スタイリッシュな作風で汗の匂いがしそうなほど生々しい性を表現するマンガ家、山本直樹。彼が紡ぎ出すのは過激かつ静寂な世界。そう、それは男なら誰もが夢想する憧れのエロ世界。フランス書院との関係も深い山本直樹がマンガという表現に求めるものは一体何か?真実の彼がここに暴かれる。
僕としてはマンガより活字の方がスケベですよ。読者として見ると、僕の漫画も相当スケベなんでしょうけど。
マンガだとね、絵柄で気に入った人ならいいけど、絵柄でダメな場合もあるから。その点、活字だったら自分の頭の中で絵柄を作りますからね。
僕のマンガ家のスタートは遅いんです。大学生ぐらいの頃から描き始めて。それまでは特にマンガ家を目指したというわけでもなく普通の学生のようにギターを弾いたり、マンガを読んだり。特に美術系のレッスンを全然受けたわけでもないので、落書きから始めた感じですね。高校の選択科目も音楽だったし。友達と酒を飲んでいた時、僕はマニアだったのでマンガの話ばっかりしていたら、「じゃあ、自分で描けばいいじゃん」と言われて、「そうか自分で描けばいいんだ」と思って描き始めたんです。
学生の頃、少女マンガが面白かったんですよね。あの頃は萩尾望都さん、ひさうちみちおさんとかニューウェーブみたいな感じの変で面白いマンガがいっぱい出てきたので、その波をザバーっとかぶったんですね。
人気が出た理由は僕もよく分からないんですけど、たぶんそれまでの劇画っぽい絵柄じゃなくて、少年マンガや少女マンガみたいな絵でエロだったからじゃないですか。でも僕が最初にそれを始めたわけじゃなく、その前から同人誌の方でそういうことをやる人が増えていた、いわゆるロリコンマンガという感じでね。コミケではそういう流れがすでに始まりかけていた。特にロリコンマンガは1980年辺りにビックバンのように広がっていったんです。
その頃は持ち込みをやっていて、いかにも青年誌に載るようなマンガを描いていたんですけど、エロの世界もありだなと思ってね。ちょっと描いてみたら、その世界は自分の適性に合っていた。そんな経緯で森山塔、塔山森でフランス書院から作品を発表したんです。『あとは寝るだけ』は売れましたね。特にマンガ好きの人だけじゃなく、エロ好きな人なら読めるマンガだったからじゃないかな。
僕が名前を変えているのは官能誌と青年誌に描いているので、作風を変えるつもりだった。だから名前を変えた方が面白いかなという単純な理由です。でも、週刊連載とか始まって仕事の量的に両方続けられなくなったんですよ。