08/22 電子版発売

羅刹鬼5 獣の帰還

著者: 赤だし滑子

電子版配信日:2025/08/22

電子版定価:990円(税込)

エイリアン陣営と一時休戦し、人類への報復を目論むジェヴォーダン。
タイターニアの力を借り、因縁の軍事都市・フォート88の地下へ潜入!
〈ピッグス・ヘイブン〉フォート低層に位置する、闇の巨大スラム街。
欲望と暴力が蔓延する新天地で、仇敵を探す復讐鬼が暗躍を始める!
薬も春も売り捌くマッチ売りの少女・ナツキとの邂逅で、街の暗部に呑み込まれ……
一方、アビゲイルは彼の古巣の特殊部隊・フォックスに急接近!
──帰ってきたぞ。あの地獄から。SFダークファンタジー、神出鬼没の第4巻!

目次

第十三章 蟻塚城

第十四章 エコーナイン・ダウン

第十五章 聞き取り調査

第十六章 ツートップ

第十七章 束の間のハネムーン

第十八章 冷たい雨空

第十九章 真の名前

第二十章 マッチ売りの少女

第二十一章 獣の帰還

第二十二章 恋人契約

第二十三章 サンタクロース

第二十四章 築かれた偽りの家庭

第二十五章 破壊のろうそく

第二十六章 大きな足跡

特別書き下ろし 宇宙的ラテックスモンスター

本編の一部を立読み

第十三章 蟻塚城

 ◇◆◇(ジェヴォーダン視点)

 フェイムバウムを折り返してから、三日目の夜。
 フェリス返却の旅は結局、往復で一週間の出張となってしまった。
 タイターニアが待っている拠点までは、あと少しだったけど、赤アリくんことフェラーリは太陽が出ていないと走れないみたいだったから、無理をさせずに休息を取らせることにした。そうして僕が火を|熾《おこ》そうかと枝を拾い集めていたとき、ふと、その拠点があるべき遠くの山に、緑の光が無数にまたたいていることに気がついた。
 闇夜にチカチカとまたたく緑の光を遠目に睨み、僕は悩んだ。
 ――あれ、なんだろう……。
 まさか人類から攻撃を受けていないかと心配になったけれども、耳を澄ませてみても戦闘の音は聞こえてこないし、火の手も上がっていない。襲われているというわけではなさそうだ。
 緊急の事態になれば、またミラーを通じてタイターニアから連絡が来るだろう。そう判断して、ここでフェラーリと一緒に大人しく夜明けを待つことにした。
 落ち着いて眺めてみると、緑の発光は闇夜の中でゆっくりと明滅を繰り返していて、なかなか|趣《おもむき》があった。さながら都市の夜景のよう。
 そして夜が明けた。
 早朝、まだ低い位置にある太陽を背に、フェラーリを|急《せ》かして駆けつけた僕は、そこで唖然と山を見上げることになる。
 ――なんじゃこりゃぁ……。
 今の心中を表現すると、そのひと言だ。
 朝日に照らされて目の前に広がったのは、想定外の光景だった。
 拠点にある洞穴は、谷間の山腹にある。本来であれば、その斜面には|鬱蒼《うっそう》と木々が林立する地形だったはずだ。
 だがしかし、今はどうだ。木は一本も生えておらず、地面は無残にも剥き出しの状態。山の一面が岩山へと変化してしまっている。ゴツゴツと|歪《いびつ》で赤茶けた岩肌は、普通の地層とは違っていて明らかに異質だった。
 目を凝らすと、山の表面を何か――たぶん虫くんたちが――わしゃわしゃと這い回っているのが見える。頭だけ肥大化した彼らは茶色で、柔らかそうな白い胴体と脚がある。見ようによってはシロアリに見える――うん、シロアリだ。デカいけど、シロアリ。気の弱い人が見たら卒倒しそうな光景だった。
 僕は必死になってこの謎を推理した。いったい誰が、どうやって。考えるまでもない。彼女だ。
 ぽっかりと口を開けた洞窟の中から、おもむろにタイターニアが歩み出てきた。
「ジェヴォーダン」
 艶のある声が脳髄に響いた。
 ただいま。
 小さく手を上げた僕を見て、はにかむタイターニア。手を前に組んで、立ち姿がすらりと相変わらずお上品だ。おまけに、なんと、今朝の彼女は白いドレスに身を包んでいるではないか。とってもゴージャス。見違えた。例の蜘蛛糸製だろうか。キラキラとした|光輝《こうき》を全身に散らして、もはやなんと言うか、神々しい。女神降臨って感じ。
 僕はフェラーリから飛び降りた。
 小走りに駆け寄ってきた彼女を抱きとめる。
 うなじから立ちのぼってくる甘ったるい花の香気に、頭がクラッときた。彼女も、僕の分厚い胸に頬ずりして嬉しそう。感動の再会だ。ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も――――などと、僕が夢を広げた、その瞬間。
 タイターニアの顔から、さぁっと音を立てて色が抜けていくのが分かった。
「……」
 彼女は訝しげに身体を離し、ぺたぺたと僕の身体をまさぐった。その表情は真剣そのもの。よく分からない僕は、そんな彼女の頭を撫でながら待つほかない。
 タイターニアの髪の毛は指通りがなめらかでサラサラにもかかわらず、マットな質感なのが不思議だ。彼女が動くたびに、つむじからいい香りが立ちのぼってくる。無限に撫でていられる、飽きの来ない魅惑の黒髪だった。
 しばらくそうしていると、やがて彼女は動きを止めて、静かに僕の顔を見上げてきた。
「ジェヴォーダン……」
 僕の名前を優しく口に出しながら、タイターニアが腕を取ろうと手を伸ばす。
 その次の瞬間――。
 パチッ!
 まるで静電気が走ったかのように火花が散って、その指先が|弾《はじ》かれた。
 彼女は反射的に手を引き、ビックリした顔になって硬直する。
 その口元から、チッと舌打ちが聞こえた。
 一瞬だったけど、彼女が鼻の頭にしわを寄せるのが見えた。怒ってる。僕、何もしてないんだけど……びくびく……。
 怯える僕に、触れるか触れないかの距離で手をかざし、タイターニアは金色の瞳孔を妖しく輝かせる。彼女の左手は、いつしか白く燃え上がっていた。
 ――手が、燃えてますけど……大丈夫……?
 僕の心配をよそに、彼女は本腰を入れて僕の周囲をくるくる、ぺたぺた。
 お腹を|診《み》て、腕を診て、背中を診て、背伸びして僕の頭を診る。密輸品を暴き出す税関さながらの熱心さだ。
 そうして全身を確認し終えた彼女は、最後に正面から僕の胸に手を突いて、がっくりと|項垂《うなだ》れた。
「はぁー……」と、大きな大きな溜息をひとつ。
 次に彼女が見せたのは、呆れ顔だった。
 うーん……これは甲斐性なし夫の風俗帰りを呆れる妻の顔だ。間違いなく、ティリエルに何かされたのが影響しているんだろう。なにか言い訳がしたいのに、できないの、きっつ……。
 いや、僕は言い訳のしようがない。
 あのとき、ティリエルが何やら魔法の説明をしてくれたのは覚えてるんだけど、実は僕、よく聞いてなかったのである。どうやって彼女のお尻を攻略して和姦に至るか、ということしか考えていなかった。助平ここに極まれり。
 だいたいさ、エイリアンのみなさん、話が難しいんだよね。込み入った話になると急に早口になるしさ。そういうのよくないと思うんだ。難しい話こそ、かみ砕いてゆっくりとよろしく。
 タイターニアはこめかみに指を当てて悩む仕草を見せ、しばらくその場をうろうろ……うろうろ……と行ったり来たり。
 なんだか、彼女に迷惑をかけてしまったようで居心地が悪い。
 とはいえ、いつものようにペロペロとじゃれついて許しを請うような雰囲気でもない。今の彼女は真剣モードだ。だから僕も大人しく直立不動。周囲の木々と一体化して明鏡止水。無の境地で審理を待つ。晩ご飯抜きの刑くらいでお願いします。射精管理の刑は勘弁してください。それは残酷すぎます。
 熟考の果てに、もーしょうがないわね、とでも言わんばかりの、諦めを含む笑みが彼女の顔に浮かんだ。
 タイターニアは最後に、小さな嘆息をついて僕の指を握ると、そのまま僕を引っ張ってくれた。先ほどまでのピリついた雰囲気はつゆと消えていた。何に怒られ、どうして許されたのかも分からない愚かな僕は、戸惑いを胸に彼女についていくことしかできない。
 入り口の左右に立つ、警備兵のようなカマキリに迎えられ、僕らは山の内部に入った。
 拠点があったはずの山腹を、巨大な岩壁が飲み込んでしまっていた。その内部は暗く、とてつもなく長く入り組んだ地下道となっていた。
 トンネルの内壁を手で触ってみると、それは不思議な手触りで、ザラザラと粒状のコンクリートに似た素材で出来ていた。通路の断面は丸く、かまぼこ型。車が二台ほど並んで通れる大きさがある。
 そうこうしながらトンネルを歩いていく途中、壁面に緑の光源が散っていることに気がついた。無数の控えめな照明が、暗黒の中に浮かぶ緑のトンネルを歩いているような不思議な感覚をもたらしてくれる。
 光源を観察してみると、その正体はやっぱり虫だった。芋虫みたいな小さな生き物が、壁や天井にくっついていて、そしてそのお尻が光っているんだ。これは、ホタルかな。そういえばホタルって卵も幼虫も光るんだっけ。
 一匹の幼虫ホタルが出す|燐光《りんこう》は、星明かり程度の光量しかないけれど、これだけ集まればそれなりの明るさになる。昨晩に見えた光の正体も、たぶんこれだろう。
 そんな暗闇のトンネルで、何匹もの大型犬サイズのシロアリくんたちとすれ違った。彼らはお仕事中らしく、忙しそうにしていた。
 ――なんとなく、見当がついたぞ。
 これ、|蟻塚《ありづか》だ。
 僕が留守にしていた間に、拠点の洞穴のみならず、山を丸ごと蟻塚が飲み込んでいたというわけだ。なんてこったい。
 ある種の感動を胸に、未知の構造物をキョロキョロと観察しながら歩いていると、タイターニアが気を利かせて、いろんな部屋を見せてくれた。彼女の鼻息は荒く、どこか得意げにも見えた。
 ふと、妙に香ばしくておいしそうな匂いに誘われる。
 あまりにもいい匂いだったものだから、つい部屋の中にふらりと入ってしまった。
 中は暖かく、|湿気《しけ》ていた。そこは床や壁にサッカーボール大の塊がひしめいている部屋だった。スポンジ質の塊だ。鼻を近づけてみる。クンクン。部屋から漂ってきた香りと同じ匂いがした。やっぱりこれが匂いの元だけど、なんだろう。見当もつかない。
 謎の塊をしげしげと眺めていると、タイターニアがそれをひょいともぎ取って、僕の肩にくっついていた蜘蛛のダイヤに差し出した。するとダイヤは喜び勇んでそれをムシャムシャと食べてしまうのだった。
 僕は、それがキノコであることを見抜いた。
 アリくんたちは、この部屋でキノコを栽培しているようだ。
 キノコって危ないんだ。大半が毒。いい匂いがする場合もあるけど、やっぱり九割がた毒だ。人間にとって無毒でも、犬には有毒であったり、その逆もまた|然《しか》り。簡単に見分ける方法は存在しない。当たったときのダメージも半端ない。サバイバル環境だとリスクの塊と言える。フォックスでもキノコ食はNGとされていた。キノコ食うくらいなら飢えて死ね。そっちの方が楽に死ねるから。ダイヤが食べられるからって、僕も食べられるとは限らなムシャムシャ……。
 うんまーい!
 そしてこの舌に残る感じはタンパク質だな。栄養満点系か。
 ――なるほどねぇ……。
 つまりタイターニアは、虫くんたちを蟻塚内部に棲まわせて、キノコ農業で養うつもりみたいだ。素直にすごいな。
 蟻塚には他にもたくさんの部屋があった。アリくんたちだけじゃなく、いろんな虫くんがその中に収容されていた。オオムカデの五号君の部屋は、ボス部屋みたいな広さだった。
 その規模は僕の想像をはるかに超えていて、蟻塚は山の表面だけに留まらず、山体そのものをくり抜き、地下深くにまで坑道を張り巡らして築かれている様子だった。
 これはもはや、城の規模だ。山城。
 素朴だった僕の拠点は、蟻塚城とも言うべき姿に変貌を遂げていた。
 タイターニアは山ひとつ丸ごと使って築城しちゃったみたい。しかも、たった一週間で。虫くんたちのマンパワーは半端ないぜ。
 しばらく彼女に連れられる形で新居を内覧していると、蟻塚のコンクリート素材がぱっと途切れて、本来の山の地質が姿を見せた。
 そこは僕の洞穴だった。たくさんの銃器が鎮座したままだ。無骨な武器が並んでいるのを眺めると、それだけでほっとするものがある。我が家だ。ありがたいことに、僕の部屋はそのまま残しておいてくれたみたい。
 足元を冷たい空気が撫でていった。
 ふと、そんな感触に誘われて振り返ると、本来の拠点の入り口から、まっすぐに通路が延びて外へ直結しているのが分かった。奥に陽光が見えている。そこから外気が流れ込んできているようだ。
 太陽の気配に惹かれて外に出た。
 急激に増した光量が、僕の眼球の奥をギュッと締め上げた。
 瞬間的に白飛びした視界が、ゆっくりと順応してくる。
 そこは広いテラスになっていた。
 鷹が、目線と同じ高さを飛んでいる。
 周囲の地形が一望できるほどの高さだった。遠くで雲をかぶった山々を見渡せる、雄大な眺望。その贅沢を独り占めできた。
 手すりもないテラスの縁に腰をかけ、足を放り投げる。
 地上をのぞき込むと、股間が吸い込まれるような錯覚を覚えた。これが玉ひゅんか。
 そんな僕の隣に並ぶ形で、タイターニアがちょこんと腰をかけた。
 細い肩を抱き寄せると、彼女は僕に身を任せくれた。腕の中の温もりに、心の底からほっとする瞬間が訪れる。ひゅーっと吹き抜けていく清涼な風が、僕の仕事をねぎらってくれているようにも感じられた。
 ようやく、二人きりだ。
 長かった。
 冬の日差しが、僕らを暖かく包み込んでくれていた。まるで太陽が祝福してくれているようだ。穏やかな時間が流れていく感覚は、格別の幸せだと思った。
 感慨深く溜息をつく僕に、ススッと脇から差し出されたのは、謎の木の器に注がれた、謎の茶色い液体。巨大蜘蛛くんが持ってきてくれた。ありがとう。
 それを迷わず口に含む。
 信じがたいことに、ココア味だった。思わず飲み干してしまう。
 吸い込まれるような遠景を背景に、ふう……と一服。
 ……。
 いやー……。
 やーばいですよ、これは……。
 まずい。目立ちすぎる。
 これはもう、ただの|的《まと》だ。
 エイリアンは乗り込んでくるのがお好き系だけど、チキュウ人は遠距離から一方的にぶっ壊すのがお好き系なんだ。
 これでは|自走榴弾砲《ホイッツァー》に、僕らはここですどうぞ好きなだけ撃ってください、と言っているようなものだ。こんなでかい標的、演習の的より当てやすい。山の向こうからでも車列を組んで百発百中。観測手すら不要なのでは?
 いや、まさか、たった一週間で居城を構えるとは思っていなかった。僕の予想の上の上を行く凄まじい指導力。そして実行力。
 とても立派なお城だ。正直感動した。この遠景は控えめに言って、さいこー!
 でもさ、航空優勢を取った人類は怖いよ?
 人類の|主《しゅ》たるファイアーパワーは、空からやってくる。
 エイリアンの連中も、もうその点は理解しているから、陣地を組む際には謎の防御膜とか、謎の怪光線とか、目に見えない謎パワーでしっかりと対策をする。あいつら、人工衛星すらも引きずり下ろせるんだ。エイリアンの防空能力は人類の百歩先を行っていて、僕らはこれを突破できなかった。
 逆に言うと、空さえ確保できれば人類はエイリアンと互角以上に戦えるということだ。敵の防空能力を無効化するということは、兵士たちの悲願だった。それさえできれば戦局をひっくり返すことだって夢じゃなかったから。
 そういえば昔、エイリアンの防空装置を破壊する目的で、一度だけ決死隊を組んで敵地の奥深くまで少数浸透した作戦があったけど、そのときは僕の相棒も含めて半分以上の仲間が死んだっけ。めちゃくちゃだと思うだろうけど、人類が空を制するということは、それくらいの価値があるんだ。
 まぁそれはともかく、エイリアンはそうやってミサイルや航空機を苦もなく迎撃できるわけだけど、タイターニアたちにはできるのかな?
 できないと、さすがの虫くんたちにとっても人類の航空戦力は脅威だろう。
 確かに、この蟻塚はコンクリートなみに頑丈そうだ。でもさ、何十発もの巡航ミサイルで攻撃されたらキツいでしょ。地下に避難すればいいって? でもね、飛行機の侵入を許すとね、地中貫通爆弾ってのが降ってくるんだ。中から粉々にされちゃうよ。
 火砲だって馬鹿にできない。分厚い弾殻で易々とコンクリートを撃ち抜く砲弾だってある。特殊貫通弾っていうんだけど。何百発もそれが降り注いできたら耐えられないと思う。昔の戦場には、砲弾の雨あられで、ごっそりと形が変わってしまった山だってあるんだ。
 他にも〈ドラゴネット〉って呼ばれてるガンシップがあるんだけどね、それ空飛ぶ戦車なんだ。
 比喩じゃなくて、ほんとに空から戦車砲弾が落ちてくるんだよ。すごいでしょ。榴弾砲とは違うよ。戦車砲って、主に敵の戦車を破壊するために設計されているから、貫通力が桁違い。もちろんドラゴネットは榴弾砲も装備してるし、大量のロケット弾もばらまける。高空でひたすら旋回して戦車砲で狙われ続けると、隠れるところがない。怖いよ? トーチカに逃げ込んだって意味ないからね。
 ドラゴネットの到着を聞いた地上兵の中には、龍神さまがやって来られた! って膝を突いて手を合わせ、空に向かってむせび泣く兵たちもいる。ドラゴネットの登場で逆転勝利した戦場には、いつしか竜を|象《かたど》った祠が建つんだって。それくらい絶大な地上制圧能力がある。まさに近接航空支援機界の神だね。
 あとね、40㎜ガトリング砲なんていう|気狂《きちが》い兵器を引っさげて飛んでくる飛行機もあるんだ。〈ダック・リベンジャー〉って呼ばれててね、|鴨《かも》が|葱《ねぎ》をしょって来るってわけじゃないんだけど、そのかわりに、鴨の亡霊がぶっといガトリング砲を背負って冥界から復讐しに帰ってくる、っていうジョークなんだって。笑えないね。僕は子供の頃、その話を聞いてから、しばらく鴨を見かけても怖くて撃てなくなった。
 ちなみに、その怪物ガトリング砲は正義の葱束――〈ジャスティス・リーク〉っていう異名がついてる。一部のコミックオタクには大ウケだとかなんとか。毎分四〇〇〇発で吹け上がる焼夷徹甲弾の砲撃音は、ぐわあああああああんッ! っていう感じで、鴨の声に似ているんだって。その声を聞いたときには、もう肉片も残さず塵になってるだろうけど。
 ほらね。とにかく人類に空を明け渡すと、やーばいんですよ。
 あぁ、大失敗。
 僕はプロだから――なんて、かっこつけてる場合じゃなかった。今からとって返して、リディアに土下座セックスの上であのテレパスが使えるようになるペンダントを譲ってもらわないと。防空能力について、タイターニアとじっくりと話し合う必要がある。
 きっと、なにか対抗策はあると思うんだけどさ、僕はそれを知らないからすごく不安…………んんんん?
 知らない?
 知らない!
 げげっ、分かっちゃったかも。
 タイターニア、君って、ひょっとしてチキュウ人のことを詳しく知らなかったりする?
 僕と一緒に牢獄にいた立場なら、ありえるぞ……。
 まさか、防空のことなんて、はなから頭にない……?
 心臓をバクバクさせる僕と目を合わせ、彼女は首をかしげてニコッと。かわいい。
 ――やばいよ、やばいよ……。
 この場所がどんな場所なのかも、早く伝えないと。ここ激戦区なんです。
 僕の腕に頬をスリスリ。目にハートを浮かべて濡れた眼差しのタイターニア。勃起せざるを得ない――いや、すっかりエッチなモード入っちゃってるけど、それどころじゃない。
 僕の背中でじっと大人しくしていたダイヤをつまみ上げ、彼女にけしかける。ロマンチックな空気に気を遣っていないで、僕の伝言を一刻も早く彼女に伝えてください。
 押しつけられて、タイターニアがダイヤと睨めっこした。ダイヤもダイヤで、彼女の両手の上で必死のバンザイ・スクワットを繰り返しているんだけど、ちゃんと伝わっているのだろうか。ただでさえ不安定な伝言ゲームだ。蜘蛛を介するなんて無茶がすぎる。
 しばらくダイヤのダンスを眺めていた彼女は、やがて目を細め、唇に指を当てると「むーん……」とうなってから、僕に向き直った。
 自分の両腕をさすって、身体をブルブル。寒いのジェスチャー。
 開いた口に手のひらを当てて「はわーっ……」とあくびをして見せる。そのまま両手を合わせて頬に当て、顔を倒してすやすやと安眠のポーズ。何その仕草、スーパーかわいい。
 寒い……眠る……。
 ああッ!
 冬眠!?
 なるほどねぇ~~~~ッ!!
 なんて膝叩いてる場合じゃない。
 そういえば、ダイヤも寒いから早く帰って寝ようとか言ってたな。そのときは、こいつ怠惰なこと言ってるな、くらいにしか思わなかったけど、そうか。虫くんたちは冬眠をするのか! この蟻塚城も、冬越しのシェルターを兼ねているってことか!
 なんてこった。
 それじゃあ、これから数ヶ月、ここから離れられない……ってこと!?
 危機一髪。ダンタリオンと非公式の停戦協定を結んでおいて、本当によかった……。
 これじゃあ、戦争どころじゃないよ。だからタイターニアもあっさりと提案を承諾したんだな。あれって、話の流れだと、店長が提案してくれたんだっけ。両手を合わせてフェイムバウムの方角を拝んでおこう。メルシー・ボクー、店長。
 カモフラージュしよう。せめて。
 蟻塚城の、この違和感をカモフラージュしたい。あと、ホタルくんたちは内部に収納。剥き出しの岩山一面が光ってたら怪しいにもほどがある。
 あれやこれやと必死のジェスチャーを繰り返し、なんとかタイターニアに理解してもらえたような手応えを得た。
 その直後。
 遠くから、聞き慣れた音が届いた。
 兵士にとっては心躍る音。この音が聞こえれば反撃開始か、撤収か。
 でも今の僕にとっては、絶望の音でしかなかった。目の前が暗くなる。
 ――なんという間の悪さ……。
 小さな頭痛を感じつつ、僕は遠くの空を睨みつけた。
【蟻塚】
 アリの巣は地下に伸びるものと、地上に積み上がるタイプがある。地上に積み上がるタイプの巣を蟻塚と呼ぶ。特に、シロアリが作る蟻塚は非常に硬く、殴ったり蹴ったりするくらいではびくともしない。アリすごいと思うが、シロアリはアリの名前を持つものの、アリではなくゴキブリの仲間である。ややこしい。
 アリの巣は、単に女王アリが繁殖するための場所ではなく、ある種の社会が築かれ、そこには葉っぱを腐らせてキノコを繁殖させたり、外部の虫を招き入れて棲まわせて共生したり、アリ自らを蜜の貯蔵タンクのようにしたりと驚くべき機能を持つものまである。やっぱりアリすごい。
第十四章 エコーナイン・ダウン

 ◇◆◇(第三者視点)

 ローターが激しく空気を切り裂いて飛行する。
「こちらエコー・ナイン。ワン・ゼロ・ワン・ファイブ。ブラックボックスを回収。これより帰投する。オーバー」
 騒音に負けないよう、操縦士は大きな声で報告した。
〈|鈍亀《どんがめ》〉と呼ばれるこのヘリコプターは、戦場に張り巡らせた見えない防御膜を突貫して前線に駆けつけられる、唯一無二の有人航空機だった。
 戦争初期において、航空機開発は、透明な壁で出来たまるで迷路のような防空網を、いかにして回避するかという点に主眼が置かれていた。この|と《・》|ん《・》|ち《・》のごとき難題を前にした世界最高峰の開発者たちは、しかし当然のことながら、見えないものを回避しようもなく。開発は遅々として進まず、人類滅亡という途方もないプレッシャーの中で未知の難題を前に、全員がノイローゼにかかって倒れていった。
 そんなある日のこと。
 連日の不眠不休にぶち切れた、とある設計者が、なかばキレ気味にひと晩でぶち上げた設計コンセプトが、この状況を打開する鍵となった。すなわち「避けられないなら、ぶち破っていこう」という逆転の発想だ。鈍亀はそんな単純明快な方針に忠実に従って設計されていた。なお、その設計者はのちに初代〈|魔改造《ディアボリカル》〉と呼ばれ、数々の迷兵器を戦場に投入することになる。
 鈍亀のローター・ブレードは、普通のヘリコプターのそれよりも分厚い。素材も頑丈で、一枚一枚がつるぎのように研ぎ澄まされており、そして何よりも、翼端にカナヅチを彷彿とさせる鉄塊がついているのが特徴だ。防御膜を叩き割るためだった。
 この豪快で安易な発想が、思いのほか効果があった。
 ゆっくり進めば膜はバリンバリンと小気味よく割れた。ボディの防殻も厚く作ってやれば、直接的な対空魔法にも多少は耐えられるものとなった。しかしその代償として、この機体は大変に重く、遅く、そして高度も出せないというヘリコプターらしからぬ代物となった。その動きは極めて鈍重で、直接戦闘には不向き。できることと言えば、のんびりと人員や物資を運ぶだけ。ゆえに、ついたニックネームが鈍亀である。
 ところがこの鈍亀、いざ実戦投入してみると期待を上回る成果を上げた。
 援軍と物資を引き連れて戦場に駆けつけ、逆に飛び去るときには弱った兵士を回収するという、歩兵の命綱としての役割をきっちりとこなしてみせたのだ。結果、鈍亀はその間抜けそうな|渾名《あだな》とは裏腹に、兵たちに今もなお愛され、同時に頼りにもされている。
 そんな鈍亀が、最前線の鬱蒼とした森の上すれすれを飛んでいた。
 ヘリの後部では三人の兵士が会話をしていた。先日、エイリアンに破壊された前線基地の調査と、物資の回収任務に当たっていたエコー・チームの三人だ。
「軍曹、二人目の娘さんが生まれたんですって?」
「ああ。先週にな」
「そりゃめでたい! 奥さん似で、きっとかわいいんだろうな」
「そうだな。なんというか……かわいいな」
 軍曹と呼ばれた男が、照れ気味に禿げ上がった頭をペチンと叩いた。
 瞬間、空気がどっと沸いた。
「はっはははッ! エコーの鬼教官がすっかり丸くなっちまった!」
「帰ったらホームパーティーをやりましょうよ。実は第二環状路の屋上が貸し切りで取れそうなんです」
「ほー、あそこは最近できたばかりで予約が…………ん、なんだ?」
 穏やかに会話に応じていた軍曹が、不意に目を細めて外を見た。
 ヘリの側面から顔を出す彼の表情に、強い警戒感がにじみ出ている。
「あれは?」
 軍曹が指し示した方向に、全員が目を向けた。
 遠くに見えている山の一面が、岩が剥き出しの状態となっているのが目に入った。それは|茅《かや》色で、妙な色味の岩だった。山肌一帯の森が失せて禿げ上がっており、土砂崩れが起きたあとのようにも見えた。
「この辺りに、あんな地形あったか?」
「いや」
「エイリアンが森を切り開いたのでは?」
「にしては、妙に盛り上がっているな。山に、粘土かなにかを塗りたくったような状態になってるぞ。あれはなんだ?」
「確認しに行きますか?」
 操縦士が振り返って軍曹に聞いた。
 軍曹は逡巡し、
「近づきすぎるなよ。距離を取って、望遠で確認すればいい」
 と指示を出した。
 操縦士が「ラジャー」と答えた、その直後。
 正面の森から、彼らの進路を塞ぐようにして|も《・》|や《・》が湧き上った。
 それは煙のようにも見えたが、空の中をうねり、刻一刻と形を変えていた。
「あれは……?」
「山火事……でしょうか……?」
「いや、違うぞ」
 軍曹が操縦士の隣に身を乗り出した、そのとき。
 パチッ……と音が鳴って、フロントガラスに小さなゴミが付着した。
 それはまるで食べかけのガムをなすりつけたようにして、ガラスを汚した。
 やがてその音がパチッ、パチッ、パチッと急速にペースを上げていく。
「うぉ!? なんだこいつ、どこから……」
 ヘリの後方から、戸惑いの声が上がった。
 軍曹が振り返ると、中年の兵士の服に虫がくっついていた。
「|蛾《が》、だと……?」
 息を呑んだ軍曹が、慌てて操縦士に叫ぶ。
「まずい……あれは虫の大群だ!」
 煙だと思われた黒いもやは、大挙して舞い上がった蛾の群れだった。
「旋回しろ! エンジンが吸い込むぞ!」
「らじゃ――……うっ!?」
 指示を受けた操縦士がレバーを握り締めたのと、強い縦揺れがあったのはほとんど同時だった。
 間髪を容れず、計器類のランプが赤く明滅を始め、警告音が狂ったように鳴った。けたたましいレッドアラートの中、不完全燃焼特有の、油が焼けたようなすえた匂いが漂い始める。
「エンジントラブル!」
「メーデーメーデー! HQ! こちらエコー・ナイン! エンジンが潰れた!」
 気がつくと、ヘリのフロントガラスは一面が虫の死骸で埋め尽くされていた。
 ドアの外には、蛾の群れが景色が見えないほどの密度で飛び交っていた。
 ただの蛾が、ヘリの速度に合わせて飛べるはずがない。
 だがしかし、この緊急時に、その不自然さにまで気が回る者はいなかった。
「ダメか!?」
「ダメです軍曹!! 掴まってください!!」
「エイリアンの攻撃ですか!?」
「こんな攻撃聞いたことがねぇよ!!」
「全員耐衝撃体勢を……うぉおッ!?」
「軍曹!」
 胴体が回転を始め、ヘリが自由回転飛行による不時着態勢に入った。
 その拍子で、運の悪いことに身体を固定させていなかった軍曹は、振られてドアの外に半身を放り出されてしまう。
 慌てて手を伸ばしたのは、若い兵士だ。
「軍曹、掴まってくださいッ!」
「いいからお前は体勢を作れ! 首の骨を折るぞ!!」
「エコー・ナイン・ダウン! エコー・ナイン・ダウン! HQメーデー! N89E661! N89E661! 回収部隊を要請! 繰り返す、エコー・ナイン・ダウン! N89E――――」
 そんな切羽詰まった無線が、ヘッドフォンからむなしく流れてくるのを聞きながら、ヘリのスキッドにしがみついた軍曹は、先日送られてきた妻と二人の娘の映像を思い浮かべていた。

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