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今月の放言

恥ずかしければいいんです。 喜国雅彦

直筆短冊

フランス書院文庫ヘビ-ユ-ザ-であり、恥ずかしげもなく脚フェチ・マゾであることを公言する喜国雅彦。ミクロな脚世界に広大な宇宙を発見し、想像上の理想のお姉様に辱められることで至福の時を得る彼。果たして脳内射精は肉体的な快楽を越えるのか。

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プロフィール 喜国雅彦

1958年香川県高松市生まれ。マンガ家。多摩美術大学卒。1981年「ふぉ-てぃん(集英社ヤングジャンプ)」にてデビュ-。主な作品に「傷だらけの天使たち」「いつも心に太陽を!」「日本一の男の魂」など。昨年「月光の囁き」が映画化され話題に。

第4章 至福を求めて

この前女王様のビデオを見たんですけど、針を刺されていたり、生のナマコ食わされたりとすごく酷いことをされていた。もちろん僕は全然エッチな気持ちにはならなかったけど。酷いことされているマゾも泣きわめいて、痛いことが気持ちよさそうには見えない。でも最後に女王様が「よく我慢したわね」と言いながら抱きあげて頭を撫でてくれると、そのマゾはすごく幸せそうな顔で泣くんですよ。

世間の人はマゾっていうと、針を刺されたり、蝋燭を垂らされたりするのが気持ちいいと勘違いしてるけど実は違う。もちろん痛いことが好きな人もいるけれど、ビデオに出演していたそのマゾにとって針を刺されることは嫌なんだよね。でも自分を苛めてきた女王様が最後にみせる最高の優しさ、それがマゾにとって最高の喜びだから痛さも我慢できる。その姿を見て僕まで感動したもの。

だから途中が苦しければ苦しいほど、最後の喜びは大きなものとなる。僕はトイレを我慢するのが好きなんだけど(笑)、つまりそれと同じことだと思います。外出の時はさすがにすぐするけど、家ではいつでも行けるじゃないですか。だから僕は平気で2時間ぐらい我慢しますよ。おしっこした時の気持ちよさが全然違うから。要するに快感を少しでも持続させたいんですね。

時々、一流会社の社員が覗きで捕まっているけど、単純に覗いているだけの人もいれば、いつか見つかりたいと思っている人もいるかもしれない。最初は見ていてドキドキ、そして見つかることでドキドキしていたけど、僕がトイレを我慢するようにもう少しギリギリまで逃げたくないという気持ちが起こるのかも。本当は十分逃げることができるんだよ、きっと。でも覗いているドキドキ感から我に返るその瞬間までが、至福の時だと思うんですよ。柔道で絞められると気持ちいいっていうじゃないですか。こっちの世界に戻れるならいいけど、至福を求めすぎると最後は死ぬしかないんです。そのギリギリの至福を求めているんじゃないかな。僕のような脚フェチがギリギリの至福を求めると結局1mmもないパンストに辿りつく。あんな薄い布なのにあるのとないのではものすごく世界が違うでしょ。圧倒的にパンストを穿いている方が美しい。1mmと2mmの差はそれほど大きくないけど、0と1mmの間には宇宙が広がっているからでしょうね(笑)。

恥ずかしければいいんです。 喜国雅彦07
恥ずかしければいいんです。 喜国雅彦08