日本が誇る天才映像作家、塚本晋也。先鋭的な美意識から創り出される世界には、官能さえ感じる肉体の被虐が常に徘徊している。描かれる苦痛の果てにあるものとは一体何か。塚本晋也の真実の欲望がここにある。
僕のエロティシズムはSMマガジンから始まっているせいか、作る映画にしてもそうなんだけどSMの関係に終始していくような気がするんです。
女の人を鞭打って「イヒヒッ」って喜ぶよりは、鞭打たれたほうが気持ちよさそうだなって思うので、僕は基本的にMかなと思っています。だから、映画『鉄男』で鉄に犯されるのもやっぱり男。シーンとしては女の人に鉄のオチンチンが付いていて、男の肛門に入れると、その男は加速度的に、そして官能的に昇天するという夢のシーンがあるんです。やっぱり男がMで、女がSという設定が自分の嗜好にしっくりくるんですよね。
僕の映画で体に何かを施すシーンが多いのは、肉そのものが軟らかい魅力的なものだと思っているから。肉の被虐を表現するには鉄という硬いものに犯されたほうがいいかな、と。女性的な観点のMから立って考えているのかもしれないけど、硬いものに犯されることにある種の官能を感じますね。
『鉄男』を作っていたときは、女性因子が自分の中に多いのかなと思いました。でも、どっちかというとM的な因子が多いくせに、映画として描く時、または役者として登場する時は完全にSとして、田口(トモロヲ)さんをメチャクチャ痛めつけたりする。それをカメラで撮っているのが嬉しいわけですよ。やっぱりSとMは一人の人間の中に混在していますね。
ただし、僕は女の肉体だけが性的な商品価値を持っているのではなく、男も同じように価値を持たせたいんです。例えば、田口(トモロヲ)さんが犯されている場面を撮っていても、男だから映しているだけじゃなく、その犯されている描写も撮っていてうれしい。とはいっても、ホモじゃなく、犯している女性の肌の質感とかにこだわったりして、男も女も渾然一体となってぐちゃぐちゃと性の渦にいるような感じが僕は好きかな。
ホラーとかSFなどのデザインを借りて、その中に滑り込ませるのは堂々とできるんだけど、露骨に表現したものとなると憚れるものがあって作らなかった。でも、ポルノ映画って衣装もいらず、体があればできますよね。相当低予算の割にはホラーと同じように絶対になくならない商品価値があるので、いつかそんな映画を作んなきゃなと思っていたんですけどね。現在フランスで、ちょっと変な言い方ですが、インテリジェンスのあるエロチシズムな映画のムーブメントがあるみたいだし…。
そういえば、僕はある記事を切り取ってファイルしているんです。
それは、「アダルトビデオに食傷している人たちが、文章のエロチシズムに傾倒してきている」っていうものなんですが、たぶん、フランス書院さんのことを記事にしたものですね。なぜかこの記事にすごく興味を持ったんですね。自分は映像の人間だから、どう映像を作るか考えてはいるんだけど、アダルトビデオみたいに見せすぎないで、もっと想像力を膨らませる文章にある種の魅力を感じてはいるんですね。