毒まみれの笑いで特殊な世界を創造する演劇の達人、松尾スズキ。そんな彼が思春期に募らせた恋愛への憧れ、理想に反発するかのような青年期、そしてタブーを期待する男心など人生の舞台裏を語ってくれた。松尾スズキは背反する人間の意思と行動を常に見つめている。
ホラー映画の『キャリー』で女の子が「キャーッ!」って包丁を持ってるシーンがあるんですけど、ワンピースから透けた乳首立ちを見ただけでえらい興奮した思い出がありますね。乳首立ちって貴重なんだなってその時思いました。
乳首の位置が知られているか、いないかって全然違いますよね。だからこそ、女の人はブラジャーをするんでしょ。
え!?違うの?じゃあ、乳首が立っているのが分かっても大丈夫なんすか?絶対、重要なことでしょう。そんなに重要じゃないんだったら、「じゃあ、今、ブラジャーとって乳首立ちを見せてみろよ」って言ったらセクハラになるわけでしょ。ということは、やっぱり乳首立ちは女にとっても重要なんじゃない。
最近、『エロスの果て』っていう芝居をやったので、「エロスとは何か」ってことを考えざるをえなかったんです。で、自分はやっぱり股の筋がいいんですよね。股を開きさえすれば誰でも見えるんだけど、それが一番くるなと。日常ではあまり見えないシルエットだからこそ価値があるんですよ。
でも、これはあまりに見る機会が少ないので、日常でいうと耳が好きですね。髪と髪の間から耳が立っている、ちょうど『若継母二十七歳』(香山洋一著)の表紙みたいな感じ。そういう感じの耳を持つタレントが好きです。
例えば、女優の清水美砂って片跛なんだけど、片方の耳はどうでもよくって大きい方の耳が好きとか。大きさが違うことに価値があるって感じがしますよね。
切手の収集マニアみたいなもんでさ、誤植とかに価値があったりするわけじゃない。そういう誤植みたいな感じがいいなあと思うんですよね。街を歩いていても、乳首とか股の筋はなかなか見れるもんじゃないから、やっぱり耳が立っている女性をよく見ちゃいますね。