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今月の放言

私のことを好きなあなたが好き 本谷有希子

直筆短冊

劇団主宰、小説家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ…。多方面でその才能をいかんなく発揮している本谷有希子。彼女の作品に描かれているキャラクターたちの“切実さ”は、愛情とも憎しみともとれる、実に人間くさい愛おしいもの。そんな彼女が幼いころからもっている心の鏡に映し出された“愛情”とは、現実と自我と妄想と葛藤からなるこれまた笑っちゃうくらい人間くさいものだった。

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プロフィール 本谷有希子

1979年生まれ。石川県出身。00年9月「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手掛ける。小説『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は第18回三島由紀夫賞にノミネートされた。現在は雑誌『週刊プレイボーイ』『ダ・ヴィンチ』などでコラム連載をしながら小説を執筆。またニッポン放送「オールナイトニッポン」の金曜パーソナリティも務めている。

第4章 セックスができませんでした

セックスに対してチャレンジしようっていう気がなく、特にこれといった特別な経験とかはないです。ただ同じセックスでも気持ちいいものと気持ちよくないものっていうのは確実にある。何が違うんだろうって思いますね。基本的にやってることは同じで大差ないのに。そこまで好きじゃない人としたときっていうのはホントに、もうホントに何も思わなかったり。好きなんだけど家族みたいな愛情になっちゃってると、そのときだけ男と女になるのが気持ち悪かったり。そういう意味で私は、セックスを肉体的なものより脳内でやってるんだと思いますね。極端な話、好きか好きじゃないかっていうのがわからなかった場合、寝たらわかるんじゃないかなと昔は思ってましたし。きっと技術とかそういったものではないんでしょうね。

あっ、そうそう私、高校生の頃とか告白をされてもその相手全員にお断りしていたんです。「セックスができないから付き合えません」って。私、最悪ですよね。「そういうことじゃないんだけど…」ってみんな言ってましたね。当時は付き合う=セックスみたいな思い込みが私にあったんです。

私はセックスというものの存在をけっこう早くから知っていたんです。おそらく幼稚園の頃から知っていたと思います。小学生ではもう完全に分かってましたから。他人に自分を預けるという行為だから、それはすごく恐かったというかイヤだったイメージがあったんです。

最初の相手が初めてじゃない人がいいなあって、なんとなく思ってました。だって他をいろいろ知ってる人ならぎこちなくて変な私をみても「まあ、こういうコもいるよね」って感じで流してくれるだろうし。セックスっていう行為自体が軽いというか、薄まるかなっていう。逆に体験していない人だと相手にとって私が最初であり、ひとりなわけで、「こういうものなの?」ってなっちゃうけど、体験済みのもうちょい許容範囲の広い人であれば、自分が変だったりおかしかったりしても「まあ、こんなコもいるよね」みたいになれるかもって思ってました。ありのままの自分が知られることにびびってたんです。

「セックスができません」っていう風に断ってきたときは、まさにセックスは恥ずかしいっていうのがあって。その頃は思春期で自意識が最も過剰なときだったので、イケてないとか恥ずかしいっていうことに対してものすごく過敏だったんです。今でも基本的にセックスっておもしろいなあって思いますね。だからそれをすべてとっぱらってできる相手でないとだめですね。少しでも自分を守ろうとすると冷めちゃうっていうのは、その部分だと思うんです。客観性がどんどん入ってきてしまってセックスどころでなくなってしまうんです。

(文:オオサワ系)

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私のことを好きなあなたが好き 本谷有希子08