第一章  隣りの熟妻と大学生

 

 

「こちらに置いておきますね」

 学習机に向かって勉強中の我が子に気遣いながら、コーヒーカップとケーキ皿を置く綾子の姿を、桜井徹は横目で見ながら会釈をした。初日のバイトは緊張する。

「あ、すみません、お構いなく」

 見上げると壁にかかった時計は六時を指している。家庭教師のアルバイトは五時から七時まで、合間に綾子がハーフタイムのお茶菓子を持って現われた。

 大学三年生の桜井は、マンションに両親と同居しているので生活に不自由なく暮らしていた。ぶらぶらしているところに母親から左隣りに住む植草家の奥さんが息子の家庭教師を探していると聞き、毎週水曜にうかがうことになった。

「来ていただいて助かりますわ、広樹にしっかり教えてやってくださいね」

 上体をねじってこちらを振り向く綾子の身体の線が、くっきりとしている。ベージュのカットソーに同色のタイトスカートという出で立ちで、足もとはパンストを穿いている。

 綾子は年齢こそ三十八歳と母に聞いていたが、見た目は清純なお嬢さんがそのまま大人になったという雰囲気で、邪気のないたおやかな表情を湛えている。黒い艶やかな髪はよく手入れされ、肩のあたりでしなやかなカールを描いている。申しわけ程度に額にかかる前髪の隙間から、アーモンド形の瞳が笑いかける。

(こうやって見ると、身体の線だって綺麗だし、ボリュームがあって色っぽいな)

 一六〇センチの標準サイズに柔らかななで肩、そして、意外なほどくびれたウエストから肉づきのいい腰へのラインが際立っている。

 タイトスカートの尻の下あたりがきつそうに横皺が走り、深いスリットの縫い合わせが引きつれている。その下にのぞく膝の裏の凹みが、えくぼのようで愛らしい。

 白いふくらはぎがストッキングに包まれてぬらりと光り、盛りあがっているのも艶めかしい。

(今日はよそゆきの格好かな? ストッキングなんか家で穿かないだろ、普通)

 母親に紹介されて初めて綾子に会った時は、青いニットを着た地味な奥さんだとの印象しか持たなかった。うっすらとした化粧も子持ちの主婦らしく控えめで、それ以上のものは感じなかったが、おっとりとした女性らしさにはどことなく惹かれるものがあった。

 今、目の前にいる綾子は、ふんわりとした雰囲気で包みこむ母性を感じさせる。いや、それだけではない。すべてを受け入れてくれる柔らかい笑みの奥には、人妻にしか出せない妖艶さが潜んでいる。

(なんか、前より綺麗だよな……)

 キャンパスで会う女子大生にはない、熟れた果実の魅力とでもいうのか、圧倒的な肉体が目の前を横切る時、徹は得も言われぬ衝動がこみあげてくるのを呑みこんだ。

 振り向きざまの睫毛がゆっくりと閉じては開く。マスカラで心持ち濃くなった睫毛は深い黒目がちな瞳を優雅に縁取り表情に陰影をつけ、綾子の憂いを含んだ笑みを余計にミステリアスにさせる。微笑んで少し首をかしげるたびに髪が肩のあたりで優しく揺れている。

「あの……」

 よく見れば唇も髪も入念に手入れされている。尖らせた唇には決して派手にならないベージュピンクの口紅が丁寧に塗られ肌の色に浸透し、見つめていると深みへ吸いこまれそうな感覚がした。

 その唇が軽く開いて、なかから白い歯がのぞく。

「あの……」

「あ、は、はい」

 綾子のやや低めの艶っぽい声に弾かれたように、短い返事をした。徹はその身体の線に見とれながら、卑しい妄想を描いていたことを感づかれはしまいかと、どぎまぎして声を詰まらせた。

「甘いもの、お好きでしたかしら? ケーキ、お口に合うかどうかと……」

 ねじっていた上体をさらにこちらに向ける。足は壁のほうを向いたまま、まるで搾られたハンカチのようにウエストから腰にかけて斜めにギャザーが寄る。ベージュのカットソーは胸もとがV字に切れこみ、薄い素材のために下着の線がくっきりと映っている。手を壁際の机についたまま身体をよじるので、腕に挟まれた胸が窮屈そうに谷間を作る。

「んふ、お好みがあったらおっしゃってくださいね」

 含み笑いが色っぽく、気のせいか瞳が潤んで見える。

 青いニットの時はざっくりとしていたのでわからなかったが、想像以上の豊かな膨らみが前にせりだしている。若い女性のように上を向いて布を突きあげるというものではないが、大人の女性らしい柔らかな肌に包まれた乳房が、重たそうにぽってりとたわわな実をつけてもがれるのを待っているかのようだ。

(……子供がいるなんて思えないよな)

 徹の返事を待つ間、綾子はハート型の潤んだ唇を前に尖らせて小首をかしげている。だが、小娘がするそれではなく、熟れた人妻の物憂げな妖しい表情を湛えている。

 胸の丸みから首筋、顎への線は呼吸するたびに軽く膨れ、静かに熱を帯びている気がする。

 徹は自分が綾子に魅せられていくことに戸惑っていた。隣りの奥さんとしかとらえていなかったのに、今こうして本人を目の前にすると、想像以上のなにかがこみあげてくる。

 目で身体の隅々までなぞっていることに、綾子は気づかないのだろうか、気づいていても知らんぷりをしているのだろうか……そして、この場にいる植草家のふたりは、家庭教師が母であり人妻である女体にいけない妄想を抱きはじめていることを感じとってはいないだろうか、と不安になった。

 広樹は相変わらず、母親に目もくれず参考書を覗きこんでいる。

「あ、あの、好きです、甘いもの。ケーキとか大丈夫ですから」

 艶やかなベージュピンクの唇が横に開いて微笑んだ。口もとにできるえくぼがどことなくチャーミングだ。

「そうですか? よかった。じゃ、失礼します、ご休憩なさってくださいね」

 お盆を胸に抱えた綾子は軽く会釈すると、静かにドアを閉めて出ていった。

 無邪気な笑顔が残像として残る。ふだんからあんなふうなのか、徹の前でだけ見せるあどけなさなのか、できれば後者と信じたい。自分を男として意識している目だと思いたかった。

 徹は頭のなかに綾子の肢体を浮かべてフォークを口に運んだ。

(柔らかそうな胸、むっちりした尻……あんなに魅力的な奥さんだったなんて……)

 徹はチーズケーキの上のブルーベリーの実をフォークで転がしながら、カットソーのなかに押しこまれている乳房を想像していた。

 その日以来、綾子のことが気になって授業には一向に身が入らない。身体をねじって話しかけた綾子の仕草を思いだしては、服の下に潜むラインを想像する。地味な布に隠された肉感的な肢体を思うと、早く会いたい気持ちでいっぱいになる。

 

 

(次回更新は8月22日です)