あるときはサーカス団員やバー店長、またあるときは大衆演劇女形…といった遍歴をもつAV界の鬼才、甲斐正明。レンタルAVの'03、'04年連続して回転率トップを獲得し、次々と革命を起こす業界の風雲児は、いかなるエロ遍歴&概念をもって今に至るのか。
実際に経験を済ませてからは猿でしたね。僕は高校1年のときに同じ高校のコと2年間付き合ったんですけど毎日ヤッてました。もう気持ちよくてたまらなかったですね。
当時は『ねるとん紅鯨団』という番組を毎週観るのが習慣だったんです。それで見終わった後に必ずAVを借りに行ってたんです。これは高校3年間ずっと続けてましたね。「このカップルはヤリまくるのかあ」って考えたらもう我慢できなくなって。よく借りたのが宇宙企画、洋モノ、ウス消し系の3本。当時は桜木ルイや黒木香などが全盛期でした。また同じ頃に雑誌で村西監督が特集されてて、そこには美女に囲まれた監督の写真が載ってるわけですよ。広い屋敷みたいなところで女をはべらかせて。「ヤリまくってお金持ちになれるなら、こんないい商売はない!」って思い、高校2年のときにダイヤモンド映像に直接「働かせてください」って電話したんですがあっさり断られました(笑)。
そして卒業と同時に上京するんですが、最初はエロとはまったく関係ない仕事をしてました。カッコつけた言い方ですけど、当時フェデリコ・フェリーニになりたかったんですよ。僕には映画監督になるっていう夢があったんですが、全然違う仕事をしながら映画監督になりたかったんです。そのときの僕は演劇に興味をもってたんです。というのも中学の文化祭で僕が演出したものをみんなが喜んでくれたことが忘れられなくて。心のどこかで僕は演劇の才能があると思い込んでいたんでしょうね。それをまた思い出して、極めてみようと思ったんです。
それである有名演出家の方にダメモトで電話したら、なんと会ってくれたんです。そのときの演出家の方の優しさというか、器のデカさというか、温かさは一生忘れません。演劇に関しては全くの無知、素人以下の男に対してもの凄く優しかったんです。台本まで渡してくれて毎日来ていいとまで許可をくれる敷居の低さ…。これに感動して2ヵ月間毎朝早起きして通いました。当時はもちろんのこと、監督になってからの僕にとって、ここでは大事な財産を得ることができましたね。
でもそうこうするうちに電車賃すら無くなり、生活ができなくなってしまったんです。その旨を正直に報告したら「そりゃ生活する方が大事なわけだから。余力ができたら、またおいで」って言っていただいて。その演出家の方にはホント、大きな夢を与えていただきました。