レディースコミックを中心に女性の性の代弁者として多忙な毎日を送る、さかもと未明。飽くなき性の追求者である彼女は、幼き日の自分を皮切りに男女の愛のベクトルの違い、そして現在の経済状況を性的見解から述べるなど幅広く自らの理論を展開してくれた。
私も何冊かフランス書院文庫を読んだけど、『新妻と少年(由布木皓人著)』は言葉のいいまわしが多彩でとても楽しかったわ。言葉って使い方によってはすごくエロさを引き立たせてくれる道具ですからね。
私も性についてけっこう書いているんですよ。SMについて書いた本ではDominant(支配者)とslave(奴隷)なんてちょっと気取ったいい方をしていますけど、男と女に平等なんてないと思うんです。平等になったときにエロスは失われる。フェミニズムとか言う人がいますけど、私はあんなの大っ嫌い。常にどちらかが支配し、それに隷属するという関係にこそエロさがあるんですもの。
最近の傾向としてM男とか言われているけど、極端言うと男ってみんなM。セックスの時だって男は女をどれだけ気持ちよくさせるかに精魂を込めるけど、女は「さあ、気持ちよくしてちょうだい」って感じ。クンニをやっている男を見ると、すごいなあって思う。だって自分が気持ちいいわけじゃないのにすごく一生懸命に舐めているじゃない。かわいいわ。女が「あん、あん」って喘いで男が燃えるっていう関係、つまり男は一生、女に奉仕する生き物なのよ。
女は、いや少なくとも私は男のために死ねるとは思わないわ。でも、男は違うでしょ。女と子供を守るために死ぬのが美徳みたいなところがあるわよね。男にはそういう本能が遺伝子に組み込まれているんじゃないかしら。男がそうしてくれるんだから、やっぱり男をたててあげる文化は残してあげなくちゃ。男にとって今の世の中は余りにも不合理だと思うのよ。
タイタニックが流行った時、私も当時付き合っていた彼氏と一緒に観たんです。最後の方でレオが海の中にブクブク沈んでいくシーンがあるけど、彼氏はそれを観ながらポロポロ涙を流していたわ。たぶん、愛する女のために死んでいくその姿に自分をリンクさせていたんじゃないかしら。私はというと「あぁ、あそこでポーカーに勝ってなければこんなことにならなかったのになあ」と冷静に思ったもの。
男は万が一死んだ時のことを考えて、妻や子のために保険金を掛けるじゃない。「俺が死んでもこの金で…」ぐらいな気持ちでね。一方、女の根源的な願望は「私を守ってほしい」っていう自分中心のものだと思うのね。そこだけ見ると女ってすごく命根性汚な生き物なんだけど、その生命力、ず太さが男の死んだ後も生きのびて子を産み育てる女の使命につながっていると思うの。この前、スパルタカスっていう古い映画を観たんだけど、最後は女が十字架にかけられている男を見捨てて去っていくのね。それでも許せちゃう崇高な選択に見えるのは、男と共に死ぬことが必ずしも女の仕事の最高位じゃないからだと思う。そうじゃなければ、種の保存はありえないでしょ。だから女の性の欲望は、ある意味自己中心的にプログラムされているのね、きっと。
そのかわり女は子供のためなら、いとも簡単に死ねる。子のために死ぬ女の姿になら、私は涙を流せると思うわ。そんな風に「愛」のベクトルが男と女では向き合わず、少しずつずれているのよ。淋しいけれど、それが二人なんかで完結しない大いなる命の流れをつくっているんだわ。