劇団主宰、小説家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ…。多方面でその才能をいかんなく発揮している本谷有希子。彼女の作品に描かれているキャラクターたちの“切実さ”は、愛情とも憎しみともとれる、実に人間くさい愛おしいもの。そんな彼女が幼いころからもっている心の鏡に映し出された“愛情”とは、現実と自我と妄想と葛藤からなるこれまた笑っちゃうくらい人間くさいものだった。
プロフィール 本谷有希子
1979年生まれ。石川県出身。00年9月「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手掛ける。小説『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は第18回三島由紀夫賞にノミネートされた。現在は雑誌『週刊プレイボーイ』『ダ・ヴィンチ』などでコラム連載をしながら小説を執筆。またニッポン放送「オールナイトニッポン」の金曜パーソナリティも務めている。
初恋は小学校一年。普通のコでした。私ともうひとりの友達と、取り合いではないですがそんな感じになって、私の方にきてくれたんです。にも関わらず私は「私よりあのコの方がいいよ」って言ったんです。振り向かせるだけ向かせたらなぜかもう満足した気分になり、譲ったっていう。あまのじゃくです(笑)。'05年刊)とか惹かれますね。女教師とか看護師とかほかの職業的なものと比べてタイトルからドラマ性が垣間見られるので気になります。
その男のコが好きというよりも、その男のコの興味がどちらに向くかということに気持ちがすり替わっていて、そしていざ男のコを取ってはみたものの、まあいいやと相手に譲ってしまった。でも譲ったら譲ったで二人がまた仲良くなったことに敗北感を憶えたり…。心の中では、私がいくら拒絶しても男のコの方から「それでも本谷さんじゃなきゃいやだ」っていうのを待っていたと思うんですが、意外とすんなりいってしまって。「あれ? もういいんだ…。」みたいな(笑)。そう、だからジェラシーではないんですよ。
以前、私が「この人は弱い人だから、私がいなきゃダメなんだ」って思いながら付き合ってた人がいたんですが、いざ別れるってなったとき、意外に大丈夫だったんです。あれはびっくりしましたし、すごい傷つきましたね。あっさり他の女の人を見つけて、また甘えてた。人間って意外と図太くいけちゃうんだなあっていうのを目の当たりにして、呆然とした記憶があります。
私は、私がその人のことを好きであるということももちろん大事だけど、「私のことを好きなあなたが好き」って部分も恥ずかしながらあるんですよね。他人に「好きな男性のタイプは?」って聞かれたら「私のことが好きな人がタイプ」って答えるし。私は恋愛をする上で、相手が私のことを肯定してくれる部分をもっているということが、含まれてなきゃ駄目なんです。もちろん完全にイエスマンも嫌ですけどね。
理屈なしに惚れたっていうのは、過去にそうなるのではと思った人が何人かいました。でも最後の最後で……いっつも違いましたね。私の中に根深いものがあって、他人に対してなりふり構わずぶつかることができないんです。こと恋愛に関しては「滑稽なものだ」みたいなインプットがされていて。だからその滑稽なものに憧れる気持ちと客観的に見ちゃう気持ちがあるので知り合いが「彼を刺した、刺さない」みたいな話をしているのを聞くとうらやましいです。そういうのって瞬間的なものであると思うんですが、私はストッパーがかかってしまうんですよ。たぶん、自分のすべてを相手にぶつけたときに、相手から否定をされたときの恐さみたいなものがあるんだと思います。