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今月の放言

男は性に囚われすぎている 富田隆

直筆短冊

様々な心の悩みに解決の糸口を提示してくれる頼れる心理学者、富田隆。今回は性をテーマに我々の行動の本音、日本社会の素顔、そしてセックスを分析。トレードマークの髭を優雅に揺らしながら、驚きの解釈をしてくれた。

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プロフィール 富田隆

1949年4月2日生まれ。心理学者。迷える心の案内人として、あらゆるメディアで活躍中。主な著書に『「モテる男」40のマニュアル』『なぜ、男は女より嫉妬深くなったのか』『サルでもモテるデート講座』など他多数。現在、駒沢女子大学人文学部教授。

第3章 セックスは幸せなカオス状態

精神分析派の人は、人間にとって根元的な不安とは分離不安だというんですね。分離不安とは、小さな子どもが母親から離された時にパニックに陥ってしまうことをいうんです。これは本来の意味ですね。

つまり、人間というものは、自分をはっきり認識していない時期から、だんだん分離が始まるわけです。そして最終的に気が付くのは、この世界が自分とは切り離されている存在ということ。自分がナイフで切られても他の人は痛くない。死ぬ時は自分一人で、代わりに誰かが死ぬわけでもない。そうやって人間は自分が世界から分離されたことを認識するんです。

でも、これはとっても孤独で疲れることですよね。こういう分離不安を人間誰しもが抱えていて、社会生活や家庭でもっていろんなフラストレーションを溜め込んでいくんです。だから、そのガス抜きをしなきゃいけない。そのためにはいろんなガス抜き法があるんです。

例えば、お祭り。みんなが一緒になって我を忘れる。我を忘れるというのは、自我を放り出す、つまり自分を放り出して、自分も周りの人間ももう区別がない。まさに幸せなカオス状態になっているんです。そんな幸せなカオス状態に自分をもっていける文化的な仕掛けを、我々はスポーツなども含めていろいろもっている。その最たるものが、セックスなんです。

女性がそういうまっ白な状態の時に、男はさっさとベッドから出てタバコを吸ったりとか次のことを始めたりしてよく怒られますよね。男はDNAの中に「自分と誰かを守らなければならない」というのが仕組まれているわけですから、正気に戻るのが早いんですね。残念なことに(笑)。

男だって連続でイけていいわけじゃないですか、それが単発になっているのは生物学的な力が働いているんです。一方、女性は連続打ち上げ花火のようにいくらでもイけちゃうわけです。そういう時は自分と他者なんてもう関係なくなる。だから、癒しになる。

「ecstasy(エクスタシー)」って言葉、ありますよね。その「ec」はもともと「ex」なんです。「exit」の「ex」ですから「外へ」という意味なんです。「stasy」は「stay」とかの語源ですから、エクスタシーとは外にとどまるということなんです。じゃあ、何が外にとどまるかというと、それは魂です。魂が肉体という牢獄から解き放たれた状態なんです。つまり、死にとっても近い状態。性的なクライマックスは死にもっとも近いというのは昔からよくいわれていることで、ある哲学者は「先取りされた哀れな死である」なんて表現もしていますよね。時々その性的なエクスタシーを得るようにしないと人間は癒されないんです。

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