テレビではその豊富な知識と経験を武器に、舌鋒鋭く迫る姿が印象的である。そんな氏は、小学生時代にSM雑誌を通して淫靡な世界に触れて以来、自他ともに認める官能好きであり、さらに'90年代中期頃までであれば、ほぼ全作品読破しているというフランス書院文庫フリークでもあるという。今回はテレクラや援交ブームを期に得た独自の体験談なども踏まえ、持ち前の官能論を語っていただいた。
プロフィール 宮台真司
社会学者。宮城県出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。現在は首都大学東京准教授の顔をもつ一方で、テレビや新聞など様々なマスメディアを通じ、評論家としても活動している。著書は『日本の難点』(幻冬舎新書)、『<世界>はそもそもデタラメである』(ダヴィンチブックス)、『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』(世界文化社)など多数。
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http://miyadai.com/歴史をいうと、性的メディアの享受は、1992年ごろを境に「字モノから絵モノへ」と変わりました。抽象的な言い方をすると“オーラ”がなくなる方向に変わったんです。“オーラ”ってのは、それが何かの表象だという性質です。小説であれば、文字の向こう側に、それが表す世界があるってこと。イラストであっても、その向こう側に現れる世界があるってことですね。ところが最近になると、グラビアそのもの、エロ画像そのものに直接興奮するようになって、「それが表している向こう側の世界」が消えちゃったんです。つまり“オーラ”が消えたんですね。
僕はそこに違和感を覚えます。世代的なものでしょう。'92年に字モノから絵モノに変わると言いました。僕の体験を話すと、今はなき『投稿写真』という雑誌に「お便り宅急ペン」という読者体験の投稿ページがあったんですが、そのころ中身が突然つまらなくなったんで、堀川編集長(当時)に「このコーナー、おもしろくなくなってきたよ」って言ったんです。そしたら編集長が「最近は投稿がめっきり減って、ライターに書かせてるんだが、よく分かったね」って。そりゃ分かるさ(笑)。妄想にかられた読者が虚実が入り交じりで書く文と、仕事でライターが書く文じゃ、濃さが違うもの。そのとき「字モノ世代」が退場しつつあるのを実感しました。
'92年というのは、AVが「単体モノから企画モノ」へ変わったり、主婦が中心になって下着を売っていたブルセラショップにモノホンの女子高生が参入しはじめたりした年でもある。そうした「字から絵へ」とか「単体から企画へ」という流れが示すのは、さっき“オーラの喪失”って言ったけど、男女の性や官能に対する構えが単純化していく傾向です。要は、関係性や物語ではなく、ワンシーン的設定やフェチシズム的記号に興奮する人が多くなってきたんです。これは明らかに衰弱ですね。
かくいう僕も、なぜか「チェック柄スカート」フェチでして(笑)。チェック柄のスカートを穿いさえいりゃ誰でもいい、みたいな。チェック柄の魅力は「落差」ですね。チェック柄って、僕ら世代にとって「カタい」とか「真面目」とかの象徴なんです。身持ちの堅い奥さんが穿いているとか、育ちのいい清楚なコが穿いているとか。スケベなことなんかしそうもない女が、ベッドで乱れて、何ごともなかったように去って行くってのが、グッときます(笑)。「あんな淫らな姿を知っているのは、俺だけだなぁ」って。あ、それもやっぱり関係性に興奮しているんですね。