映画といえば、誰もが浮かべるこの顔、水野晴郎。解説者のみならず、監督としてもさらに映画の道を突き進んでいる彼はにこやかに、そして丁寧な口調で性という側面から映画を語ってくれた。お茶の間では絶対に見られない水野晴郎がここにいる。
自分で言うのもおかしいですけど、若い頃はいい男だったらしいですよ(笑)。正直言って、結構モテました。いろいろちょっかい出されましたよ。
ある年上の女性に誘われていましてね。最初は誘いにのらなかったんですけど、氏神様のお祭りがあった時のことですね。その晩に八幡様の社の奥にある森の中で…、それが初めての体験でしたね。外でしたのは何も僕だけじゃなく、当時はあちらこちらでこういう事がされていたんですよ。
その一例として、こんなことがあったんですよ。これもまた、ある女性からものすごくアプローチされていましてね。僕はそれほど好きじゃなかったのですが、とりあえず一度デートをしたんですよ。彼女はものすごく積極的で、どこに連れて行かれるのかと思ったら、当時“宮城前広場”と呼ばれていた皇居前。
そこは当時、恋人たちのメッカだったんですよ。そこで5mも間隔を置かないで、皆さん芝生に寝転がって本番をヤってるんですよ。ホテルなんかない時代ですからね。そりゃあ、僕もムードは盛り上がってきますよ、相手は積極的だし。自然にそうなっちゃいますよね。昭和30年ごろはみんなこういう風に皇居前でいわゆるアオカンをしていたんですよ。きれいに言えば、愛のデートですかね(笑)。ちょっと10年前までは天皇を崇拝して、終戦の日にはそこで切腹した人だっているわけですからね。まさか、そうなっているとはね(笑)。
そのうちにようやく渋谷の道玄坂辺りにラブホテルができたんですよ。“温泉マーク”ってご存じでしょ。3本の湯気がでているやつ。あれは昔、連れ込み宿、いわゆるラブホテルのマークだったんですよ。僕たちはあれを“さかさクラゲ”って呼んでました。今の若い方は知らないでしょうけど、そんな時代があったんですよ。でも、僕は当時そんなにお金があったわけじゃないですから、滅多に行けなかったんですけどね。
昔の女性は貞淑なイメージがあるかもしれませんが、終戦と共に開放感があったんでしょう。特に若い女性はすごく積極的でしたね。僕たちは映画界にいたというのがあるかもしれませんが、前衛的な女性が多かったですね。だから、女の子から誘われれば、その“さかさクラゲ”に行ったわけですよ(笑)。いい思い出ですね。