音楽・小説・エッセイと異才な表現で知られる大槻ケンヂ。彼が語る幼き日の性の目覚め、「顔面崩壊フェチ」という特異な性癖、青春の罪の数々は無限に広がる妄想の世界の可能性を感じさせる。ソロセックスリスト・大槻ケンヂが放つ理性と狂気の綱渡りを見よ。
オナニ-を始めたのは小学4年生ぐらい。俺は当時から厭らしいことを考えていたんです。でも方法が分からないので、とりあえずポコチンを上下にベタベタって叩いていた。そしたらすごい高揚感があってね。漏らしちゃったと思って、慌ててトイレに行ったんだけど、そうではなかった。「これはなんだ?」とそこから追求の旅が始まったんですね。
こんなことがあるのは、世界で俺一人だと思った。やり方にはいろんな方法があって、まずポコチンの皮をねじりながら伸ばす。これは得も言われぬ快感があったけど、皮が変形してカブトムシの幼虫みたいになってしまった。友達に「そのポコチンはどうした?何かあったのか?」と言われ、これはまずいと思って、他の方法を考えた。そこで擦るという行為に辿りついた。でも片手ではなく、原始人が火を起こすように両手でしてた。後に拝むようなスタイルになってね。俺は拝一刀(おがみいっとう)と呼んでましたけど。いろんな紆余曲折があって、いわゆる「左手にエロ本、右手にポコチン」というスタイルに辿り着いたのは中学生だったね。
あとオナニ-の一つとして、自分でエロテ-プを作っていました。自分一人で「ほれ、どうだ」「あぁっ」とか喘ぎ声をテ-プに録音して、ヘッドフォンで聞いてオナニ-してましたね。「自分の声でよくできるなあ」と皆さんは思うかもしれない。でもそれはあくまできっかけの一つであって、オナニ-の妄想世界にはあまり関係ないんです。
この妄想の世界、つまりどういうシチュエ-ションでどういう風にしているのかは男同士でもなかなか言えない。でもこれを赤裸々に告白したのは三島由紀夫。中学の頃、先生に薦められた「仮面の告白」読んで、「こいつ、変態だ!!」と思ったね。「若き筋肉質の青年の腹をかっさばいて、その内臓をぐちゃぐちゃするところを想像すると私は果てるのである」って書いてあるでしょ。「おまえ、ただそれオナニ-の中身じゃん、よく書くね。でもエライ!!」と思って、それから俺は彼をリスペクトしたね。あと宮本輝。エッセイで非常に文学的に書いて分からないようにしてあるけど、自分が女性になって男にヤラれている場面を想像してコイているみたいなことを書いていたね。このように文学的に婉曲に表現できれば書けるけど、僕はさすがに言えない。でも、例えば藤原紀香のむっちりした胸をロ-プで縛り上げてとか、そういうサディスト傾向なことは言えるんですよ。逆にマゾヒズム傾向のことは恥ずかしくて言えないね。ちょっとだけ言うと、コギャル、しかも頭悪そうなコギャルに命令されるとこれがまた性欲をかきたてる。
オナニ-とセックスを比べるのは別次元の話だからナンセンス。だけどオナニ-の方が深いものが見えてくるような気がしてね。自分の内面への旅じゃないですか。いろんなシチュエ-ションが自分の中に現れてくる、それが面白い。オナニ-は本当に無限だね。