ドラマや映画を舞台に、多くの物語を生み出し続けている脚本家、大石静。その輝かしいキャリアは、いわずもがな。若者目線のトレンディドラマから、壮大なスケールで描く時代物、さらには骨太なテーマを扱った社会派の物語まで、作品の毛色は実に多彩。その豊富な経験をもとに繰り出される独特な性愛感もさることながら、けらけらと笑いながら小気味よく話す少女のような姿がとても印象的だった。
(目の前のフランス書院文庫を眺めながら)実家がお茶の水の『駿台荘』っていう文士の方がよくいらっしゃる宿屋で、当時あらゆる出版社の方たちが、文士の先生たちを缶詰にするための宿だったんです。幼少の頃は一流の先生を間近で見て育ちました。そういう先生方が、こういう本をぽろっと帳場とかに置いて帰られて、そのときにこっそり見たりしてね。当時からドキッとしてたのが、アナルを攻めるやつ(笑)。子供ながらに興奮してました。というのも梶山季之さんの『赤いダイヤ』に、そういう描写があったの。私の幼少時代は梶山季之や川上宗薫が全盛期でね、梶山さんが亡くなったときは、(亡くなった後に)すごい文学者だったんだって、びっくりした憶えがあります。だって梶山さんのことは当時、“エッチな本を書く人”って認識だったから(笑)。
他には松本清張先生でしょ、一番古い方ですと、遠目から江戸川乱歩先生を見たこともあったかな。あと一番口を聞いてくださったのは五味康祐先生、手相を見てもらったりしてね。これが全く当たってなくて(笑)。あと印象的だったのは開高健先生。あの先生は、当時はほとんど見たことがなかったワインをぶら下げて、ふらふら家の中を歩いてたりとかしてましたね。あとそうそう、開高先生の奥様が家に訪ねられて来てケンカになったりとかね。
携帯電話もない時代だから、部屋にはもちろん電話はあったけど、交換台を通じて話すんです。その中で印象に残っているのが五味先生。女優の春川ますみさんと電話で話をしているときがあったんだけど、内容的にどうやらフラれてるみたいで。というか、自分の部屋で話せばいいものを、わざわざ帳場の前にある電話器で話をするもんだから、会話が丸わかりで(笑)。「あの先生はなんで自分の部屋で電話をしないんだろう」って幼心に思ったわ。後から考えたらあの方はマゾだったんだろうなって思うの。周りの人から見られることが快感だったんだなあって。
駿河台には、女坂と男坂っていう石段があるんだけど、当時はそこが夜になると、男女が立ち止まってキスをするメッカだったの。私は窓からそれを眺めて「あっ、またやってる?!」って感じで眺めたりする、おませな子だったのよね。
そうやって幼い頃から、東京の文壇を含めた大人の遊びの世界、裏の世界を垣間見ていたわ。それは漠然としたエロスの世界だったの。何をしているのかはよくわからなかったけど、見ちゃいけないものを見たなあっていう感じはしていたわ。