あるときはサーカス団員やバー店長、またあるときは大衆演劇女形…といった遍歴をもつAV界の鬼才、甲斐正明。レンタルAVの'03、'04年連続して回転率トップを獲得し、次々と革命を起こす業界の風雲児は、いかなるエロ遍歴&概念をもって今に至るのか。
その後、舞台に対する憧れから2~3年間大衆演劇をやるんですが、自分に向いてないとわかったので辞めました。その後、就職情報誌を見てたら『映画監督になるには執念だ~スティーブン・スピルバーグ~』というキャッチコピーを掲げた会社があったんです。「ここはスピルバーグと繋がってる会社なのか!」って感動してすぐに連絡したんです。
いざ面接になったんですが、そのときは映画のことは何ひとつ聞かれなかったんです。エロ写真を見せられて、「キミだったらどうフレーム切る?」って聞かれて何度か答えているうちに「じゃあ明日から来ていいよ」って。この潔さは凄いと思いましたね。映画に対して何の言い訳もしないというか。「スピルバーグは何だったんですか?」なんて聞くことすら忘れて、単純に「面白い!」って思いましたね(笑)。そのとき、俺にはAVに憧れてた時期があり、エロで生きてた人間だったことを再認識しました。
それからはAVに対する見方も変わりました。働き始めた頃なんかは、もう楽しくて仕方なかったですね。だって毎日エロのこと考えててよかったわけですから。しかも僕は映画も好きだから、現場にいられるだけでもすごく楽しいわけですよ。
昔は今ほどビデ倫の規制も厳しくなかったのでかなり無茶しましたね。びっくりするような経験もしました。例えば電車内で痴漢ものを撮るなんて、AVだから許されるっていうね。あと代々木公園で女子高生が複数のホームレスに犯されるっていう設定で撮ったことがあったんですが、ホームレスの人たちは全然言うことなんて聞きませんからね。当然ながら女のコも潰れてましたし。あれはホント、衝撃でした。こんなことやっていいの?って。AVならではのパワーを感じましたね。
ある日、ビデオ屋で似たようなタイトルばかりが並ぶAVコーナーを見て「これなら俺にも作れる」って気がしたんです。そして上司にお願いして、普通は200~300万の予算がかかるんですが、50~60万で仕上げるということと、失敗したら二度と作らせないっていう約束で制作したんです。それが『顔は渋谷 カラダは車中!!』。そしたらその月の売り上げで1位になったんですよ。結果が良かったからいいですけど、作ったあとも「はぁ!? 何これ?」みたいな感じで言われましたよ。営業の人には「AVはジャンル分けしないとお店で置いてくれないんだけど、これはどのジャンルなの?」みたいなこともさんざん言われましたね。