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今月の放言

とにかく見ていたい 篠原哲雄

直筆短冊

ゆるやかに時間を紡ぎ、美しい映像世界を堪能させる作品を次々と発表してきた映画監督、篠原哲雄。しかし、眼鏡の奥に隠された眼差しが見つめるものは創りあげてきた作品とは裏腹なSM・禁縛の世界。中学生でSMに目覚め、学生時代にロマンポルノに浸った彼がエロの世界を語ってくれた。

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プロフィール 篠原哲雄

1962年2月9日生まれ。93年『草の上の仕事』で劇場映画監督デビュー。96年『月とキャベツ』を発表。国内外で絶大な評価を得、99年文化庁優秀映画作品賞97年モントリオール世界映画祭招待作品に選ばれる。その後『はつ恋』『死者の学園祭』など意欲的に作品を発表している。

第1章 記憶なのか、妄想なのか?

『草の上の仕事』の映画に「幼稚園の頃、先生のふくらはぎを見て勃起したんだ」というセリフがありますが、このセリフはなんか知らないけどチンチンが勃っていたなという記憶を基に書いたんです。今考えてみるとあれは僕の記憶なのか妄想なのか定かじゃないです。

当時の僕はどっちかというとおとなしい子でね。幼稚園児的にいえば苛められっ子。苛められて下を向くと先生の脚が見えて、そこには何か温かいものがあったなという記憶があるんですよね。これはハッキリした女性に対する目覚めではないんですが、初めて女性を意識した瞬間ではありますね。

次に覚えているのが、小学生の頃に放映されていた『好き好き魔女先生』という子ども向けの番組。僕の記憶ではそのヒロイン、菊容子さんがボンデージ的な格好で出てきて、悪者に一度拉致されて乱暴されそうになったところを逃げ、最後に逆転して悪者に鞭を打つんですよ。一度、こらしめられてから最後に鞭を打って勝つ場面がすごい楽しかった。その場面に興奮したのははっきり覚えています。菊容子さんはすごくセクシーで当時の僕のアイドルだったね。僕の友人でマニアックな奴がいて、その『好き好き魔女先生』のビデオを持っているって言うんですよ。早速、鞭を打つシーンを確認しようと思ったら、そんな場面はどこにもないんですよ(笑)。ボンデージ的な格好もしてなかった。乱暴されそうになって逆転する、そんな話ではあったけど。

実際に僕が性に目覚めたのは中学生と遅かった。オナニーという言葉も知らなくて、友人に「オナァーニってなんだよ?」って聞いたら、「おまえ、知らないのか?」って言われました。友人にオナニーのことを聞いて、すぐ試しましたよ。こんなに気持ちいいものかと思いましたね。

それまで性器に対して興味がなかったかというとそうでもなく、けっこう弄っていた。でも弄っていると、母親に「弄るものじゃない。バイキンが入って病気になるわよ」と脅されていたんです。逆にいえば、僕がいつも触っていたからそのように言ったとも考えられますね。

初体験の話とかするじゃないですか。みんな嘘ついているんじゃないの?と思うほど早いんですよね。それに比べて、僕の初体験は恥ずかしながら22歳と遅いんですよ。僕は中学から男子校だったので、彼女がずっといなかった。女の子と話す機会もあまりないし、どうやって口をきいたらいいのかさえ分からない、そんなタイプの男の子だったんです。だから性に対して妄想ばかり膨らんでいく不幸な少年時代を過ごしました。

僕は学生の頃にすごく好きになった女性がいて、他の女性とセックスをしたいとは一切思わなかった。もちろん、僕のことを好きだと言ってくれる女性もいましたが、一途に好きになった女性だけを追いかけていたので目もくれなかったんです。結局、その女性と恋愛的にままならないまま、22歳まで童貞君だったというわけです。

とにかく見ていたい 篠原哲雄01
とにかく見ていたい 篠原哲雄02