小説家・評論家、そして競馬の予想に一喜一憂する男、高橋源一郎。特異な場所で特異な人物から性を学び、アダルトビデオ監督を務めた経験をもつ彼。そのク-ルな眼鏡に隠された眼球は全ての本質を見抜き、口唇はユ-モアたっぷりに自説を語る。よりハ-ドに喚起され続ける性の果てにあるものとは…。
僕が撮ったのは素人人妻を使った乱れ妻シリ-ズ。撮る前は絶対にやらせだと思っていたら、本当の素人。でも素人が恐い。本当、どうかしている。たった1日で人生観が変わりました。
最初、8人ぐらい面接をしたんですよ。1人目が終わった時、「人間とは何だろう」と考え込みました。「どうしてしようと思ったの?」と聞くと、「なんとなく…」。「バレたらどうするの?」、「バレないと思います」だって。何もかもがすごく淡い。もちろん淫乱というわけではない。郊外にマンションを買って、子供は保育園、夫の浮気もなく夫婦の仲は上手くいっているという生活感漂う全く普通の女性。でもその女性の仲のいい奥さんは昼間、人妻イメクラをしていて、その間子供を預かっている。今日はこの面接に来たから、子供をその奥さんに預けていると…。人間には水の流れを塞き止めるような心の関門があるじゃないですか。でもそういう意識の在り方を聞いていると、その関門がすごく低く感じてね。
実際にAVを撮っていると、最初の5分はカルチャ-ショックを受ける。でも5分で慣れてしまう。ただヤッてるなと。人前でセックスをするというのはとても大きな壁のはずなのに、たった5分でその壁はすごく低くなる。自分がヤるのは、無理じゃないかもしれないけどやっぱり恐い。しかも男の方が敏感だから、素人はまず勃起しない。逆に女性は処女のような全くの素人でもほとんど平気ですね。
このような状況が一方であって、フランス書院文庫みたいなものがある。普通ならAVのようにハ-ドなものがあれば小説のようにソフトなメディアは要らないのかといえばそうじゃない。もしかすると、ソフトに見えるこれは想像力を喚起する点ではすごくハ-ドでイヤらしいものかもしれない。だから、小説を読んでいる方がAVの現場より興奮しますよ。
AVで撮っているのは全てを切り離したセックスだけ。それ自体は物語のない単なる肉体労働とかスポ-ツみたいなもの。現場は音が入らないように空調を切るので、熱いからみんな汗かいて、声を張り上げて、終わってご苦労様。エッチでもなんでもない。監督として撮っているからではなく、単に見学にいってもこの感覚は同じですよ。セックスの行為自体は誰がヤッても変わりはない。違うのはそれまでの過程、物語ですよ。AVは現実の一部だけど、プロセスがない。気分が高揚する部分が削られているからね。
セックスの欲望とは満たされるための過程が欲望であり、満たされてしまったらおしまい。AVはその結果だけが残っているから、イヤらしくないのかも…と最近思ってきた。そうなるとオナニ-の方がエッチかもしれない。想像力を使いますからね。AVは3、4年前まで超淫乱とか革新的なものもあったけど、もう成熟してやりようがないんですよ。他人に見せるセックスパタ-ンはもう限界かもしれませんね。基本的に交尾に変わりはないし。AVによって性欲を喚起する果てが見えた現在、フランス書院文庫みたいなものがこれからは活躍するかもしれないね。