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役員秘書・涼子と美沙 2

 

 その夜、吉岡は薄汚れたアパートの一室で、涼子の脚線美を思い浮かべ、惨めなマスターベーションに耽っていた。

 ミニスカートから伸びた量感をたたえた太腿を舐めしゃぶることを想い描く頭のなかには、涼子とまがりなりにも言葉を交わせ、その美貌と美しい脚を間近で拝めた興奮と、別れ際に涼子から与えられた屈辱が渦を巻いて駆けまわっていた。

 虚しい射精を迎えた後で、吉岡はある決意を固めた。

(いよいよ、あの計画を実行に移すんだ)

 頭のなかには、この数カ月間考えつづけてきたある計画があった。

(駄目でもともと、こんな腐った生活をつづけるよりはいいさ)

 美貌の役員秘書として颯爽と社内を闊歩する相沢涼子を罠に落とし、奴隷として思うままに調教する――。

 これまではただ、頭のなかで空想するだけだったが、今日の出来事が吉岡に狂気の淵へ飛びこむ踏んぎりをつけさせた。一度そう決めてしまえば、自分のなかで渦を巻くエロチックな興奮と甘やかな屈辱感の奔流を解消する術は、それしかないとさえ思えるのだった。

 

 吉岡がその計画を思いついたのは、ある錠剤を手に入れたことがきっかけだった。

 半年ほど前、学生時代の友人のマンションで酒を飲んでいた時のことだ。相手は、製薬会社に勤める同級生の田中だった。

 学生時代のこと、仕事のことなどを色々語り明かすうちに、話はいつしか吉岡が一方的に仕事の愚痴をこぼし、田中がそれにおざなりな相槌を打つ形になっていた。二人ともしたたかに酔った頃、吉岡は、青い錠剤がぎっしりつまった瓶が棚の隅に置かれているのを目にとめた。

「おい、ありゃいったいなんだ? お前んとこで扱ってる効かない薬か」

「まあそんなところだ。ミンザイさ」

「ミンザイ?」

「睡眠薬。うちにしちゃ珍しくよくできた製品で、副作用もほとんどない」

「ふーん」

「まあ、ハルシオンの改良版ってとこかな。一錠飲むだけで十五分もすれば熟睡状態だ。普通の人間なら三時間はなにをされても起きることはないだろうな」

 田中がトイレに立った隙を見て、吉岡はその青い錠剤を十錠ほどポケットに突っこんでいた。酔いにまかせたほんの悪戯心だったのだが、翌朝自分のアパートでその錠剤を見つけた時、吉岡の頭に思い焦がれた相沢涼子の美貌が浮かんできた。

 男なら誰もがそうであるように、吉岡も美しい女を自分の意のままに奴隷として調教してみたいという願望を持っていた。そして、吉岡にとってその対象は相沢涼子以外に考えられなかった。これを使えば夢想にしかすぎなかったその願望をかなえることができるかもしれない。

 涼子と二人っきりの時にこいつを飲ませることさえできれば……。そう思うと、胸の奥からむくむくと湧きあがってくる黒い欲望を抑えることができなかった。

 ただ普通に誘ったところで、涼子が自分などを相手にするはずもない。なにしろそれまではまともに口をきいたことすらなかったのだ。涼子にしてみれば、吉岡など中途半端に老けこんだ冴えないぐうたら社員ほどにしか認識していないはずだ。

 なんとか涼子を誘いだす口実を見つけなければならない。

 吉岡は、ボーナスの大半をはたいて興信所に涼子の身辺調査を依頼した。なにか、ほんの小さな糸口でも見つかればという思いが、普通では考えられない行動を吉岡に強いたのだった。また、涼子の身辺を洗っておくことは、彼女を拘束し、服従させていくうえでいずれ必要なことだと考えた。

 三カ月ほどしてあがってきた報告書の内容は、彼女の経歴、家族、友人、交遊関係など多岐に渡る、詳細でかなり分厚いものだった。

 富裕な家庭の一人娘で、名の通った女子大を卒業し、都内のマンションで気ままな独り暮らしを楽しみ、在学中にはミスキャンパスに選ばれたこともある。涼子のプロフィールは、その美貌に相応しく華やかなものであった。

(これは、もしかして使えるかもしれない)

 ある項目に突き当たった吉岡は、厚手の報告書から目をあげた。

(うまくいく確率は低いかもしれないが、いざとなったらこいつを使うしかなさそうだ)

 

 以前は、そこまで計画を練りあげただけで満足だった。今は違う。涼子の瞳に浮かんでいたあの冷たい色をかき消すためには、実際に涙に濡れた瞳で吉岡自身を見上げさせる必要があった。

 吉岡は、濁った目に暗い決意の色をたたえ、相沢涼子が自分の前にひざまずき、あの勝ち気そうな美貌が屈従と羞恥に染まるさまを思い浮かべるのだった。

 

 三日後の夜、吉岡は涼子と並んで都内のバーに座っていた。

 内線電話で吉岡から唐突に食事に誘われた涼子は、最初は吉岡が誰なのかすら覚えていなかった。応接室での一件を告げて初めて思い当たったようだったが、吉岡と食事をする理由が涼子にあるわけもなく、当然戸惑いと困惑を浮かべた様子で、仕事中であることを理由に電話を切ろうとした。

 ところが、吉岡が高倉からの重要な伝言を預かっていることを伝えると、一気に態度を軟化させ、吉岡の誘いに応じたのだった。

 涼子の美貌とファッション誌から抜けでたようなプロポーションは、街中でもひときわ目を引いた。すれちがう男たちが皆、涼子の華やかさに目をとめ、一緒にいる自分に対して羨望の視線を送ってくるのがわかった。

 いつも盗み見ることしかできなかった相沢涼子が、自分の隣りでタイトミニからすらりと伸びた長く美しい脚を組んで、スツールに腰かけている。それだけで夢ではないかと思えるほどだった。

 しかも今日の涼子からは、社内にいる時の少し高慢な感じすらするつんと澄ました表情が消え、吉岡を虫けら同然に扱ったこの前の態度とはまるで別人だった。

「吉岡さん、昨日は失礼なことを言ってごめんなさい。私、まだ新人なので仕事のことだと、つい必要以上に気を張ってしまうんです」

「いや、いいんだ。それよりもやっと名前を覚えてもらえて光栄だよ」

「ああ、本当にごめんなさい。でも意地悪しないでそろそろ教えていただけません? 大事なお話ってなんですの?」

 涼子が尋ねた。アルコールのせいもあるのだろうか、声音が柔らかく、眼にはいたずらっぽい光をたたえている。昼間の電話と較べると吉岡に対する警戒心はずいぶん薄れたようだ。

(優秀な美人秘書さんとはいってもまだまだ初々しいもんだ)

「うん、もう察しはついているかもしれないけれど、君と高倉君との結婚のことなんだ」

「えっ、高倉さんが! 本当ですか?」

 けなげに平静を装おうとはするものの、涼子は喜びの色を隠しきれないでいる。

「なんだ、まだプロポーズしてなかったのか」

「だって彼ったらそんなこと一言も……」

「ああ見えてシャイな割りに意外と思いこみの強いやつだから、君にそれっぽくほのめかしただけで自分ではその気になってたのかもしれないな。僕にはもう決まってるといった口ぶりだったんだけど」

「まあ高倉さんったら」

 涼子の頬がほのかに赤いのは、酔いのせいだけではなさそうだ。

「でも、どうして吉岡さんがそれを?」

「前に、彼とは半年くらいコンビで仕事をしたことがあって、それ以来妙に気が合ってね。彼みたいなエリートと僕みたいな落ちこぼれが仲がいいなんて変な話だろ」

「そんなこと……」

 涼子はあいまいな笑顔を浮かべた。

「そこで、あいつが海外に出張に出ている間に、君の気持ちを僕から確かめて、準備を進める手助けをしてやって欲しいってことらしいんだ。今度のプロジェクトは、現地でも珍しいと言われる食材を買いつけるために、アンデスの山のなかに三カ月近くも入ったままだ。まあ、希少価値があるからうちのビジネスになるわけだけど、いったん現地に入ってしまえばろくに連絡もつかない。彼としては帰ってきたらすぐにでも話を具体的にしたいらしい。そこでぼくがキューピット役を仰せつかったというわけさ」

「まあ、そうだったんですか」

 涼子の顔に疑いの色はなかった。

(そりゃそうさ、このことはまだ社内でもほとんど知らないはずだからな)

 興信所が調べあげた事実はこれだった。

 涼子と高倉が、互いに結婚を意識した交際を密かに進めていることを知った時、吉岡はショックを受けたものの、逆にこの事実を利用しようと決意した。まだ誰も知らないことだけに、それが吉岡の口から出ることで涼子の信頼を得ることができるはずだ。それになにより、高倉の名前を利用するのが痛快だった。

 社内のエリートの恋人を、自分みたいな落ちこぼれがそいつの名前を使って奪い取る、しかもその恋人は、ずっと自分が思いを寄せてきた相沢涼子なのだ。コンプレックスの塊りである吉岡にとって、こんな愉快なことはなかった。

 そして高倉が長期の出張に出かけたのと応接室での一件が時期的に一致したのは、偶然ではなかったのかもしれない。むしろ自分はこの計画を実行に移す機会をずっと狙いつづけており、あの一件はあくまで自分に踏んぎりをつけさせるきっかけでしかなかったのだ。ダイスを投げてしまった今、吉岡はそう思いこもうとしていた。

 もちろん高倉と自分の仲がいいという話も真っ赤な嘘だった。会社の寄生虫と言ってもいい吉岡を、高倉が慕うわけなどない。

「で、どうだろう。改めて聞くけど、相沢さんは僕の大事な後輩からのプロポーズを受けてくれるかい?」

 涼子はしばらくの間、真っ赤になってうつ向いていたが、こっくりとうなずいた。

「はい……喜んでお受けします」

 小さな声で答えたかと思うと恥ずかしげに身を捩る姿は、普段の勝ち気な涼子からは想像もできないほどいじらしいものだった。

 計算どおり二人だけしか知らないはずの高倉との関係が吉岡の口から出たことで、涼子はすっかり信じこんだようだ。

「よかった! それじゃあ我が社のベストカップルの輝く未来に乾杯だ!」

「まあ、そんな……でもありがとうございます」

 その後、吉岡と涼子は高倉を話題にグラスを重ねていった。涼子は照れながらも高倉の優しさを語り、吉岡はそれを憮然とした気持ちで聞きつつも、自分が高倉といかに仲がよいかという話をでっちあげることを忘れなかった。

 少しアルコールのまわりはじめた涼子が、トイレに立った隙を吉岡は見逃さなかった。ポケットから例の錠剤をすりつぶした粉末の袋を取りだすと、涼子のグラスに素早く溶かしこんだのだ。

「さあ、じゃあ最後にこの一杯を空けたら僕の車で送っていくよ」

「そんな、大丈夫です。一人で帰れますから」

「駄目駄目、大事な花嫁さんになにかあったら高倉に殺されちゃうからな。さあ早いとこ飲んだ飲んだ」

「じゃあ甘えちゃおうかな! でも安全運転でお願いしますね」

 キュートな笑顔を浮かべてグラスにその美しい唇をつけ、涼子はなんの疑いもなく睡眠薬入りのカクテルを飲み干すのだった。

 

(次回更新は9月21日です)