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- 【マゾヒズム】
- 略してマゾと呼ばれるマゾヒズム(masochism)は性的快感をともなう被虐趣向のことだ。
サディズムがフランスの作家マルキ・ド・サドからとられているように、マゾヒズムはオーストリアの作家レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ(Sacher= Masoch)の名前にちなんで、サディズムと同じくクラフト・エビングが命名した。
彼の代表作でありマゾヒズムの悦楽をいかんなく発揮したものとして『毛皮を着たヴィーナス』がある。かつて館淳一氏が「マゾは偉大だ」と言ったことがあるが、マゾがいなければサドは成立しない。
ポルノ小説ではSとMの役割を持つ関係が描かれていなければ面白くない。ここで勘違いしてほしくないのは、SM=鞭、蝋燭、縄等ではないということだ。
考えてもみてほしい。許され合った関係にいる二人が性交しているシーンをどんなに事細かく描いたところで、読んでいるほうは大して面白くない。たとえ愛し合う二人であれ、そこに羞恥や屈辱、換言すれば、羞じらい、恥ずかしいという気持ちがなければ、性交相手も、読む者も興奮しないのが普通だ。だからこそマゾヒズムは、禁忌(タブー)と同様、ポルノ小説には必要不可欠なのである。
フランス書院文庫では大別して3つのマゾのパターンがある。
1つは、綺羅光や蘭光生に代表される、徹底的に凌辱して女体に眠るマゾヒズムを呼び覚まし、調教して君臨するパターン。男の独占欲を喚起する小説だ。
2つめは、女は元来マゾなのだという考えに基づき、呆気ないほど女が自分のマゾ性を自覚し、ずるずると深みにはまっていくという、佳奈淳や香山洋一が得意とするパターン。この場合はマゾ女に視点のほとんどが置かれ、女の羞恥心や可愛さ、いじらしさなどがクローズアップされてくる。女性読者ファンが多いのも特徴だ。
3つめは、男のマゾ。かつてはあまり描かれなかったが、昨今では館淳一や蒼村狼、岡部誓らが積極的に取り上げており、人気を博している。男のマゾはちょっとなあ……と思う人も、読んでみれば面白さがわかるはずだ。なぜなら、人は誰しもSとMの要素を秘めているのだから……。
というわけで、マゾというのは貴重な、奥が深い精神のありようなのである。