文壇の鬼才、島田雅彦。役者のような風貌が女性にも人気の彼は、リビドーを満足させるためグローバルな活動を行っていた。各国の歴史、文化、そして自らの経験を踏まえた彼の性理論がここにある。
日本人はね、体を全部洗ってしまうから24時間とて体臭はそのままの状態にはなっていない。そうすると香水は意味がないんですね。ビンの中身の匂いしかしない。
その反面、ヨーロッパ、フランス人とかはそれほど風呂が好きじゃない。香水文化の発展は入浴をあまりしない習慣と密接な関係があるのは周知のことですけど、ともかく昔はもっと風呂に入らなかったらしいです。ヨーロッパのホテルはバスタブがなかったり、シャワーの勢いがない。このように風呂がそんなに好きじゃないことは一目瞭然ですね。だからね、香水は発展する。
でも、逆に一番臭う場所っていうのは、相当な悪臭をおびているに違いありませんよね。19世紀から20世紀前半のポルノグラフィにはヴ○ギナやア○ルを舐めるシーンがほとんどないですから。
こう言ったらセクハラになるのかもしれませんが、日本人は女体を“刺身”と捉えていると思います。だから鮮度が高い、つまり若くて清潔なのがいい。一方、フランス人は“チーズ”と捉えているだろうと思います。ある程度の熟成が必要で濃厚な後味もあるし、彼らにとってみれば女の洗練というものもどこかチーズとパラレルな部分があるという感じかもしれない。
こうやって考えるとフランス料理なんかも食後のセックスと見事な相似形を成してますよ。最初はキス程度の前菜を食べて、こってりと堪える肉や魚、最後には必ずチーズを食べる。「あと数十分したら同じような匂いを嗅ぐのだな」と思いながら食事を締め括るんですよ。
私も発酵食品は大好きでよく食べるのですが、この味わいを覚えたらみなさんも深入りしたくなってくると思いますよ。発酵させたものはアミノ酸が強いから旨みも強い。口に含んでしまえば匂いよりむしろ旨みを感じますからね。
旨みで報われるから臭いも我慢できるわけで、報われないでただ悪臭を嗅ぐのはかなり忍耐が必要でしょうね。ただ、それを持って一つのマゾヒズムの表現と考えるなら、臭ければ臭いほど良いということになるでしょう。まぁ、纏足なんかがそうですよね。歩く姿がいじらしいというのもあるけれども、最大の魅力はあの発酵した匂いらしいですから。
このように性を食事に例えてみましたが、私自身はこの考えに厳密な境界線を引いていますよ。つまり、女性は食べ物じゃないと思っていますから…。