今の提案をしたのではないということを示している。ほとんどまともに話したこともないボッチの僕なんかのために、なんていい子なんだろう。
(――あれ? でもそう言えば、委員長のグループって……)
そこで僕は、ちょっと引っかかった。今、他のグループは机を寄せ合い話し合っているのに、金井さんだけは一人だ。背筋を伸ばして椅子に座る彼女の周りには、グループメンバーらしい人が誰もいない。
あ、そうか。金井さんの班のメンバーは、今日はみんな欠席してるんだ。――じゃあ、他のメンバーって誰だっけ。えっと、確か、陸上部のアイドルの山尾涼子ちゃんだろ。あの子は今日は試合だから、ここにいないんだ。それと――
「おい、瀬川!」
「――えっ、先生? は、はいっ、なんですか?」
「なんですかじゃない! 飯田たちの班にお前を入れるから、それでいいかって確認してるんだ!」
僕が金井さんに気を取られている間に、話はずいぶん変わっていた。
先生は、飯田くんという男子生徒がリーダーをしているグループの中に、無理やり僕を突っ込むことに決めたらしい。飯田くんとメンバーの男子が、露骨に嫌そうな顔をしている。断れよと、視線と口パクで念を送ってきている男子もいた。先生は、そんな彼らを一度にらみつけて黙らせてから、僕にも威圧的な態度で確認した。
「――いいな、瀬川?」
それは、ほとんど強制に近い問いかけだ。
僕は、先生が「瀬戸」という僕の名前を間違っていることすら指摘できず、飯田くんたちに心の中で謝りながら、「はい」と頷くしかなかった。
*
青い空と海、そして白い砂浜。それらは夏の太陽に燦々と照らされて、キラキラと鮮やかに輝いているように見える。
でも、僕の心には雲がかかり、いまいち晴れやかな気分にはなれなかった。
南国のビーチで、他の生徒たちが、泳いだりビーチバレーをしたり、とにかく思い思いにエンジョイしている中で、制服姿の僕は、一人でポツンと体育座りしている。
班分けから修学旅行の当日までは、あっという間だった。
僕らの学園の目的地は、国内の南の島である。宿泊先は、ビーチに近いホテルというか温泉旅館だ。「修学旅行」だから、もちろん社会見学なんかのプログラムも組まれているけど、五泊六日の間には、かなり自由行動の割合が多い。初日の今日も、バスで旅館に到着するなり、みんなこうやって海に繰り出した。
「仕方ねぇから名前だけ入れてやるけど、向こうじゃソロで行動しろよ、瀬尾! 俺らにくっついてくるんじゃねーぞ!」
飛行機に乗る前、僕は飯田くんたちからそう言われた。彼らは今頃、気の合う男子や女子たちと、仲良く遊んでいる頃だろう。一般観光客も含め、見渡す限り、このビーチ内に一人で過ごしているのは僕だけだ。
(やっぱ、部屋にいたほうがよかったかな……)
このまま砂浜に腰を下ろして、何もせずジリジリと肌を焦がしているくらいなら、冷房の効いた部屋に居残っていたほうがよかったかもしれない。
それにしても、こんなのが僕の青春か、修学旅行っていう、学園生活で一度しかないイベントが、こうやって虚しく過ぎていくのかと思うと、ついため息が出てしまう。
顔を上げると、うちの学校の女子たちが、波打ち際で水をかけ合って遊んでいるのが見えた。同級生の水着姿は新鮮に映るけど、ここから彼女たちまでの距離は、ずいぶんと遠く感じる。
僕だって健全な男子だ。彼女が欲しいっていう人並みの感情だってある。でもそれより、こうやってずっとボッチのまま、孤独に過ごすのが嫌だって気持ちのほうが強い。だけど、どうすればいいんだろう。昔っから、誰かに積極的に話しかけて輪の中に入ろうとしても、どうしてもスルーされる。まるで、僕だけが透明人間でもあるかのように。それによって、もともとコミュ障な性格に、ますます磨きがかけられてしまった。今さらそれをどうにかしようだなんて、ちょっと無理がないか。
「はぁ~……」
僕は再びうつむくと、ひときわ大きなため息を吐いた。そしてそのせいで、頭上からボールの陰が近づいているのに気付かなかった。
「――ぶふっ!? えっ!? な、なんだ――!?」
遠くから飛んできたビーチボールが、うつむいている僕の後頭部にぶつかった。ほとんど空気の軽く柔らかいボールでも、不意打ちで直撃したから、かなりの衝撃だった。
それまでのアンニュイな思考を吹き飛ばされた僕は、後頭部を片手でさすりながら、慌ててキョロキョロと周囲を見回す。そして、すぐ隣の砂浜に転々と転がるカラフルなビーチボールを発見した。
そして、僕がボールに注目したのと同時に、砂浜を歩いてくる足音と、二種類の女の子の声がした。
「あ~、ごめ~ん。痛くなかったぁ?」
「ったくアイリ、どこ飛ばしてんのよ……」
やけに間延びした声と、不機嫌さを感じさせるダウナーな声。脱色した髪と大胆なビキニ。に僕とボールのほうに近寄ってきたのは、見るからにギャルという出で立ちの二人の女子だった。
「く、黒木さん!? 延岡さん!?」
僕は、その二人の顔と名前を知っていた。――というより、僕らの学園で二人を知らない人間は、多分いない。
「あれ……? アンタ誰だっけ? なんか見覚えある気が済んだけど……」
「あははっ、ルリナったらヤバぁ。覚えてないのぉ? 同じクラスの瀬戸くんじゃ~ん。ね~瀬戸っち♡」
「せ、瀬戸っち?」
布面積の少ない過激なデザインのビキニを着て、僕を不審な目で睨んだ白い肌のギャルの名前は、延岡ルリナさんという。一方、担任すら覚えていない僕の名前を記憶していて、「瀬戸っち」というあだ名で呼んだギャルの名前は、黒木アイリさん。黒木さんも、延岡さんに負けず劣らずの大胆な水着を着ている。その水着が、浅く日焼けした彼女の肌とコントラストを作って、やけに煽情的だった。
延岡ルリナと黒木アイリと言えば、校則違反上等の、先生も手を焼く完全無欠のギャルたちである。脱色してパーマをかけた髪といい、ピアスといい、バッチリ決めたメイクといい、派手目のアクセサリーとネイルといい、けっこうな進学校の部類に入るうちの学園に、どうしてこんな子たちがいるのだろうと、常日頃から疑問に思ってしまうほどには。
とにかく、状況からして、僕にぶつかってきたビーチボールは、この二人のものだったのか。僕は初めの混乱から立ち直ると、ボールを手に取りながら立ち上がり、日焼け肌の褐色ギャルである黒木さんに差し出した。
「ありがと~、瀬戸っち♪」
「い、いや、別に。どういたしまして」
僕はどもりながら、黒木さんの、少し汗でテカっている大きな胸の谷間から目を逸らした。すると必然的に、隣の延岡さんに視線が向く。ぎょっとしたことに、延岡さんのおヘソには、銀色のヘソピアスが光っていた。
ギャルめいた刺激的な格好もそうだけど、二人とも、めちゃくちゃスタイルと顔がいい。胸が大きくてお腹が引っ込んでて脚がスラっと長くて、ただでさえ人馴れしていない僕は、ドギマギと声を発した。
「の、延岡さんと黒木さん、ふ、二人も海で遊んでたんですね」
「――は? 当たり前じゃん。てか『ですね』ってなによ。なんで敬語なワケ? アタシら同い年でしょ? キモ」
「うっ……」
「あはははっ、瀬戸っち真っ赤じゃ~ん♡ どーしてそんな緊張してるのぉ?」
延岡さんに畳みかけられたうえ、黒木さんに笑われて、僕は自分の顔が物凄く熱くなるのを感じた。何か気の利いた返しをと考えても、咄嗟にそんな台詞が出てくるわけがない。延岡さんは何を思ったのか、そんな僕をジロジロと見ている。
「ふ~ん、瀬戸ねぇ。そういえば、そんなのもいたっけ。――ね、アンタどーしてこんなトコで一人でいるワケ? みんなあっちこっちで遊んでんじゃん」
「い、いや……」
僕はますます言葉に詰まった。
でも、下手な嘘をつくのもやめておいた。正直な理由を言うのは情けなさすぎるけど、ここで格好つけたところで、何にもならない。
「単純に、僕……友達がいないからさ」
「はぁっ?」
延岡さんは、目を丸くした。そしてしばらく呆気に取られていたかと思うと、さっきまでの不機嫌そうな表情はどこへやら、面白そうにお腹を抱えたり、黒木さんの肩を叩いたりしながら笑い始めた。
「――ぷっ! アハハハハっ! なにそれ、おっかしーんだけど! そんでこんなトコで、制服着て体育座りしてたの? マジでウケるし!」
「る、ルリナ?」
「そ、そんな笑うことじゃないだろ」
「うわっ、ムってした! ボッチのくせに! アはっ、アハハハっ!」
僕がボッチであることが、やけに延岡さんのツボにハマってしまったらしい。いっそ無邪気に、黒木さんすら困惑するほどの勢いで笑う延岡さんの笑顔を見ていると、最初は気を悪くした僕も、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「アハハ……あ~……笑った。ふぅ……お腹痛くなっちゃった」
「そんなにおかしかったかな……」
「うん、こんなに笑ったの久しぶりだわ。あんがとね、瀬戸」
「え、ど、どういたしまして?」
「ぷっ!」
また噴き出しそうになる延岡さんに釣られて、僕の顔も少しだけほころんでしまう。なんであれ、こんなに可愛い子にお礼を言われるというのは、悪い気がしないものだ。その原因が僕のボッチっぷりというのが、少々複雑ではあるものの。
僕ら三人は、それからほんの短い時間だけ話をした。僕の名前を前から覚えていたのは黒木さんだけだったものの、延岡さんのほうも、僕という人間が同じクラスにいるということは記憶してくれていたようだ。
彼女たちはギャル、僕はボッチということで、まったく接点のない人間だと思っていたけど、話してみると、普通に気のいい子たちだ。こうやって、面と向かって人と会話をするのは久しぶりだ。楽しかった。
しかし、偶然訪れたその楽しい時間も、すぐに終わりがきた。
「お~い、アイリちゃ~ん、さっさと戻ってきなよ~」
「ルリナも早くしろって、せっかくの時間がもったいねーよ」
「あっ、ごめんね~」
「あ~はいはい」
離れた場所から延岡さんたちの名前を呼んだのは、学園の生徒ではない、サーファー風の男たちだった。大学生だろうか。いわゆる細マッチョっていう体型で、いかにも遊び慣れしている感じだ。
びっくりしている僕の横顔を見て、延岡さんが言った。
「ああアレ? さっき遊ぼうってナンパされてさ。どーせヤリモクだろうけど、アタシらもヒマだったし」
「ね~♡」
「は? ヤリ……? え? ……え?」
「そんじゃね、瀬戸」
「ばいば~い。またね、瀬戸っち♪」
そんな感じで、二人はあっさり僕から離れ、ナンパ大学生のほうに歩いていった。僕は延岡さんが残した言葉が衝撃で、しばらく固まっていた。
(や、ヤリモクって……そういうことなのか?)
遊んでいるっていう二人の噂は、やっぱり本当だったのか。ていうことは、延岡さんと黒木さんは、このあとあの大学生たちと?
僕の頭の中に、突如として、水着姿の彼女たちが、サーファー男たちと岩陰で楽しそうにセックスする姿がよぎった。
大学生たちは、自分たちのほうに戻ってきた延岡さんと黒木さんの肩や腰に、馴れ馴れしく手を伸ばそうとしている。二人は慣れた感じで大学生をあしらっているけど、今から数時間後には、あの手が二人のおっぱいを掴み、日焼けした腰を彼女らのお尻に打ちつけて、あんあんと淫らに喘がせているというのだろうか。
(そ、そんなの……)
僕は、久しぶりに僕とまともに話してくれた子たちの、そんな姿を妄想して、ゴクリと生唾を飲み干した。
そのときの僕は、自分がやっぱりただのコミュ障のボッチであることと、自分とあの大学生みたいな男たちの間には、大きな壁があるということを痛感していた。
(でも……だったら僕は? 僕は……僕だって……)
しかし同時に、僕の心の奥で「このままでいたくない」という強い思いが芽生えるのもわかった。それは、これまで感じたことのない、身体を突き動かすような衝動だった。