日本が誇る天才映像作家、塚本晋也。先鋭的な美意識から創り出される世界には、官能さえ感じる肉体の被虐が常に徘徊している。描かれる苦痛の果てにあるものとは一体何か。塚本晋也の真実の欲望がここにある。
一番最初に時間を遡って考えると「うふふ…」っていう記憶があったんですよ。
性に目覚めた中学の時、友達と二人で渋谷の大盛堂に買いにいったんです。「どれが一番買いやすいのか」ってドキドキしながら、選んでいたんですよ。友達が買ったのはプレイボーイで、僕が買ったのはなぜかSMマガジン。今思えば、「それって一番買いづらいだろ!」って(笑)。
ましてやレジの店員が若い女の人で、別のまじめな本の所在を聞いたりして、コミュニケーションをとっていたんですよ。僕がレジに持ってった時、「さっきはまじめな本を聞いたくせに、買うのはSMマガジンかよ」っていう狼狽が明らかに表われていました。
当時、面白いなと思って読んでいたのはそれに載っていた痴漢の話。
電車で痴漢にあった女の子が性に目覚めて、親戚のおじさんの人形になっていくんですよ。そのおじさんは終始一貫して彼女とセックスしない。前戯は過剰なので女の子は「ヤラれてもいい」って思っているんだけど、おじさんはギリギリのところでやめてしまう。欲望はメラメラなのに、絶対に手を出さない部分にエロティシズムをすごく感じましたね。
設定としては普通なんだけど、一番最初の痴漢の描写がすごく良かった。女の人の一人称で「あっ…と思ったんです。さっきから怪しいとは思っていました…」ってね。何度読んでも飽きなかったからすごく詳細なところまで憶えてますよ。すごく好きな設定でしたね。
その頃はもちろん自覚してないんだけど、どこかで自分のマゾ因子が始まっていた。自分は男だけど男としてその痴漢している様を見て興奮しているのか、痴漢されている女性の立場なのか分からなくなっていたのは確かですね。
こんな原体験があるので、今でも痴漢を題材にした写真の構図とかあると、「これはいいなあ」って思っちゃいます。今は自分の映画の方向性ができちゃったけど、もし人生の方向が別にあって、ピンク映画を撮ることになっていたら、かなり凝った描写をしますね。
本当の電車で、周りに気づかれないように紙袋にカメラを忍ばせて、男優と女優を撮るんですよ。細かい描写は、遠くの方から長いカメラでドキュメンタリーみたいに「あっ、おまえ!邪魔だ!」とか言って四苦八苦しながら(笑)。それで撮ったものを後で繋いで、痴漢のスリルを表現したいですね。けっこう痴漢もののビデオってあるんですけど、作られた演技っぽいのが多い。本当にドキュメンタリーっぽくやったら面白いんだろうなと思いますね。