毒まみれの笑いで特殊な世界を創造する演劇の達人、松尾スズキ。そんな彼が思春期に募らせた恋愛への憧れ、理想に反発するかのような青年期、そしてタブーを期待する男心など人生の舞台裏を語ってくれた。松尾スズキは背反する人間の意思と行動を常に見つめている。
自分が好きな設定ですか?えーと、大藪晴彦さんの小説で、女が復讐しようとしてあるアジトへ進入したら、逆にヤラれちゃったっていうのがあって、そのシチュエーションにエロを感じたんです。
なんだか知んないけど、情報を引き出すために寝るっていうのがいいんですよね。「情報を得るんだ」って寝るんだけど、ヤってる間に感じちゃって情報を聞けずに終わっちゃう話。最後はぐったりしちゃって。そういう話がいいなー。
これが僕にとって一番イヤらしいんです。ヤルつもりがなかったのに、ヤっちゃった。つまり、ミイラ獲りがミイラになるような話がいいんですよね。
例えば、レイプにしても最終的に女が感じてしまうって幻想だろうけど、男にとってはいい話。この前、実際のソープ嬢に話を聞く機会があって、「何人かに1人は本気で感じてしまう人がいる」って言ってましたよ。いい宝物をもらった気がしましたね。「忘れられないぐらいよかった。もうソープなんて止めちゃおうかなって思ったぐらい」だって。お仕事の中にも、ちゃんとそういう部分が残っているんだなと思うとすごくホッとした気分になりましたね。
僕、AVの仕事をしたことがあるんですけど、単純に面白いなーと思いましたね。それはやっぱ、女優さんが演技じゃなく本気で感じ始めたとき。こっちも演出家だから、感じているのか、感じてないのか何となくわかるんですよ。
当時、絶対に感じない女優がいたんです。その子は「セックスが嫌いだ」って。AVをきっかけに女優の世界に入りたいっていう勘違いしたバカ女だった。うんともすんとも言わないその女優が、男優の加藤鷹が来たときに陥落したんですよ。その時、僕は2階の部屋にいたんだけど、彼女の絶叫が聞えてきてすんごくいやらしかった。これがたぶん、“ミイラ獲りがミイラ”のトラウマになってるのかもしれない。しかも、少し嫉妬も交じって(笑)。
そうそう、この間“もどかしさ”をテーマに芝居を作ったんですけどね。イクっていうことを放棄して、陰核を自分では絶対にさわれない所に移植した女の話。要するに実際にさわって、さわられてエクスタシーに達することができないときに、妄想の中でのエクスタシーが無限になるだろうっていうのがテーマなんです。
僕はもう、妄想でしか快楽を追求できないようになったんですね。肉体の快楽も好きですけど、限界があるじゃないですか。頭の中の世界の方が無限のような気がするんです。たぶん、フランス書院のような小説を読むことも同じことですよね。頭の中で形成されたエロスっていうのがきっと自分の中で大切なものとして、保管されていくんだろうなって気がしますね。