レディースコミックを中心に女性の性の代弁者として多忙な毎日を送る、さかもと未明。飽くなき性の追求者である彼女は、幼き日の自分を皮切りに男女の愛のベクトルの違い、そして現在の経済状況を性的見解から述べるなど幅広く自らの理論を展開してくれた。
私がセックスについて知ったのは中学2年生。生理がきたのも中3と遅かったですし。私は、物を覚えるのが早いほうでしたのでいじめられていたんですね。ほら、勉強ができる子っていじめられるじゃない。それで友達から「知らなさそうな顔してさあ、ホントに知らねえのかよ」とか言われて、半ば苛められながら男と女の営みについて教えてもらったんです。
当時、私が性に対して疎かったというのは家庭環境に原因があると思います。母が潔癖症というか性に対してすごく厳しい考えを持っていたんですね。女性週刊誌をすごく嫌っていましたし、テレビも8時以降はまず見せてもらえませんでした。だから、生理がきた時もお赤飯どころじゃないんですよ。「これでおまえも子供を作ることができる」って医学書を持ってきて、性病の怖さを散々教えられたんです。生理=セックス=性病=悪だって。
このように私は性に対する情報がある意味遮断された状況でした。でも、知らないものは知りたいと探求心がとても旺盛でしたので、様々な本を読んで私なりに情報を集めていました。その時です、フランス書院文庫のトー・クンと出会ったのは。私のSMの原点ですから、今でも大切に本棚にしまっていますよ。
そんな環境の中にいても、高校の時に年上の男性と初体験を済ませたんです。セックスに対して逆に変な固定観念がなかったので、初めての痛みや喜びを素直に受け入れることができましたね。性の探求が始まったのはそれからです。
セックスをせずに二人でいるだけというのもそれはそれで一つの幸せの形なんでしょうけど、私はもっと探求したいという欲求が強いんです。だから、もし付き合っている彼が「もっと他の女とヤリたい」というのは私、実はそんなにイヤじゃない。ただし、どこの誰かはおさえておきたいけど(笑)。以前、付き合っていた彼が浮気した時もその相手の女性と彼以上に仲良くなったりしたもの。それが私なりのヤキモチの焼き方なんですよ。私自身、気持ちよくしてくれれば、肉体的には二番目でもいいっていうか、ただ互いを所有して安心して終わり、というのじゃ何だかつまらない。フツーの「ヤキモチ」が理解できないんですよ。