映画といえば、誰もが浮かべるこの顔、水野晴郎。解説者のみならず、監督としてもさらに映画の道を突き進んでいる彼はにこやかに、そして丁寧な口調で性という側面から映画を語ってくれた。お茶の間では絶対に見られない水野晴郎がここにいる。
昭和6年生まれの僕たちのような世代っていうのは、フランス書院文庫のような本が印刷されない時代だったんです。ちらっとでもそういうものがあると、ものすごく興奮したし、興味も持ったものです。そういう意味でいくと、僕なんかは活字より映画から性的な刺激を受けましたね。
当時も今と同じように18歳未満お断りの映画があったわけですよね。みなさん、お笑いになるかもしれませんけど、それを今と同じようにやっぱり隠れて見に行くんですよね。18歳以下っていうのが一目瞭然でも、成人のような顔をして「大人一枚」なんて言ったりして(笑)。向こうも分かっているんだけど、知らん顔してくれてね。そんな映画を見るのが後ろめたくもありながら、ワクワクする気持ちもやはりありましたね。当時、そういう映画は滅多に上映されていなかった。まだまだ少なかったですね。
僕がスクリーンでドキドキして観た映画は…、そうですねー、『埋もれた青春』っていうフランス映画ですね。エレオノラ・ロッシ・ドラゴっていう女優がアンナ役で出演していました。
その映画は少年期の思い出が描かれているわけですけども、突然年上の彼女がブラジャーみたいなものをパッととるんです。おっぱいが丸見えになるわけですよ。ホント、ドキッとしましたね~。「こんなにキレイなものかあ」って純粋に感激してね。今でも目の前にその映像が浮かびますよ。当時はそういうシーンが珍しかったし、だからこそ新鮮に映ったんでしょうね。
あと、マルチーヌ・キャロルっていうフランスの女優さんがいたんですよ。彼女が出演したのは『浮気なカロリーヌ』『ボルジア家の毒薬』などフランスの宮廷劇の映画なんですけれど、話に全然関係なくてもやたらお風呂に入るんですよ(笑)。豪華で大きなお風呂に入って、裸になる。これがうれしくってねー。映画はどうってことないんですけど、そのシーンが観たいから行くんですよ。キレイだったなー、ホントに。
そもそも映画と活字っていうのは、共通する部分はもちろんあるんですけど、本質的な違いがあるって気がしますね。活字の場合、イマジネーションをものすごくかき立てますよね。活字を読むことによって、自分自身の世界を構築することができます。
一方、映像は具体的にその世界を見せてくれます。作家の思想がその中に含まれているわけですね。作家の体験や世界を与えてもらって、自分の中のものと融合されていくんですよ。活字と映画は基本的にそこが大きな違いだと思いますよね。どっちが悪いとかじゃなくて、それぞれに良さがあるって気がしますよね。心の中に自分だけの世界を構築していくのもいいし、他の人によって作られた世界を覗いてみるのも面白いですね。