類い稀なサウンドクリエイションを武器に、世界中の音楽ファンを魅了するミュージシャン、田中知之。雑誌編集者時代、ファッションエロ写真スクラップ…。今までに培ってきたエロに対する確固たる概念と、世界中を仕事で飛び回るうちに養われた自身の美女観を擁し、実体験を交えて独自のエロイズムを語ってもらった。
以前、雑誌の編集者をやっているとき、ファッション誌の中にオシャレというベールを纏ったエロを持ち込もうと、『smart』という雑誌に企画書を持って行ったことがあるんです。その企画が今は『ちんかめ』に発展しましたけど、それぐらいエロというものに対して自分の中ではある程度のポリシーのようなものがあるんです。でも、自分が普段考えたり、想像したりしているエロの世界をいざ実際の行動や言葉などに置き換えるとなると、何とも照れくさかったりして(笑)。だからこのフランス書院さんの本も読んでみたいとは思いながらも、レジへ持って行く度胸がなかったりね(笑)。
僕は自意識過剰で恥ずかしがりやだと思うんですよね。表紙がオシャレじゃないエロ本は買いたくない、でもエロ写真は見たいと。そういう歪んだ嗜好というのが、きっと“オシャレにエロを楽しむにはどうしたらいいか”という嗜好に化けたんでしょうね。だからあんまり場末の匂いのするエロはダメなんですよ。例えば、僕がへんぴなストリップ劇場に行ったとしたら、きっとオモシロイとは思うだろうけど、それに性欲が沸くかといえばそうじゃない。嗜好って人それぞれ違うじゃないですか。だから、汚いモノとかグロテスクなものに性欲がわくという人がいるというのも理解できるんですよ。僕の場合は、スカトロやカニバリズムに対しては興味はあるけど、嗜好がないからさっきのSFと同じなんです。その世界は想像でしかないし、同時に性的な刺激を与えてくれないもの。
もと編集者だから思うんですけど、エロ本の横につくキャプションって、大概アマイでしょ(笑)。こっちは一枚の写真からリアルな情報を吸い上げたいわけですよ。だからリアルでない余計なことは書いて欲しくない。でもよくいいますよね、人が想像していることを世の中には必ず実践している人がいるっていう…(笑)。それを聞くとフィクションもノンフィクションも同じようなものなのかなあと思いますけど。
結局、エロ小説も村上龍もジョルジュ・バタイユも一緒だと思うんです。エロ小説に貴賤なしというか。個人の好みという意味では違いはあると思うんですが、ナンだカンだいってもあとは同じなんでしょうね。僕だってファッショナブルでキレイなエロが好きだといったって、エロはエロなわけですから。エロとしてはみんな平等であって欲しいですね。