人妻人形日記

著者: XPJbox

電子版配信日:2025/02/28

電子版定価:880円(税込)

柔らかそうな乳房、愛くるしい優しい笑顔、おっとりして少し天然な性格……
僕が好きになってしまった理想の女性は隣に住む人妻で、先輩の奥さん・歌織
絶対に叶うはずのない恋は、子供時代に芽生えた密やかな人形愛と結びつき、
二つの歪んだ欲望はある日、偶然たどり着いたサイトで一つに絡み合う。
E=MC^2──それはマインドコントロール専門の小説サイトだった。
ネット小説界で物議を醸したXPJboxの代表作にして最高傑作、堂々開幕!
本作は、あなたの人生を変える「悪魔の書」となる可能性を秘めています。

目次



第一週


5月16日(金)

5月22日(木)

5月23日(金)

5月24日(土)

5月25日(日)


第二週


5月26日(月)

5月27日(火)

5月28日(水)

5月29日(木)

5月30日(金)

5月31日(土)

6月1日(日)


第三週


6月2日(月)

6月3日(火)

6月4日(水)

6月5日(木)

6月6日(金)

6月7日(土)

6月8日(日)


第四週 


6月9日(月)

6月10日(火)

6月11日(水)

6月12日(木)

6月13日(金)

6月14日(土)

6月15日(日)

本編の一部を立読み






 僕の初恋の相手は、姉からもらった人形だった。
 あれは間違いなく恋であり、初めての劣情だ。
 当時、ふたりの姉は弟の僕を妹のように扱っていた。僕に自分たちのおさがりを着せてみたり、女の子みたいな言葉遣いをさせたり、よく近所の人に三姉妹と間違われていたのを覚えている。
 僕が自分のことを男の子だって自覚できたのは、下の姉が持っていた一体の人形がきっかけだった。
 ミカちゃんという名前で、父がどこかの出張のお土産に買ってきたものだ。キャビンアテンダントの制服を着ていた。
 あとで知ったけど、古くから有名な人形だったらしい。少女マンガのようなプロフィールもあり、家族や恋人までいるファッションドールだ。
 だけど、ぬいぐるみを集めていた姉の趣味ではなかったらしく、タンスの上でずうっと埃をかぶったままでいた。
 ある日、姉たちの部屋でひとりで遊んでいたとき、ふと汚れたそのミカちゃん人形が可哀相になった。タオルで顔でも拭いて、服もきれいに洗ってやろうかという気持ちになった。
 上の姉や友人と女の子の遊びに馴染んでいた僕は、人形を友だちのように大事にするのは当たり前だと思っていたし、徐々に人形遊びから離れていく粗雑な下の姉には怒りすら覚えていた。だから、そんな気まぐれを起こしたんだと思う。
 でも、その女性的なプロポーションをした人形を脱がせながら、僕はいつになくドキドキしていた。
 なんでだったんだろう。
 これはただの人形だ。作り物だから裸でもエッチじゃない。頭ではそう思ってても、服を一枚一枚脱がせていくことに僕は興奮していた。
 ミカちゃんの服は人形のくせによくできていた。ジャケットを脱がせたあとのブラウスとか、ボタンとか、スカーフとかスカートのファスナーとか、徐々にあらわになっていく人形の白い肌に、僕はそれまでに感じたことのない興奮を覚えていた。
 最後に下着を脱がせて裸になったミカちゃんの体を、僕は撫で回していた。固いけど、すべすべしてて、僕の手の中で無抵抗に動かない女の子の体がとても気持ちよかった。全身をきれいにしたあと、口づけして、髪の毛を噛んだりした。
 そしてお腹に舌を這わせたあたりで、ふと、僕は自分のやっていることが恥ずかしくなり、人形を姉の机の上に置いて逃げ出してしまった。
 自分のしたことが、いや、自分がひどく気持ち悪い人間に思えた。異常な行為に興奮する自分が怖くなったんだ。
 でも姉は、僕のそんな思いなど関係なく、机の上で裸になってるミカちゃんを見て笑うだけだった。
 変なイタズラするな、とか、いらないからやるよ、とか、そんなようなことを言って、笑って僕にその人形を押しつけた。
 姉は、僕がふざけて服を脱がせただけだと思ったみたいだった。
 でもそのせいで、ほんの気の迷いで終わるはずだったこの屈折した愛情は、本物になってしまった。

 ――僕のお人形さん。

 その夜から、僕は毎晩そのお人形さんを抱いて寝た。
 布団の中でミカちゃんの服を脱がせ、裸にして撫で回した。頬ずりし、何度もキスをした。体を舐めたり、爪で股間を擦ったりもした。
 そうして僕は苦しいくらいに興奮していた。
 だんだんと下腹部が熱くなり、おしっこがしたくなる。それだけでは収まらないくらいムズムズしてくる。
 僕はミカちゃんをおちん×んに擦りつけた。おちん×んを抱くようなポーズを取らせて、その上を何度も擦った。
 自分がひどく悪いことをしているような気がした。お人形さん相手にこんなことしてるヤツなんてきっと僕だけだと思ったら嫌な気持ちになった。
 でも、それがすごく気持ちいい。
 僕はミカちゃんを愛している。そしてミカちゃんも僕を愛している。そう妄想することで僕は自分の行為を許していた。これは愛し合うふたりの自然な行為だ。間違ってないと本気で思っていた。
 激しい興奮に突き動かされ、おちん×んがビクビクってなるまで僕は何度もミカちゃんを擦る。やりすぎると痛くなる。でもやめられない。
 毎晩毎晩、僕と彼女は逢瀬を重ねた。
 ある日、母さんは僕に黙って人形を捨てた。男の子がいつまでもお人形を抱いて寝てちゃみっともないと言って。
 僕にとって、ミカちゃんはただの玩具じゃなかった。秘密の恋人だ。僕は母さんに怒鳴り散らして、何日も泣き続けた。しばらくはごはんも喉を通らないくらいにふさぎ込んだ。ロミオとジュリエットのように愛を引き裂かれる運命を呪った。
 でも、小さい頃なら誰でも似た経験はあるだろう。
 お気に入りのおもちゃとは、いつか突然、理不尽な別れが訪れる。あるいは勝手に飽きて忘れてしまうのが常だ。
 何年も経てば僕も普通に人間の女の子に恋をするようになり、キスやセックスも体験した。
 幼い頃は女の子みたいだと言われたこの顔も、思春期を過ぎたあたりからは異性に好まれるタイプなんだと気づいた。近づいてくる女の子といろんな恋愛をしてみたり、ときには恋愛の絡まないカジュアルなセックスも楽しみ、それなりの青春を送って育っていった。
 でも、あの興奮を体験したことは、あれ以来一度もない。
 好きになった子とセックスをしても心の底からの感動はない。体中の血が熱くなるような、禁断の扉をこじ開けていくような高揚感が僕には忘れられない。
 通販でラブドールを買って抱いたこともある。同じ人形を買って、同じ行為を試したこともある。
 でも、生身の女性の温かさを知った今となっては、そんな行為も虚しさを感じさせるだけだった。
 今の僕が求めているのは、普通の人形でも、普通の女性でもない。人間的なぬくもりがあって、それでいて僕に完全に支配される人形と、本気の恋愛をしたいんだ。
 その矛盾する欲求を同時に満たすものなんてあるはずない。あるはずもないものを性欲として求める僕は変態なんだ。

『本物の女性を人形にできればいいのに』

 そんな妄想をしているときが一番興奮した。
 でも現実にはありえない。想像の世界でしかないことはわかってる。なんて、社会人となった今は妄想にも冷めたツッコミが勝手に割り込んでくる。
 僕も普通に大人になった。性に目覚めたばかりの頃、初めてあのお人形さんを抱いたときほどの熱い興奮は、もう二度と味わえないのだろう。
 そう思って、諦めていたんだ。

 ――あのサイトを知るまでは。

 僕の出会った美しい人妻と、僕の犯した恐ろしい罪。
 他の人が体験したことがないような話を、これからしていこうと思う。

第一週



5月16日(金)

 今日も先輩の家に呼ばれた。
 家といってもマンションの隣の部屋だし、あまり気兼ねはしていない。僕の勤めている会社が社宅としてこのマンションの二部屋を借りていて、それを利用しているのは独身の僕と、隣に住んでる先輩夫婦の関川さんだけだった。
 関川先輩は面倒見のいい人で、僕が入社して以来、こうしてよく夕飯に呼んでもらっている。人付き合いのあまり上手じゃない僕にも、先輩はさりげなく気遣いをしてくれる。
 僕は仕事もできて親切な先輩のことを尊敬していたし、こうして家に呼んでくれることがとてもありがたかった。
 そして、僕の楽しみはもうひとつある。

 先輩の奥さん――歌織さんだ。

 歌織さんは、僕よりふたつ年上の二十四才。先輩から見ると八つ年下で、実家がお隣さん同士の結婚だったらしい。
 スタイルが良くて、肌が白くて、黒髪をさらさらさせてモデルのような美人だった。
 でも性格はおっとりしていて、少し天然っぽくて、笑ったら幼く見えて可愛いんだ。
 そのまぶしい笑顔が僕は好きだった。
 僕なんかはまだ結婚なんて考えたことないし、今はそんな相手もいないけど、歌織さんみたいな人と巡り会えたら、きっと何を投げ出してもプロポーズしてしまうだろう。
 歌織さんは僕の知る限り最高の女性だ。僕の理想のお嫁さんだ。
 だけどもちろん、そんなことは歌織さん本人にも、先輩にだって言えないけど。
「文哉くん、おかわりいる?」
「あ、は、はい、いただきます」
 僕は歌織さんの手に空になった茶碗を渡す。少しだけ指が触れてドキドキする。
「どうだ、文哉? 歌織の料理はうまいだろ?」
「はい、おいしいです」
「またー。そうやって無理に言わせなくていいんだってば」
 無理になんて言ってないのに、歌織さんは恥ずかしそうに先輩の肩を叩く。そんな仕草も可愛いと思う。
「文哉くんも、この人に合わせなくてもいいんだからね?」
 歌織さんがテーブルの上に身を乗り出すと、腕に乗った大きな胸が白いニットの下で形を変える。僕は思わず視線をそこに落としてしまい、慌てて逸らす。
「い、いえ、ホントに美味しいですよ、これ。いくらでも食べられます、はい」
 僕はたぶん顔が真っ赤になってただろう。でも歌織さんは、そんな僕の内心の狼狽に気づかず「文哉くんに褒められたー」と無邪気に笑う。
 先輩が「無理してコイツに合わせなくていいからな」と言って、また歌織さんに叩かれる。
 独身男の前でイチャイチャしちゃって。
 ……うらやましい。
「それで歌織。今度の出張、やっぱり長くなりそうなんだ」
「そっか……うん、わかった」
 ある程度お酒が進んだ頃、先輩が来週から行く出張の話を始めた。
 歌織さんは寂しそうに頷く。今度の先輩の出張は、おそらくひと月くらいはかかるだろう。
 僕たちは技術系の会社に勤めていて、発電所関係の下請けもしている。あちこちの定期的な点検や、あまり大きな声では言えないトラブルの対処なども引き受けてるので、一ヶ月単位での出張なんかもたまにある。しかも家族に出張先も言えなかったり、外部との連絡や接触を禁止されることもある。小さな声でも言えないトラブルだったりすると。
 先輩は依頼先からも信頼の厚い技術者なので、そういった対応に回されることが多い。ちなみに僕も先輩と同じ係なんだけど、まだ部署の中では新人で、書類仕事ばかりやらされている。
「なるべく早くケリつけて帰れるようにするよ」
「うん……」
「何かあっても隣は文哉だし、心配ないよ。な、文哉?」
「え、あ、はい」
 いきなり先輩に話題をふられて、声が裏返ってしまった。歌織さんが寂しそうにしている。僕はできるかぎりの頼もしさを笑顔に浮かべて、歌織さんに頷いてみせる。
「だ、大丈夫ですよ。いつでも頼りにしてください!」
「……ぷふっ」
「ハハハッ」
 なぜかふたりは大笑いしてる。僕には何が面白いのかわからないけど。
「ほっぺにゴハン粒つけてる人に言われてもねー」
「え、あ、あぁ!?」
「子供かよ、おまえ」
「あははっ」
 歌織さんが楽しそうに笑ってる。
 恥かいたけど、それだけでなんとなく嬉しくなる。
 彼女の笑顔を見るだけで暖かい気持ちになる。こんなこと考えちゃいけないってわかってるけど、もしも歌織さんが僕を頼りにしてくれたら、きっともっと嬉しいに違いない。
 でも、いくらポンワリしてる歌織さんでも、僕に頼らなきゃならない事態なんて、そうそう起きっこないだろう。
 お隣とはいえ、会社勤めと専業主婦ではなかなか顔を合わせる機会もない。この楽しい晩餐も、この歌織さんの可愛い笑顔も、先輩が帰ってくるまでおあずけかと思うと寂しくなる。


5月22日(木)

『ごはん作りすぎちゃった泣』
 先輩が長期出張に発ったその日、さっそく歌織さんはやってくれた。
 帰宅途中に受け取ったこのラインに、僕はなんと返せばいいのだろうか?
『えーと、明日の朝ごはんにするとか?』
『カルボナーラだよー。そろそろ帰ってくると思ってふたり分作っちゃった。のびるー。ソースが固まっていくー』
『それじゃ僕が半分いただいてもよろしいですか?』
『お願いします。もう帰りなのかな? タッパに詰めとくね』
『はい。今帰る途中なのでこのまま寄ります。材料費も折半しましょう。いくらですか?』
『そんなのいいよ! 無駄になっちゃうだけだもん。どーぞもらってくださいませ』
『ありがとうございます』
 僕は自然と駆け足になっていた。
 歌織さんに会える口実が向こうからやってきた。すっごい嬉しい。
「あ、おかえりなさーい」
 玄関チャイムを押すとき僕はすごく緊張した。そして今、歌織に「おかえりなさい」を言われて、たぶん僕の顔から火が出てると思う。まるで夫婦みたいじゃないか。僕は勝手に意識して照れまくる。
 歌織さんは、いつもと同じ笑顔だった。
「ごめんねー。ひょっとして、晩ごはん用意してたんじゃないの? ホントによかったの?」
 パタパタと台所に向かう歌織さんに、僕は笑って「まさか」と答えた。
「もう少しメールが遅かったら、いつものコンビニでお弁当でしたよ。かえって助かったくらいです」
 歌織さんは「そうなの?」と驚いた顔をした。
「いつもコンビニのお弁当なの?」
「ええ、まあ。はい」
 そんなに驚くことかな? 僕に限らず、独身男の晩ごはんの多くは出来合いの弁当か、外食だと思うけど。
 ちなみに僕の場合、ひとりの外食も落ち着かないから、毎日ほとんど家弁だ。歌織さんはパスタと、あとちょっとしたサラダを付けてくれた。すごく嬉しい。歌織さんは、にっこり笑顔で「おやすみなさい」と言ってくれた。
 今日は思いがけず、歌織さんの笑顔と手料理をゲットしてしまった。
 ラッキーだ。


5月23日(金)

『晩ごはん作りすぎた!笑』
 なぜに笑? しかも昨日の今日でまた同じ間違いしちゃうなんて、失礼だけど歌織さんらしい。
 ニマニマしてしまう顔を同僚に見られないように、僕は隠れて返信を打った。
『もうすぐ会社出ます。今日も分けてもらっていいですか?』
『どぞ。お待ちしてます』
 やったぜ。今日も歌織さんに会える。美味しいおかずが食べられる。昨日からの幸運続きに僕はガッツポーズした。
 そして、わくわくしながらチャイムを押す僕を迎えてくれたのは、歌織さんの笑顔と、可愛いハンカチに包まれたお弁当だった。
「いらっしゃーい」
「えっ……と、あれ、これ晩ごはんですか?」
「うん」
「でも、これって、あの、お弁当?」
 昨日のタッパの詰め合わせなんかじゃなく、きちんとしたお弁当箱に入っている。
 意味がわからない僕に、歌織さんは、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「コンビニ弁当よりも、私のが美味しいと思うよ~」
「えっ、あ、あの?」
「なんて、ホントは昨日のお礼。あははっ。助けてくれてありがと。お仕事おつかれさまでした!」
 それから何て言って別れたかよく覚えてない。それくらい僕はボーッとしていた。
 歌織さんのお弁当。歌織さんが僕のために作ってくれたお弁当。
 もちろん美味しかった。何よりまだ温かかった。
 僕はすっかり舞い上がってる。
 ベッドの中で目をつぶっても、歌織さんの笑顔ばかりが思い浮かぶ。
 彼女のことを考えて、眠れない。


5月24日(土) 

 今日は土曜日で仕事も休み。そして僕に出かける用事もない。
 簡単に家事を済ませて、歌織さんのお弁当箱とタッパをきれいに洗い、お弁当を包んでいたハンカチも洗濯して丁寧にアイロンをかけた。あとは返しに行くだけだ。
 それだけなのに、なぜか緊張してしまう。隣の家に行くだけなのにわざわざ着替えたりして、何を期待してるんだろう、僕は。
 ドキドキしながら、僕は隣のチャイムを鳴らした。
「はーい。あ、文哉くんか」
「朝早くにすみません。あの、タッパとお弁当箱をお返しに……」
「あ、なんだ。わざわざ洗ってくれなくてもよかったのに」
 ラフなジーンズ姿の歌織さんも、きれいだと思った。本人を前にして緊張が加速する。
 そして意外とそっけない歌織さんに、勝手にがっかりしちゃってる。
「なんか文哉くん、今日はオシャレだね。どこか出かけるの?」
「え、あ、いや」
 僕の格好を見て、歌織さんは首を傾げる。確かに同じマンションの隣に行くだけなのにジャケット着てくるヤツなんていないだろ。
 隣の部屋に、ものすごく好みの可愛い奥さんでもいない限り。
「わかった、デートなんでしょ? いーなぁ。デートいいなー」
 そして本人は、自分が目当てなんて思いもせずに勝手な想像を広げている。
「いや、違います! それはまったくの見当違いです!」
「またまたー。照れなくてもいいのにー」
「違いますから、ホント違いますって!」
「はぁ~あ、若いっていいよねー。輝いてるよねー」
「歌織さんだって、僕とふたつしか違わないじゃないですか。と、とにかくそんなんじゃありませんから! 失礼します!」
「あ、うん。がんばってね!」
 完全に誤解されてしまった。
 でもまさか休日に歌織さんと会うためのフル装備でした、なんて言えるはずがない。
 用もないのに、街に出かけて二時間ほどつぶしてから、僕はすごすごと部屋に帰ってきた。
 みじめだ。完全に敗北。
 いや、そもそも勝負もしていない。はじめから土俵すらない。
 せめて、もう少し歌織さんとおしゃべりしたかった。見つめていたかった。
 これはもう恋だろ。
 歌織さんに完全にやられてるだろ、僕。
 でも、僕は先輩のことを尊敬している。先輩と一緒にいるときの幸せそうな歌織さんが好きだ。あのふたりが好きなんだ。
 報われないこんな気持ちを、いつまでも抱えていたってしょうがない。諦めなくちゃいけない。
「歌織さん……」
 壁に向かって、僕は彼女の名を呟いた。向こうにいる人妻は、今、僕がこんな気持ちを抱いているなんて思いもしないだろう。
 なんて孤独だ。彼女のそばにいると、幸せで苦痛だ。決して満たされないこの気持ちを、僕はいつまで引きずり続けるのだろうか。
 あー、ダメだ。気分を変えなきゃ。
 PCの電源を入れてネットに繋いだ。モニターの向こうの世界にこもって、しばし現実を忘れて楽しむことにする。
 僕は昔から、ひとつのことにのめり込んだら、トコトンまでイってしまうタイプだ。一度スイッチが入ると突っ走ってしまう。
 何しろお人形にも恋しちゃうくらいだからタチが悪い。ちょっと鬱な今の気分を無理にでも切り替えてやらないと、どんどん沈んでいく方向になりそうだ。
 どこかに楽しいサイトでもないかな?
 僕は適当にリンクを辿っていく。
 でも、モヤモヤしながらネットしていたせいか、気がつくとアダルトサイトに到達していた。昼間っからみっともないと思いながら、どうせなら自堕落的な休日もいいかと、僕はスウェットの中に右手を突っ込んで、アダルトサイトを転々とする。
 そして、そこで目にした、ある文章に心を惹かれた。
 ある不思議な能力を手にした男が、女の子を操って犯すという、妄想だらけのショートストーリーだった。
 でも僕はそのシチュエーションに閃くものがあって、そこのリンクからいろんなサイトを巡った。探しながら僕はドキドキし始めていた。
 必ずある。
 ただの予感だけど、僕がずっと探していた答えがどこかにあるような気がしていた。僕が長年苦しんできた、自分の歪んだ欲望を叶えてくれる鍵が、どこかに眠っているという直感。
 手が汗ばんでいく。
 喉が渇く。
 僕は夢中になってマウスを操っていた。
 やがて、とあるサイトに辿り着いた。
 直感が確信となる。抹茶色の背景にくっきりと浮かび上がる。醜く歪んだ欲望が、文章となり、物語となり、コンテンツとして整然と並んでいる。
 まさに、僕の内面を陳列するかのように。

〝E=mC^2〟

 誰もが知る有名な式の中に秘められた〝MC〟の二文字が心に突き刺さる。
 ここは、そういった者たちが集まる場所だった。


5月25日(日)

 僕は昨日から夢中になってその膨大なMC小説を読み漁っていた。
 そこは催眠術やマインドコントロールを主題にした官能小説専門の投稿サイトだ。いろんな作品とシチュエーションに出会った。どれも僕の願望を叶えてくれるものだった。
 頭がクラクラする。脳内麻薬が洪水のように溢れている。日付が変わっていることにも気づかなかったぐらいだ。
 強烈なサイトだった。
 ここの作者たち、全員変態だった。
 他人の心を歩き回れる能力に目覚めた少年が同級生の恋人を寝取るとか、発情動画が日本中に蔓延して女の人が犯されまくるとか、イノシシの肉を炙って菜食のエルフに食べさせるとか、どれだけ変態的な性癖の持ち主なんだ。頭がおかしい。
 でも僕が心を惹かれたのは、そんなのよりもっとリアルな催眠術を駆使して女性を手に入れていく物語だ。
 求めていたのは、まさにこれだ。じっくりと心を弄られ、男の手でいいように操られ、染まっていく女性たち。そこに至るまでの過程が特にいい。たまらない。
 僕はさらに『E=mC^2』からリンクを辿り、催眠術のサイトを巡った。理論から実践まで、いろんな催眠術の情報がネットにはあった。
 マウスを握る手が震えていた。新しい知識や妄想が頭を巡ってパンクしそうだった。
 でも、完全にスイッチの入った僕は次々に催眠術のノウハウを頭に叩き込んでいく。臨床心理学の論文から胡散臭いショー催眠まで、様々な技術や理論を吸収していった。
 悪用誤用を避けるためか故意に省略されたり隠されている過程だって、他のサイトを巡れば簡単に解答は見つかる。パズルのようにネットに散りばめられた情報から、僕は〝催眠術〟を自分なりに構築していった。
 どうして、こんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
 今まで行き場のなかった、女性を人形にして愛でたいという長年の妄想が〝催眠術〟というツールで現実味を帯びてくる。
 でも、これだって僕の妄想でフィクションだ。本物の催眠術なんて無学で平凡な人間にできっこない。わかってる。いつものありえない妄想に具体的なギミックが登場したってだけだ。
 なのに今日の僕は異常だった。
 一度も食事も睡眠もとらず、ただモニターに張りついていた。頭の中をアドレナリンと一緒に駆け巡る危険で変態的な妄想の虜になっていた。

 ――あの人に、催眠術をかける妄想ばかりしていたんだ。

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