ある時はヤクザの親分、またある時は旅番組のリポーターと、その表情を変幻自在に操る“怪優”阿藤快。今回は自身の淡い体験談を踏まえ、性に関する独自の概念を語ってもらった。銀幕からもブラウン管からも決して伝わらない、まさに素の告白。彼の目には懐かしき昭和の思い出が広がっていた。
プロフィール 阿藤快
1946年生まれ。神奈川県出身。1972年映画『無宿人御子神の丈吉・牙は引き裂いた』で銀幕デビュー。以来『殺人遊戯』や『影武者』など数多くの映画に出演。その人情味溢れるキャラクターはお茶の間でも大人気。2001年11月14日に阿藤海から阿藤快に改名 。
今ね、フランス書院、読みたいなーと思って見てたんだよ。『飼育 蔵の中の美姉妹』(井筒涼著 '04刊)とか叶姉妹みたいな感じだよね。初心者だったら、『私はいつも視られている… 露出奴隷・沙織』(桂木環著 '04刊)とかいいんじゃないかな。
女の人ってきれいになりたいっていう自意識がものすごく強いでしょ。特に若い子は見られてるんじゃないかっていう意識が強いから、読んでてその世界に入りやすいんじゃないのかなと。“見られてる”っていう意識から、露出狂になる可能性もありますよねぇ。刺激が違ってきますから。だからこういう微妙な入り口が、いつの間にか過激になっていくきっかけなのかなぁとも思いますけどね。そういうのが一番エロいですね。嘘と現実のギリギリの狭間が感じさせてくれますねぇ。「そんなのないだろうよー」って思っていたのが、現実に起こったりして「それもあり?!」なんて面食らう。
ほんとに今は多様化が凄すぎるね。新潟であった事件もそうだし、現実って凄いでしょ。ドラマでもそうだけど、普通はシナリオが先行してて「こんなのないだろ」って思うんだけど、現実の事件が先に起きちゃって過激すぎてシナリオが追いつかない。嘘と現実の狭間がどこか分からなくなってきている。ある意味、おもしろいなぁといつも思うよ。
俺らの頃はフランス書院みたいな刺激がなかったからなー。人間って抑圧されると平気になっちゃうもんだよね。普通であれば高校生の頃って、女子高生のいい匂いとか制服に透けたブラの線とかちらっと見えた胸の谷間とか、そういう小っちゃなことから妄想してドキドキするもんだよな。でも、俺には夏の制服を見て妄想したりとか、そういう思い出ってないんだよ。
というより、たぶん生地が厚くて、ブラの線なんて見えなかったんだな。当時、薄い素材はまだまだなかったんだよ、きっと。見えた記憶、全然ないもん。もし見えてたら、修行僧のような高校時代じゃなかっただろうな。絶対、俺の性はぶっ飛んでいたと思うよ。人生も変わってたのかもしれない(笑)。
それから比べると、今の女子高校生たちは女として際立つものを着てるよねぇ。アナウンサーにしても露出度が高くて「どうしたーん?」って思うよね。「寒くない?」って思っちゃう。だから、俺の場合はスーツのほうがいやらしさを感じるんだよね。最初から見えちゃってるよりも、きちっとした格好ほど猥褻さを感じるよな。ぐっと自分を抑制した貞淑な女性が、ふぅっと息をかけただけでくずれてしまう、そんな姿に俺はムラムラってくるかも。
でも、今ってキチっとした堅い感じの女性って今は少ないよな。昔は銀行員がその象徴だったりしたけど今は違うしなぁ。先生も、今はああだしなぁ…。でも、キャバクラで「昼は先生やってるんです」っていう人がいたら興味がわくかも。「えっー、先生やってるのぉ?!」って。