気づきそうで気づかない、思わず「そう、そう」と相槌を打ちたくなる話題を提供するコラムニスト、泉麻人。彼は隠れた社会の一面を見つけ出し、軽やかにそして少々ノスタルジックな言葉を紡いでいく。そんな彼の歴史に刻まれた性なるものとは何か?
高校生の時、古本屋がけっこう好きだったので、昔の新聞の縮尺版とかをよく探しに行ってたんですよ。SM雑誌も買ったんだけど、それに載っていた「しとどと濡れそぼり」っていう表現が印象が残ってる。「しとど」っていうのは要するにじわーっと大量に濡れていくさま。その文節だけ妙にこびりついています。この単語は官能小説で今でも使われていますよね。でも、それ以外じゃほとんど見ないけど(笑)。
「しとど」が使われていたのは、たしか尼さんが手淫をする場面だったんじゃないかな。今のヌメヌメとかいう言葉より品があるっていうのかなあ、なんかいいですよね。僕が言った「手淫」っていう言葉も辞書的だけど、今は全てが「エッチする」っていう言葉に集約されてしまっている気がするんですよね。
その点、『沙紀子 二十八歳のレオタード』(櫻木充著)は非常に面白かったですね。コスチュームに固執している様もそうですが、臨場感がよくでています。言葉が少ないながらも、選び方が非常に上手い。活字で嗅覚、つまり匂いの表現は臨場感をすごく醸し出すんですよ。この本はそれがすごく多い。日本語って匂いに対する表現が少ないから、比喩を使うしかない。日本人は色に対しては敏感だけど、匂いに関してはすごく言葉が少ない。比喩の場合、個人差があるしね。「○○の香り」っていっても、「それは違うだろ」って突っ込まれそうだし。
この作者は完全にパンストとか下着フェチですよね。フェチものってついついエスカレートしてスカトロの方向にいっちゃうケースがあるけど、これはいかない。偉いなーと思いますよ。一種の流派なんだろうけど(笑)。仮に僕がフランス書院で書くとしたら、『沙紀子 二十八歳のレオタード』に出てくる女性の日常をもっと書き込んでいきたいですね。レオタード以外の普段の洋服の描写とか。
僕自身、足とかパンストに異常に興奮するということはないけど、包まれているものを解いていくその過程が非常に好きですね。最初から脱いでいるものってダメなんですよ。例えば贈答品においても紐をほどいて中から出てくるまでが一番楽しい、つまり前戯部分が長ければ長いほうがいい。でも、彼の小説は前戯ばっかりだったけど(笑)。それでも臨場感があって面白いと思える。