魔性の美貌、グラマラスな肢体に益々磨きをかける青田典子。セクシーアイドル時代から常に男性の視線にさらされてきた彼女の心の内にあるものは一体何か?ポジティブな生命力が漲る30代の女性として、今の自分を露わに語ってくれた。
現在の私に関して言えば、写真を撮られる時は“無”になろうとしてます。見せる・撮られることを意識しない方が、私さえも知らない自分の性の部分が出てくるんですよ。
人間の中には心が存在していて、同時にセックスも存在してると思うんですよ。性って生まれ持った自然のことじゃないですか。だから、出てくるのは当たり前なんです。でも、普段の生活の中ではものすごく閉ざされているんですよ。いや、むしろ閉ざさなきゃいけない。それを開きたくなるのが写真集なんですね。私自身、そういう風に性を解放することによって、自分の中のバランスがとれるんです。
そうそう、男性ってセックスの時、目を開けてるじゃないですか。でも、女性って目をつぶるでしょ。女性って内部で考えるんですよ。視覚じゃないんです。
結局、自分の内部を表現する時は目で「こうだ!」っていうんじゃなくて、内に入っていくっていうか…。これが女性たる表現なんですよね。それを男性が視覚で追っていくんです。 だから、今回の私の写真集で好きな一枚も目をつぶってる写真。男性を意識してとか、見られているとか、そういう問題じゃないんです。
「こんな表情してる、こんな顔が自分にはあったんだ」っていう新しい発見があるんです。それが撮られる喜びですね。もちろん、そんな顔を見られるのは恥ずかしいですよ。でも、私の隠れている部分だからこそ見てもらいたいなっていうのもあるし…。自己の露出の快感…!? んー、微妙なところですね。
私ってすごい恥ずかしがり屋なんですよ。役者業や写真集の時、マネージャーに「お願いだから、この場を外して」って頼むんです。普段の青田典子で接している人がいると、できないんですよ。恥ずかしいっていう意識がでてきちゃう。
でも、みんなは私の恥ずかしい扉を開きたいからこそ写真集を買ったりするんじゃないですか。
もし、恥ずかしいものがなかったら、誰も欲しがらないと思うんですよ。見せたくないものを見せるから、写真集を買ってくれる。私の中に見せたくないものがもしなかったら、写真にも表れないと思うんですね。
羞恥心ってどこに隠れているか分からないけど、その殻を破らなきゃ出てこない。もちろん、その羞恥心を露わにしたことに自分も喜びを感じてるんですよ、すごく。と、同時に言えるのは露わにする過程って、「これを出そうか、出さないか」っていうすごい葛藤があるんですね。どんな仕事をしてても、それは常にあります。