日本が誇る天才映像作家、塚本晋也。先鋭的な美意識から創り出される世界には、官能さえ感じる肉体の被虐が常に徘徊している。描かれる苦痛の果てにあるものとは一体何か。塚本晋也の真実の欲望がここにある。
東京のような都市で生活していると、どうしても肉体の存在が希薄になりますよね。だから、僕は映画の中で被虐を通して自らの肉体を発見したいという願望があるんです。いつもコンピューターとか電話に囲まれて生活していると、肉体があるっていう喜びを忘れているんじゃないかって思うから。これを映像で表現すると、どうしても過激になってしまうんです。
東京フィスト』っていう映画では女の人もボクシングに参加したいけどできないので、代わりにピアッシングするんですよ。主人公の男と女が殴り合う最後のシーンがあるんだけど、僕としてはこれがセックスのように最高の官能的なシーンのつもりなんですね。いろんな伏線をしいてきて、最後の性の結びつきが殴り合うことによって得られたという気がしました。カタルシスがそこにあるのかなと。都市っていう硬い鉱物に囲まれているからこそ、肉体をボコボコ殴ったり、ピアッシングすることが肉体を感じることに繋がっていると思います。
僕もこの映画の撮影の前にボクシングに通ったんですけど、やっぱりもろに肉体感を発見しましたね。変な話だけど、自転車に乗っているだけでそうですよ。一日乗っているだけでその夜は「頭だけ使って生きているなんてもったいない」なんて何かのコマーシャルになりそうなほど、その愚かしさを感じてしまう。体が疲労して、食べるものがおいしくて、なんか自然に近づいたような感覚。肉体の喜びが一番で、頭が二番って感じがしちゃいますね。つまり、僕はダイナミックな肉体の感覚が欲しいんです。
例えば、肉を買うにしてもコンビニとか肉屋に行かないで、計画的に網を張って、「おまえ、あっちな。おまえはあっちな。もしあっちに行ったら、こうしろよ!」とか言って、木を削り先を尖らせて狩猟のための技術を最大限に活かすんですよ。獲物を待って、追いかけて、バツゥーン!!って仕留めた時の快楽を味わいたい…ですね(笑)。そういう喜びが肉体を支配している野生の動物ってなんか羨ましい…。
このように思うのは都市に住んでいると肉体に対する危機感がないからでしょう。僕は危機感を感じたいんです。そういう生命のダイナミズムが都市にはないから、いつの間にか生命が消える。病院に運ばれて、チューブを付けられて、いつのまにか肉体がきれいに消滅していく。
そうじゃなくて、僕はどっちかというと家族の前で「痛ぇー!痛ぇーっ!」とか叫びながら、生命のダイナミズムを見せて、かつ僕自身も感じながら死ぬほうがいいかな。いつの間にかきれいに無くなるのはちょっとイヤですね。