羅刹鬼1 美女と野獣のプリズンブレイク(上) 3
第三章 外回りのお仕事
今日は外回りの仕事だ。
先日、独房で看守を食い殺してしまった僕に下された判定は、やはり暴走気味であるということ。その理由は、しばらく外の戦場に参加していないせいでストレスが溜まっているから。雰囲気的にそんな感じだったと思う。
おかげで僕はこうして久方ぶりに娑婆の空気を堪能できていた。
「――くそがああああぁぁ!!」
左から怒声が迫っていた。
顔を向けると、ちょうどピックアップトラックが一台、僕に向かって突っ込んでくるところだった。
運転手が大声で叫んでいるのが見える。すごい形相だ。
せっかくなので、たまたま手に持っていた人間の頭部を、野球ボールを投げる感覚でトラックに向けて全力投球。
その速度は当然、野球ボールを凌駕している。
砲弾と化した人間の頭部はトラックのフロントガラスを突き破って運転手の顔面を砕いた。運転席が、一瞬でケチャップボトルが破裂したようなありさまになった。
――にもかかわらず、速度を落とさずに突っ込んでくるピックアップトラック。それは運転手の執念が起こした奇跡だったのかも知れない。
慌てず、左手をかざして待つ。
僕は眼前に迫ったエンブレムを押さえるようにして、トラックの激突を素手で受け止めた。
ズウゥゥン……と、重い衝撃が僕の身体を突き抜けていった。
トラックは盛大につんのめってから、けたたましい音と共にバウンドして止まった。全速力の車とブッチャーの対決は、ブッチャーの勝利だった。どんなもんだい。
「マイキーの仇だ! くたばれブッチャーッ!!」
トラックの荷台から別の男が顔を出した。今の今まで隠れていたようだ。この瞬間を狙っていた。機関銃の銃口は、すでに僕を向いている。
ピックアップトラックの荷台は改造されていて、そこに重機関銃《フィフティーキャル》が一挺、取りつけてあった。簡易戦闘車両《テクニカル》だ。
小火器程度なら、ブッチャーの皮膚は難なく跳ね返してしまうけど、さすがに至近距離で重機関銃をもらうと痛いし、怪我をする。当たり所が悪ければ死ぬ。
まだ死ぬわけにはいかない。
銃を構えた男の顔に、黒い影が差した。
「――――ッ!?」
見上げた男が思わず息を呑み、その表情を絶望に歪ませた。
彼の瞳には、巨大な刃物を振り上げた僕の姿が映っている。
馬鹿だな……すぐに引き金を引けば、一矢報いることもできただろうに。
薪でも割るかのような気楽さで振り下ろされた僕の刃は、ゴオンッと音を立てて男を車両ごと一刀両断にした。
血液と油が混じり合い、地面に広がっていく。
〈ブッチャーナイフ〉――この刃物はそう呼ばれている。ブッチャーの標準的な近距離武器だった。
ナイフ――というのはもはや完全に間違いで、肉切り包丁をそのまま巨大化させたそれは、むしろ斬馬刀とか、グレートアックスとか言った方が近い代物だ。
肉厚な刀身は薄い鉄板なら紙を切る感覚で裂けるし、このとおり、簡易戦闘車両《テクニカル》ごときでは壁にもならない。
僕はいそいそと車両の荷台に上って、設置されていた重機関銃を取り外した。遠くから近づいてくる小隊が見えたからだ。
これが僕という普通でないブッチャーの強みだった。普通のブッチャーは、人間の兵器を奪取して逆利用なんて器用な真似はできない。阿呆だから。
でも僕はできる。
しかも兵士の経験があるから狙いだって正確だ。元狙撃兵だぞ。
さらに僕の視力は今、強化されている。この頭にかぶった紙袋のせいだ。
僕の頭部を覆い隠している紙袋の正体は〈ブッチャーバッグ〉。見た目は、目抜き穴が開いた四角い紙袋そのものだけど、実態はなかなかの高性能。僕らブッチャーの見た目の恐ろしさを和らげ、側頭部の制御装置を隠し、おまけにさまざまな補助までしてくれる。防御性能も高い。
こんなにも高性能なのに、どうして見た目が紙袋なのかが分からない。エイリアンのセンスなのだろう。ひょっとすると、人間を油断させるためなのかも知れない。もしそうなら狡猾な連中だ。
実際、人間の兵士たちの間ではこれは紙袋として通っていて、軽視されていた。
かぶせている目的がさっぱり分からないものだから、あれはブッチャーの頭部が爆散する際に、その肉片が飛び散らないようにするためにかぶせたミートバッグだ、なんて嘲笑されていたほどだ。かくいう僕も、実際にブッチャーになるまでは、ここまで高性能なものだとは知らなかった。
ちなみに、ブッチャーは死ぬ時に必ず頭部が爆散する。
側頭部の制御装置のせいだ。ブッチャーは死ぬと、この装置が爆発して必ず頭部を吹き飛ばす仕組みになっている。
人間も敵陣で兵器が行動不能になると、それが敵の手に渡らないように爆破処理するわけだけど、それと似たような感覚なのかも知れない。そんなことを考えていたら、こめかみにむず痒さを感じた。いつ爆発するか分からないものを脳の奥深くに埋め込まれているという事実を意識すれば、どうしても気になってしまうものだ。こういうときは殺人で気分を紛らわすのが手っ取り早い。
僕は機関銃を腰だめに構え、銃口を遠くの小隊に向けた。彼らはセオリー通り散開隊形で前進を続けている。
その中の一人が、顔を引きつらせて指を差すのが見えた。口をパクパク動かしている。機関銃を構える僕の勇姿を認めたようだ。
そうして彼らが足を止めた瞬間を見計らって、僕は引き金を引いた。
ドッドッドッドッというリズミカルな発砲音と同時に、パンパンパンパンと次から次へと血煙が上がっていく。ランボーも真っ青のシーンだった。
狙いは正確だ。
重機関銃と、対物ライフルの銃弾は同じものなんだ。僕にとってこれは、いわば慣れ親しんだ相棒の親戚。それをブッチャーの膂力《りょりょく》で構えれば銃身はブレもせず、マズルジャンプすらしない。ブッチャーバッグの補助も合わせれば、要するに、狙撃兵の正確さで機銃掃射しているようなものだった。
右から左へ。重機関銃を水平に動かして小隊を一掃した。
銃口から煙が消えるまで待ってから、援軍が来ないことを確認し、僕は腕を下ろした。
ひとつ溜息をつき、後ろを振り返る。
死屍累々。
先んじて僕が始末した人間の小隊、ふたつ分の死体が転がっていた。
僕は捕虜は取らない主義だ。一応、捕まるよりは死んだ方がマシだろうという仏心を見せているつもりだった。僕を嵌めた連中なら、話は別だけど。
今回、僕に与えられたミッションは待ち伏せと迎撃だった。終わった。帰ろう。
そう思って歩み去ろうとした矢先、制御装置から声が聞こえてくる。
――生存者の捕縛をして帰投しろ。生存者の捕縛をして帰投しろ。
これ、僕をコントロールするためのシグナルなんだけど、僕にはこの制御がきいていない。とはいえ無視するとあとが困るから、今はエイリアンどもに支配されているフリを続けなければならなかった。
しゃあなし――とばかりに嘆息をついてから、ブッチャーナイフをゴリゴリと引きずって血の海を徘徊する。
切断された胴体。弾け飛んだ頭部。散り散りの肉片。
ふと、そんな中にピクリとする肉を見つけた。
僕が地面を揺らしながら歩み寄っても、その肉はうつ伏せのまま動かない。
でも無駄だ。ブッチャーバッグは生物の反応も教えてくれる優れもの。擬死の演技もお粗末。バッグの補助がなくたって、胸が小さく上下しているのが分かるし、指先もかすかに震えている。
――この男……。
周りで味方が殺されている間、ずっと死んだふりをしていたな?
そう思うと、ゴッと僕の腹の底で沸騰するものがあった。
昏く渦巻くそれは、怨みだ。
僕もまた、こういう卑怯者に裏切られたに違いない。
今、僕が囚われているエイリアンの街は、元は人間の最前線要塞都市だった。エイリアンの侵攻で奪われた街なんだ。僕はその防衛戦に参加していた。あの時、人間側は劣勢だった。そして僕は取り残されたというわけだ。
一人ならどうとでもなった。当時の僕は斥候だったから、敵の包囲から逃げるのは十八番。でも取り残されたのは僕だけではなかった。多くの市民や負傷兵も残されていた。奴らはそのすべてをひっくるめて餌にして、通告もなくこっそり撤退したんだ。
結局、僕が救い出せたのは十分の一にも満たなかった。最後は重要人物を回収して撤収している最中だったと記憶しているけれど、そこで失敗したんだと思う。自分の最期はよく覚えていない。でも、それで満足だった。もう戦い疲れていたし、それで死ぬつもりだったからだ。最後にいい仕事ができたとも思っていたのに――。
死ねなかった。
卑怯者のすぐ隣に立った。彼は果敢にも死んだふりを続けている。その勇気を別の方向に向けられなかったのか。
捕虜にしてもいいけど……。
僕は首をゆっくりと左右に振りながら、周囲の生存者を探すフリを続け、卑怯者の後頭部に足を乗せた。
「あ」という小さな声が聞こえたのと、足の裏に卵を踏み砕くような感触があったのは同時だった。
うっかり事故に見せかけて、意識の外で殺す。無価値な道ばたのゴミのように踏み潰す。君は生まれてくる価値もなかったと分からせる。こうすれば彼は未練なく死んでいける。無価値だから。
これが僕の優しさであり、今も残る人間性の証明だった。
他に生存者はいないようだ。これにてお仕事完了。今度こそ帰ろっと。
奪った重機関銃は途中で隠していかないと。こんなもの持って帰ったら大騒ぎになる。ブッチャーはエイリアンからしても持て余すほどの戦力だから、彼らは必要以上に強力な武器を与えないようにしているんだ。いつもならこの場で捨てていかなくてはならないけど、今日は僕を使役するエイリアン――〈ラッシャー〉と呼ばれる直接的な上司が早々におっ死んでくれたから、帰り道は自由だ。少し寄り道して行こう。ラッシャーを殺してくれた誰かさんに感謝。
そのまま姿をくらます? 駄目だ。
理由は僕の側頭部に刺さった、この制御装置。
これ、自爆装置でもある。
ラッシャーが死亡した今、一定期間内に施設へ戻らないと、脳味噌バーンで死んでしまう。
僕が今も大人しくエイリアンに使役されている理由が、これだ。
僕はこの装置を解除するか、あるいはその制御端末を奪い取らないと自由になれない。今の僕の第一優先度目標《ファースト・プライオリティ》だった。
――生存者の捕縛をして帰投しろ。生存者の捕縛をして帰投しろ。
原理は不明だけど、遠方からでも定型の命令は出せるみたい。僕を使役するラッシャーが死んだとしても、すぐにこういった大雑把な、帰ってこい的な指令が飛んでくる。たぶん、無視して遠くに行くと脳味噌バーンの刑に処される。
普通、貴重な兵器が戦場に放置されたら回収部隊を送るよね? 兵器に大雑把に帰ってこいって命令して、帰ってくれば良し。帰ってこなければ処分。なんてことする? エイリアンには、こういう雑なところがある。もっとプロ意識を持っていただきたい。
今日は、あちこちで人類による侵攻があったようだ。久しぶりに大規模なものだった。
でも、きっと他の戦地でも似たありさまに違いない。
最近、人間側の戦力は弱っている。
今晩あたりは、またたくさんの捕虜が出るんだろうな。
今度はどんな女の子がやってくるのやら。
誰が来てもやることは同じ。
慈悲深く犯し、ギリギリまで慰めてあげて、最後は心を壊して送り出してあげる。
これも僕の優しさだ。
女の子は、お姫様のように扱われる権利がある。
昔、そんな王子さまとお姫様のお話を聞いて憧れていた気がする。誰かが僕に読んで聞かせてくれていたような、そんなぼやけた記憶があった。
言うなれば、今の僕はエイリアン側に紛れ込んだ王子さま。囚われたお姫様の心を天国に送り届け、あの地獄から解放し、救い出してあげるんだ。
ほら。こんなに優しい部分を残したままの僕の精神は、まだ正常だ。
僕は人間だ。
【重機関銃】
要するに巨大な銃。人の手では持てないほど重く、その威力は乗用車程度なら蜂の巣にできる。
人に当たれば穴が開く前にはじけ飛ぶ。エイリアンにも有効打となるが、ジェヴォーダンは食らうと痛いから嫌だなくらいにしか思っていない。なおジェヴォーダンならば、この銃でも普通に持って撃てる。ランボーも真っ青である。
(次回更新 12月30日(月))