日本が誇る天才映像作家、塚本晋也。先鋭的な美意識から創り出される世界には、官能さえ感じる肉体の被虐が常に徘徊している。描かれる苦痛の果てにあるものとは一体何か。塚本晋也の真実の欲望がここにある。
ある本で読んだんですけど、肉体に対する興味って、子供の頃は顔で、それから胸、足へと年を重ねるごとに下がっていくらしいんですよ。でも、僕は物心がついたときから、女性の足にものすごくフェティッシュを感じていました。それは今も変わらないです。
今の若い女性はみんな細くしたがるじゃないですか。でも、僕はある程度の太さがあったほうがいい。太いといってもブニョブニョしてなくていいんだけど、肉が詰まった硬そうな感じが好きですね。
ある春の日、自転車で走っていた時にいいものを見たんですよ。学校の門が閉まっていて、その鉄の柵からボールが飛びだしたらしいんですよ。その柵は授業中開かないので、女子高生たちは跨いでいたんですね。学校の柵って自分の身長より全然高いじゃないですか。だから跨ぐときは脚を思いきり伸ばさなければならない。伸びた足の筋肉の具合がすごく良くて、「うぁわー、すっげぇーいいもん見せてもらいました」って思いながら通過しました(笑)。その時はそれほど太くなかったんだけど足はいいね、やっぱり。いろいろ味わい深いものがありますよ。
もっといえば、しゃがんでいる状態の足を見るとグラグラってきますね。折りたたまれてパンパンになった肉の感じがたまらない。もちろん、胸も好きなんだけど、いまさら一生懸命に語る対象ではないですよね。当然いいものだし。そういう意味で『ママと看護婦のお姉さま』、『美母の贈りもの』(共に櫻木充著)などは表紙も内容も共感できますね。
こんな僕の趣味が映画に反映されているかといえばそうじゃない。女優さんはみんな少年みたいな割と中性的なイメージが多い。三池監督と対談したとき「録りたい女優=ヤリたい女優」って言ってましたけど、僕はそうじゃないんですね。自分でいうのも笑っちゃうんだけど、映画に関しては真面目なんでしょう。女優さんは性の対象と捉えていないというか…。
僕の妄想の世界がドロドロしているんで、あまりに肉感的な女優さんを選んじゃうと全体的にベチャベチャしそうなので、あえてシンプルでピュアな女優さんを映画の中に配置するようにしてます。形だけはスッキリと見やすくして、そこにグチャグチャした僕のイメージを重ねないと、お客さんが観る時に耐えられないものになっちゃいそうで。