様々な心の悩みに解決の糸口を提示してくれる頼れる心理学者、富田隆。今回は性をテーマに我々の行動の本音、日本社会の素顔、そしてセックスを分析。トレードマークの髭を優雅に揺らしながら、驚きの解釈をしてくれた。
アダルトビデオが出てからというもの、外国とかに行けば性器がそのままズバリ見えるわけじゃないですか。それはそれでいいことなんですけども、ただ、なんていうか、頭を鍛えるためには妄想を逞しくして、自分にとって性的なシーンを頭の中に創り出すことって非常に大事だと思うんですよね。
色気づく頃といいますか、つまり中学生ぐらいの時って、禁じられた部分ってないとダメだと思うんです。仮に私が中学の教師になったとして、「そんなもの読んでないで勉強しろ」とは言うんですが、一方ではちゃんと読んでほしいんです。
子どもが賢くなっていく過程の中に、セックスが大人だけの秘密っていう部分があって、その秘密を解き明かそうと百科事典を調べたり、友達同士で情報交換をしたりとかしますよね。これにより「大人たちはこんな秘められた生活をしているんじゃないか?」と推測します。これがとても大切なことで、推理する能力、物を調べる能力といった人間の知的な部分を形成するのに非常に役立っているんですね。もちろん、ほっといても育っていくんですが、その発達を促してくれるんです。
単純な刺激反応ではなくて、自分の中に入ってきた言語情報をイメージまで高めるっていうのは相当知的な作業ですよね。AVのように直接的なものばかり見て、逆にそういう作業がないのは可哀想だなと思うんですね。だから、フランス書院っていいんじゃないと思うんです。こういうエロティックな書籍を見て、興奮する。すごくいいことだと思いますよ。
仮に禁じられた部分が全くなくてオープンになると、劣等感が生じるんです。例えば、子どもに「フリーセックスだよ。どうぞご自由にヤってください」っていうのは子どもにとって非常に災難なことだってフロイトもいってます。
「子どもはダメなんだよ」と禁じられていれば、本人に生殖能力がでてくるとそういう情報を集め、調べる。こういうプロセスがありますから、セックスに対しても自分で勝ち取ったものという意識があるんです。これにより、非常に前向きで自信がついた状態になるんですね。
しかし、建前ばっかりで「どうぞ」といってみんなが適応できるわけではない。というのも、子どもにはもともと生殖能力はないんです。男の子だったら勃たせることもできないし、射精もできない。そういう状態で「どうぞ」といわれるのは、“自分はできない”という体験をするわけでしょ。「自分は性的に不適応だ」と思いかねないんです。そういう体験は非常に傷つくんですよ。
だからよく原体験で「親がしているのを見ちゃって…」という話がありますけど、あれは子どもにとってみれば、自分ができないことをヤってるというだけでショックなんですよ。悲鳴みたいなものをあげたりしてるから、男の人が女の人を苛めてるイメージがショックを与えるというのが定説ですが、それに加えて僕はね、「自分はまだできない存在であることを思い知らされるショック」も子どもにとっては辛いことだと思いますよ。