テレビではその豊富な知識と経験を武器に、舌鋒鋭く迫る姿が印象的である。そんな氏は、小学生時代にSM雑誌を通して淫靡な世界に触れて以来、自他ともに認める官能好きであり、さらに'90年代中期頃までであれば、ほぼ全作品読破しているというフランス書院文庫フリークでもあるという。今回はテレクラや援交ブームを期に得た独自の体験談なども踏まえ、持ち前の官能論を語っていただいた。
プロフィール 宮台真司
社会学者。宮城県出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。現在は首都大学東京准教授の顔をもつ一方で、テレビや新聞など様々なマスメディアを通じ、評論家としても活動している。著書は『日本の難点』(幻冬舎新書)、『<世界>はそもそもデタラメである』(ダヴィンチブックス)、『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』(世界文化社)など多数。
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http://miyadai.com/(フランス書院文庫を前にして)'90年代半ばくらいまでの作品であれば、だいたい読んでますね。当時は綺羅光さんの作品が好きでしたよ。僕は比較的、男女の関係性を描いた作品が好きなんです。綺羅さんはそういう部分を重視しているといいますか、女性的な官能の見方なんですよね。(『人妻・藤平潤子 魔辱の麗囚』(綺羅光・著 '09年6月刊)を目にして)懐かしいな。久しぶりに読んでみたいですね。
小学校の頃からSM雑誌を読んでいました。たまたま小4のときに見た本が『SMマガジン』。それがものすごい淫靡で輝かしくて……。セックスってこんなにも「非日常的なもの」なのかって驚きました。それが刷り込まれて、セックスとは「非日常に存在する男女のお祭り」なんだっていう感覚が、大人になっても続きました。
SMへの本格的な興味は江戸川乱歩からです。中学校の図書館に江戸川乱歩全集があったんですよ。黒い箱に入っていて、口絵に淫蕩な絵が描いてありました。それを片端から読んでいくうちに、そんな耽美かつ淫靡な世界に興味をもったんですね。エロチシズム、プラス、幻想のほの暗い穴に籠もるような感じ。これが好きだったのかな。こういう感受性って古い世代に属するものですよね。映画だと、'60年代後半から'70年代にかけて、一人の女と朝から晩まで淫靡にやりまくるっていう作品がたくさんあるでしょ。ベルナルド・ベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』や、大島渚の『愛のコリーダ』とか。作品だけじゃなくて、当時は現実にそういう性愛を生きている人が多かったと思うし、僕自身がそういうセックスをしてました。
『実録 阿部定』っていう映画に、やりまくっている最中に窓を開けると、二・二六事件の兵隊さんたちが夕映えに照らされて行進しているところが出てきます。この感じですよ。やりまくっていた僕は、夕映えに照らされる小学生たちの下校姿や、主婦の買い物姿などを見て、『俺はここにこうしているのだな』って思いました。僕が江戸川乱歩に憧れるのは、アングラな時代の気分でもありました。アングラって、反体制であると同時に、反近代っていうか前近代的なものに憧れる面がありました。その意味でも、僕の好む性愛表現は、本にしても映像にしても、そして現実においても、「非日常の穴に籠もる」ものなんです。
'90年代半ばにスワッピングの取材をしたときに、自分と同世代の連中がスワッピングのブームを支えていることがハッキリわかりました。僕たちの世代は、性愛の非日常的な輝きに、共通の憧れあるのでしょうね。だから、セックスで非日常的なお祭りを演出して、スワッピングやSMなど多様なシチュエーション・プレイを楽しみたがるんじゃないかと思います。