02/27 電子版発売

羅刹鬼7 蠢動

著者: 赤だし滑子

電子版配信日:2026/02/27

電子版定価:990円(税込)

再会したアビゲイルと一旦別れ、拠点へ戻ったジェヴォーダン。
タイターニアと仲睦まじく過ごしていると、蟻塚城に来訪者が!
狐っ子お嬢様・フェリス、エルフ娘・ティリエル、竜娘・アーシェラ。
エイリアン陣営との交渉が始まるも、タイターニアを狙う撃滅部隊が乱入!
一方、アビゲイルが接触する重要人物には、不審な死が相次ぎ……
SFダークファンタジー第7巻、軍事都市の陰謀、陰で蠢く勢力とは!

目次

第四十章 合流

第四十一章 天気雨

第四十二章 狐の嫁入り

第四十三章 ジル=ガルニエ

第四十四章 アビゲイルの信念

第四十五章 独創的拷問

第四十六章 黒いナイフ

第四十七章 エルフ娘と竜人娘

第四十八章 動かぬ証拠

第四十九章 点と線

第五十章 暴露大会

第五十一章 食肉処理

第五十二章 ブッチャールーレット

第五十三章 甘いケーキ

第五十四章 ジョイス

第五十五章 クリーナー

第五十六章 たれ込み

第五十七章 二人の選択

第五十八章 Xデー

特別書き下ろし 売られた喧嘩は買わねばならぬ

本編の一部を立読み

第四十章 合流

 ◇◆◇(アビゲイル視点)

 警察、消防、救急――複数のサイレン音が交じり合い、ビルの合間にけたたましく反響する。騒然となるフォート88の夜。とある高層ビル前の道路が封鎖され、鼻にツンとくる煙の匂いがエントランスロビーに薄く立ちこめる中、周囲で警察や消防が忙しく動き回っていた。
 そんな物々しい雰囲気の片隅で、肩から毛布をかけたナツキが|憔悴《しょうすい》した様子で座り込んでいる。隣には無表情のまま蜘蛛のぬいぐるみを抱いた弟のヤクモが一緒だ。すんっ。
 彼女たちの前で、アビゲイルとマクラーレン警部の二人が立ち話をしていた。警部は一時間ほど前に|不《・》|可《・》|解《・》な直通電話によって呼び出され、事情がほとんど呑み込めないまま現場に急行し、つい先ほど、ナツキとヤクモの両名を燃え盛る部屋の中から救出し、無事に保護したところだ。
 通報主はアビゲイルだった。
「そんなことが……」
「本当よ、現場を見たでしょう」
 マクラーレンは彼女の話を参考に、この異様な事件の経緯をまとめているところだ。
「連続殺人犯……」
 そう呟いて、マクラーレンはチラリとナツキの様子を盗み見した。現場となった部屋の消火活動が一段落し、彼女たちの様子も落ち着きつつある。マクラーレンは頃合いを見計らって声をかけることにした。当事者である二人から事情を聞き取るためだ。
「まだ動転しているだろうが、話を聞かせてくれるかな?」
 ナツキの前にかがみ込む。
「あの日、クリスマスイブの夜に、君はヘイブン近くで男に声をかけた。それがシゲアキだった。諸般の事情によって、君はその男を自分の部屋に連れていくことになった」
「はい」
「シゲアキを連れて自室に戻ると、そこはすでに血の海だった。部屋には、ベッドに縛られた女性しか残されていなかった。死体などは見当たらなかったが、かわりに大きな袋が残されていた。開けてみると、中身は大量の覚醒剤だった」
「はい」
「それを見て恐ろしくなった君は、書斎に隠れていた弟のヤクモくんを連れて部屋を出ようとしたが、そこでシゲアキに道を|阻《はば》まれた。大量の覚醒剤に目がくらんだ彼は、突如として豹変し、ヤクモくんを人質にとって君を脅して、覚醒剤と共に君たち二人をシゲアキの部屋に連れ帰った。つまりこのビルだ」
「はい」
「シゲアキに誘拐された君は、引き続き弟くんを人質に取られ、部屋に監禁されることとなった」
「はい」
「そこで数日間を過ごしたわけだが、シゲアキは君たちの目の前で、自分の腕にさんざんにクスリを打ち、やがて|過剰摂取《オーバードーズ》で精神に異常をきたす」
「はい」
「自分の顔の皮を剥いだり、指を食べたりするなどして自傷行為に|耽《ふけ》るなど、シゲアキは完全に錯乱していた。やがて彼は、いよいよ正気を失って弟くんに手をかけようとした」
「はい」
「弟くんに危害が及びそうになったため、君は身を|挺《てい》して割って入ったが、頭を殴られて昏倒。意識が|朦朧《もうろう》とする中で最後に見たのは、燃料を頭からかぶって焼身自殺を図るシゲアキの姿だった」
「はい」
「次に君が目を覚ましたときには、すでに部屋には火の手が回っていて、周囲は煙だらけ。逃げることもできなくなっていた……そして、そこに俺が飛び込んできたと」
「そうです」
 そこで、わん! と足元の警察犬レストレイドが吠えた。そわそわとマクラーレンにアイコンタクトで何かを訴えている。
「事情は分かった。ありがとう」
 マクラーレンは小さくかぶりを振って、小さな溜息を漏らした。
「ところで――」
 彼はそこで区切って、下を向いたまま動かないナツキのジト目をのぞき込む。
「君とは前に一度会ったことがあるんじゃないかと思うのだが。俺のことを覚えていないかな?」
 ナツキは顔を上げて、じとっとマクラーレンを見た。その目を見返しつつ、彼は警察犬の頭を撫でて続ける。
「レストレイドは鼻が利くし、頭もいい。優秀な相棒でね。君のことを覚えているみたいなんだ。雪が降る公園で、俺が声をかけただろう。あのときの君は、ちょうど今、そこの弟くんが抱いている蜘蛛のぬいぐるみをリュックにつけていた。たった今、俺も思い出したところだ」
 彼女は一瞬だけ目を泳がせ、アビゲイルと視線を合わせてから、首を横に振った。
「あのときは……その、緊張していて……」
「……」
 無言で続きをうながされ、ナツキはふたたびうつむいた。
「――よく覚えていません。でも一度、シゲアキに命令されて、その、あのときは…………おま×こにローターを入れられた状態で買い物に出ていたんです。そのときに、犬を連れたお巡りさんに声をかけられたのは覚えていますけど、ずっと遠隔で弄ばれていて、すごくキツくて、わけ分かんなくなっていて……」
「警察だと名乗ったのに、どうして相談してくれなかったんだ? 言ってくれたら、すぐに救出できたろうに」
 マクラーレンの静かな問いかけに、ナツキは奥歯を一度グッと噛みしめてから口を開いた。
「ヤクモを人質に取られていて、そのことで頭がいっぱいでした。命令には逆らえなかったんです。警察を連れてきたり、途中でローターを落としたりしたらヤクモを殺すって」
「……」
「それで――」
 ナツキは自分の両腕を抱いて顔を伏せた。肩が震えている。
「捕まっている間……私が嫌だって言っているのに、あいつは抵抗したらヤクモを殺すって……あいつ、あたしをレイプしながら自分にクスリを打っていたんです。すごく怖かった……何度も何度も無理やり中に出されて……ピルも飲ませてくれないのに、赤ちゃんできたらどうしようとか、もうずっと、いろんなことが頭の中でグルグル回っていて……あたし……」
 グスッと鼻をすする音がした。
「もういいでしょう、警部」
 表面上は穏やかなれど蛇のごときマクラーレンの追及を、アビゲイルが強めの口調で打ち切った。
「――……ああ。辛いことを話させてしまって、すまなかった。もう充分だ。障害のある弟くんを抱えて一人でよく頑張ったよ。君は勇気ある姉の|鑑《かがみ》だ。ありがとう」
 このストーリーは、ナツキとアビゲイルの間で事前に打ち合わせておいた、困ったときの最終手段だった。性的な部分を前面に押し出すと、良識のある警部は二次被害というワードに阻まれて、それ以上は食い下がれない。うまくいったと、アビゲイルは内心で胸をなで下ろしていたところだ。
 マクラーレンはヤクモにも尋ねていたが、完全に無視されていた。障害を持っている、という説明に加えて、サヴァン症候群などの話を絡めてアビゲイルが補足すると、腑に落ちない様子ながらも、彼は納得した様子で立ち上がった。
「しかし、まさか本当に連続失踪事件の犯人とはな……」
 手にした証拠のスナッフ・フィルムに視線を落とし、マクラーレンは感慨深そうにぼやいた。
 アビゲイルが警部を呼び出した口実はこうだ。
 彼女は掲示板で活動するノストラダムスくんという謎の存在に興味を持っていた。予言の的中率が理屈では説明できないレベルにあったからだ。それで彼の書き込みを追っていると、ちょうど最新の予言メッセージにダブル・ミーニングが隠されていることに気がついた。予言として書かれていたその内容を読み解くと、今まさに誘拐されて捕まっている少女がおり、彼女は切迫した状況に置かれている。そこに一匹の獣が現れて少女を救うであろう――という主旨の内容だった。そう、掲示板の書き込みを読み解いたことにした。
 問題の書き込みは、ナツキにお願いして事前にそれっぽく書いておいてもらったものだ。仕込みなのだから、状況と一致していて当然である。今も掲示板を検索すればちゃんと存在する。アビゲイルのストーリーを補強するものとしては必要充分な説得力があるだろう。そんな内容で通報してマクラーレンを呼び出す一方で、ナツキは事前に準備しておいた燃料でシゲアキの死体を焼き、炎で丸ごと証拠を抹消した。
 なお、ジェヴォーダンが部屋を去るときにはもう、シゲアキはダイヤの毒によって始末されていた。もう用済みだからと言っていたが、ナツキに手を汚させないために配慮したのだろうとはアビゲイルの希望的な推測だ。ジェヴォーダンは、ひとたび敵と見なした相手には|情《なさ》け|容赦《ようしゃ》ないが、時に情に厚い一面が顔を出すことを、彼女はよく理解している。そんな人間らしい表情を垣間見たときに、アビゲイルはふと気持ちが通じ合ったかのような感覚に胸を掴まれるのだった。
 こうして、ネット掲示板上の予言というオカルトな通報で呼び出されたマクラーレンは、半信半疑のままアビゲイルに指定されたビルの前に立った。見上げたビルの高層階から火の手が上がっている場面を目撃した彼は、消防隊を待っている暇はないと考え、一人で現場となる部屋に駆けつけた。ドアをぶち破って突入してみると、すでに炭化して焼死体となったシゲアキが目に飛び込んできた。マクラーレンは人肉が焼ける不快な匂いと、有毒な煙の中、自らの危険を|顧《かえり》みずに生存者を捜索。奥にSM部屋を発見。そこに手足を縛られて身動きがとれないナツキとヤクモがいた。さらには、なんと、その奥には連続失踪事件の証拠までもがそろっている、というおまけつきだった。
 今のところ、アビゲイルが書いた嘘の筋書きは、まだマクラーレンのセンサーには引っかかっていない。火事現場に飛び込んだり、人命を救ったり、突然証拠が手に入ったりと、依然として興奮状態に置かれているせいもあるだろう。若干、お供のレストレイドには嗅ぎつけられていそうな雰囲気も感じるが。まぁ、犬である。大丈夫だろう。
 ナツキとヤクモも炎にさらされる、危険をともなう作戦だったが、マクラーレンが自ら炎に飛び込んで彼女たちを救出してくれたおかげで、二人には怪我もなかった。そんな警部の果敢な行動は、アビゲイルにも予想できなかったことだった。
「しかし、こんな他愛のない掲示板の書き込みから、よくここまでのことを推理できたものだ。君は魔法使いか何かなのか?」
 マクラーレンが感心そうに言った。
 だがしかし、その声音に、かすかな疑いの色が含まれているのをアビゲイルは聞き逃さない。
「エイリアンの技術を調査しているとね、警部……」
 彼女は深呼吸して、いかにも分かった風に語りだす。
「オカルトな話にもよく注意が向くようになるのよ。ちょっとした馬鹿げたような噂だって、真面目に取り組まないとエイリアンのテクノロジーにはついていけない」
 指をひとつずつ折って続ける。
「UMA……幽霊……妖精……魔法……異次元…………かつてファンタジーと呼ばれていた概念も今や現実。エイリアンの世界を理解するには想像力が必要よ。過去のおとぎ話すらヒントになる。理屈じゃ説明できないことが多いから」
 アビゲイルは最後にふっと小さく笑い、肩をすくめてみせた。
「まぁ、長年エイリアンと向き合ってきた研究者の勘ね」
「勘、か……」
 マクラーレンはそう小さくおうむ返しして、何度か首肯した。勘という言葉は、ベテラン刑事の琴線にはよく響いたようだった。
「ひとつだけ理解できないのが、大量のクスリだ。あれはギャングの事務所から強奪されたもので間違いない」
「そうなのね」しらばっくれるアビゲイル。
「ああ。だがそもそも、なぜ、それがナツキの部屋にあったのかが疑問だ。いったい誰がそこまで運んだ。彼女の部屋でギャングを殺害したのは誰だ」
「つまり、ギャングを襲撃した犯人が、そのあとにナツキちゃんの部屋にも押しかけたことになるわね」
「ううむ……」
 あごに手を当ててうめくマクラーレン。
「疑問でも?」アビゲイルは少し目を細めた。
「ああ…………実はな、例の|ノ《・》|ア《・》なんだが、ナツキの部屋に残されていた体液からも同じものが発見された。つまりショーンらアルファの兵士を惨殺したノアは、ナツキの部屋にもいたということになる。するとだな、ノアがギャングの事務所を潰して大量の覚醒剤を奪ったことにもなる。すべてまとめると、クリスマスイブに起きた一連の事件はすべてノアの犯行だったという結論になる」
「いよいよビッグフットかのぉ、警部」
 ふと背後から声がして、はぁと嘆息をついたマクラーレン。
「あねさん、いつの間に警部と仲良くなっとったの。わっちも仲間に入れてーな」
「ユージン」
「まぁ、それはええけど。なぁ警部、ビッグフット犯人説、もう記事に書いてもええかの?」
「馬鹿を言え」
「そう馬鹿にもできないんじゃないかしら?」
 アビゲイルが言うと、マクラーレンは「おいおい」と眉をひそめた。
「君までオカルト説を推すのか?」
 この言葉に、ユージンは息巻いた。
「警部、UMAが突然、街の中に現れるっちゅーのは前例があるんじゃ。昔な、ハチキューでもそんなことがあったんじゃよ。エイリアンの領地と近いからじゃと、わっちは考えとるんじゃがな」
「参考までに、アビゲイル」沈黙ののち、そう前置きしてマクラーレンが頭を掻いた。
「君のその鋭い勘ってやつを聞かせてほしいんだが。ビッグフットが本当にハチハチにいたとして、そいつの目的はなんだと思うね?」
「覚醒剤に執着している様子みたいね。ビッグフットの好物は、覚醒剤なのかしら」
「おおっ! それは新説じゃな、あねさん!」
 アビゲイルの冗談に盛り上がるユージン。目元を手で覆うほかないマクラーレン。
「まあいい、その件はこっちで追うさ。それじゃあ、ナツキとヤクモはこのまま救急車で病院へ――」
「まって」と、アビゲイルが遮った。
「ナツキちゃんたち二人は、私が引き取るわ」
「…………それはまた、どうして?」
 マクラーレンの表情が怪訝なものへと変わった。なんの接点もないはずの二人だからだ。警部の勘とかは関係なく、理解できない申し出だった。
「こんなに酷い目に遭ったのに、帰るべき家も、身寄りもないなんて……話を聞いていたら|他人事《ひとごと》とは思えなくて、なんだか放っておけないのよ」
「君は――」
「私も、スラム出身だから」
 その言葉に、マクラーレンは驚きの色を一瞬だけ浮かべてから、続く言葉を失った。
 単純に考えて、信じがたい才覚だった。スラムの無教養な人間が、中央政府ユーセグの中心的組織に所属し、フォート88にまで名前を|轟《とどろ》かす研究者になったとは。
「そうか…………分かった」
 ひとつうなずくと、マクラーレンはナツキに目を向けて言った。
「だが、彼女に残された体液の調査だけでもさせてほしいのだが」
「いい加減にしてよ」
 アビゲイルは苛立ちを隠さずに、マクラーレンを睨みつけた。
「ナツキちゃんはショック状態なのよ。どれだけ辱めたら気が済むの?」
 キツい非難に、マクラーレンはばつが悪そうに顔をしかめた。男にとって美女の口撃ほど、こたえるものはない。
 残った体液はしっかりと洗い流しておくように言っておいたが、万が一、ナツキの体内から採集された精液がノアのそれと一致すると、アビゲイルのストーリーが破綻して|大事《おおごと》になってしまう。
「ねぇ……さっきのスラムの話、本当……?」
 おずおずと、ナツキが首を伸ばしてアビゲイルに聞いた。
「ほんとよ」
 アビゲイルに肩を抱かれたナツキは、逡巡してからヤクモの手を引いた。
「お巡りさん、あたしたち、この人がいい。フォートの連中なんて信用できない。みんなシゲアキみたいな奴らばっかり。酷い生活に苦しんでるあたしたちを放っておくような自治政府の世話になんてなりたくない」
 マクラーレンは力なくうな垂れた。そう言われてしまうと弱い。実際、ここでナツキをアビゲイルに託してしまってもなんの問題もないのだ。なぜなら、ナツキは市民登録されていないから。助けなくても警察的にはお咎めがない。そんなフォートの現状を突きつけられて、マクラーレンは反論を失った。
「はぁ……分かった。部下を呼ぶから、手続きだけ済ませてくれ」
 アビゲイルは気づかれないよう、ほっと吐息をついた。その変化は身を寄せていたナツキにも伝わったらしく、彼女はアビゲイルにだけ見えるように小さくウィンクした。なんとか切り抜けられたようだ。
 そうして呼び出された部下がナツキと会話している隙に、マクラーレンはアビゲイルの耳元に顔を寄せた。
「連続失踪事件の件だが、先日、スラムの男女が秘密裏に輸送されていたという証拠を掴んだ」
「つまり?」
「アビゲイル、シゲアキがすべてではないんだ。まだ終わっていない。この事件、組織的な関与がある。シゲアキがもっと大きな組織に関わっていて、それで口封じのために消された可能性もあると俺は考えている」
「……」
「あの子たちを連れていくのは勝手だが、彼女がその組織に目をつけられていたとすると危険だぞ。油断しないようにしてくれ」
「危険は慣れっこよ。それに……今は強力な味方がついてくれているから」
 アビゲイルが首を回すと、その視線の先にはイノライダーたちがいた。近くの警官と駄弁っている真っ最中だ。
 視線に気づいたイノライダーが歩み寄ってくる。隣にはルドラも一緒だ。いつもであれば、この時間帯はまだヴァーニの担当なのだが、彼女はショックで寝込んでいるために急遽ルドラが引っ張り出されていた。いわく、アビゲイルにあっさりと尾行をまかれたことで、久々の挫折を味わったらしい。
 そんなことがあったにもかかわらず、イノライダーは年越しの行き先や、会っていた相手について詳しくは聞いてこなかった。その気遣いがアビゲイルには嬉しかった。
「んで? そのガキんちょ二人を引き取るって? こりゃまた酔狂な。いったい、どうするつもりなんすか?」
 イノライダーに聞かれ、アビゲイルはナツキを見た。
「いずれ中央に移住させるわ。|目処《めど》が立つまでは、私の部屋で保護するつもりよ」
「まーた、自治政府から目をつけられるようなことをして……」
 イノライダーは口をへの字に曲げ、呆れぎみにぼやいた。
 するとそこにユージンが割り込んでくる。好奇心を隠さない顔つきだ。
「あねさん、結局フォックスとくっついたんじゃね。どんな手を使ったの?」
「イノライダーと、おつき合いすることになったのよ」
「ほほー、いくら払ったん?」
「お金なんて下世話ね、ユージン。自由恋愛よ」
「ほ、ほほぉー…………」
 顔を引きつらせ、細い目をパチパチ。そんな新聞記者の肩に、イノライダーが手をかけた。チンピラの笑みだ。
「アビーちゃんにしつこくつきまとうと、夜道で野良犬に大事な逸物を噛みちぎられるかもしれねーっすよ、ユージン。物理的にトランスジェンダーしてみるっすか?」
「くわばらくわばら……蛇に睨まれたカエルっちゅーのは、こんな気分なんかのぉ……」
 わざとらしく肩をぶるぶると震えさせたユージンを見て、アビゲイルは苦笑した。
「アビゲイル、こっちにサインをくれ」
 マクラーレンに呼ばれて、アビゲイルがその場を離れた。
 その隙に、ユージンはナツキとヤクモに目をつける。
「やっ、やっ、おばんですわ。被害者の子? わっちは新聞記者のユージンじゃ。話を聞かせてもらってもええかのー? ついでにひと言、世間にもの申したいのなら、それも聞かせてもらえると嬉しいんじゃが、どう? もちろん取材料は払うぞい――って……」
 不意にイノライダーから肩を組まれ、下からルドラの冷酷な視線を受けたユージンは、顔を青ざめさせて「おぉ……」と身を|縮《ちぢ》こまらせる。
「フォックスの狂犬と黒貂にはさまれたこの状況でインタビューを始めると、わっちは死ぬな。うん。しゃあなし。事件の詳細は警部から聞くかの」
 そのとき、ヤクモのノートがパサリと落ちた。
 ユージンがそれを反射的に拾い上げた。
「んー……今どき紙のノートなんて珍しいのぉ。気が合いそうじゃ。わっちも紙とペン派なのよ……んん、これは……?」
 たまたま開かれていたページがユージンの目に留まった。
「ほっほー、うまいのぉ! ファンタジーな絵もある。おっ、これなんてビッグフットの絵じゃないかの? なんじゃー、こういうの好き系かぁ! わっちもいろいろと集めとるんよ、この手の話題。今度ネタを見せ合いっこせんか? ……うほー、なんじゃこれ! ふむ、エロい絵を描く。この絵、いくらで売る?」
 ペラペラとページをめくり、興奮した様子になるユージン。さっそく買い取り交渉を始めたが、すべてヤクモに無視されていた。ひと言も返事をしないヤクモもヤクモだが、それでもめげずに交渉を持ちかけるユージンもユージンである。彼はまだ目の前の少年が完全無欠の無口であることを知らないにせよ、そのど根性っぷりこそが憎みきれず、記者として顔が広くまだ生存できている秘訣でもある。天性のものがあった。
 そこにアビゲイルが戻ってくる。
「さぁ、これで手続きは終わりよ。帰りましょう。今日からよろしくね、ナツキちゃん、ヤクモくん。こっちの女の人がイノライダー。私の彼女よ。こっちの子がルドラ。お友達なの。そっちのうさん臭い男は無視してもいいわ」
「そんなー!?」
 眉をハの字にするユージンを残して、アビゲイルたちは帰路についた。
 途中でイノライダーが思い出したように声を上げた。
「あっ、そうそう。アビーちゃん、ガルニエ元隊長の件、アポとれそうっすよ」
「ありがとう。さすがイノライダーね、頼りになるわ」
「そりゃ、もう、へへへ……」
「ねぇ、なにそれ」
 ヤクモが抱えている蜘蛛を、ルドラが指でつんつん。
「よくできたフィギュアっすねぇ。毛の質感が半端ないっす。このがきんちょ、昆虫が好きなんすか?」
 イノライダーもつんつん。
 そんな様子を、アビゲイルははらはらしながら見守っている。蜘蛛の正体を知っている身としては心中穏やかではない。こっそりと、ニブロに小さく手を合わせてウィンクを送っておいた。
 マクラーレン警部には、このままジェヴォーダンのかわりに虚構のビッグフットの影を追ってもらおう。連続失踪事件の調査も続けてもらわなければならない。アビゲイルも興味がある事案だ。
 ユージンとのつながりは予想以上に使えそうだ。必要な時期に記事を書かせれば、彼も喜んで協力してくれるだろう。
 イノライダーたちには、いずれ話をしなければならないときが来る。
 ジェヴォーダンは誰かに裏切られたと言っていたが、イノライダーは白で間違いない。彼女がニゲルを害するとは考えられない。ルドラやヴァーニも安全。彼らは時期的にニゲルとの接点がない。
 イノライダーには、なるべく早く事情を説明したいと考えている。だが性急にことを運ぶのは危険だ。ブッチャーと仲良く話ができるなどという噂が広まれば、自分の立場がいよいよ危うくなってしまう。
 ナツキたちの件はローガンを頼ることになるだろう。中央に居場所を作ってもらえるコネは、今のアビゲイルには彼しかいない。
 そして、ヤクモの能力の件は、絶対に、誰にもバレてはいけない。
 ナツキは、ジェヴォーダンがニゲルという名前で呼ばれていたことを知っているが、ニゲルとアビゲイルの関係については知らない。今後とも気がつかないでほしいと願う。彼女たちには、これ以上のことは何も知らずに中央へ行ってくれた方が安全だ。
 なんとも複雑な状況になりつつあるが、やるしかない。
 アビゲイルは決意を込めて奥歯を強く噛んだ。
 金色の死神ニゲルはフォート89で何を見て、どのような結末を迎えたのか。
 彼女を裏切ったのは誰か。
 時間がない。ジェヴォーダンの精神状態が心配だった。
 今のジェヴォーダンの状態をひと言で表すならば、人知れず深い森に起こった山火事だ。今はまだメラメラとくすぶる程度だが、周囲にはいくらでも燃料がある状態。ひとたび風が吹いて延焼を始めれば、近くにあるものを片っ端から燃やして、あっという間に燃え広がり、飲み込んだ生物を根絶やしにする無慈悲な|大火《たいか》へと発展するだろう。そうなればもう誰にも止められない。最後には自分自身も含めて|焦土《しょうど》へと変えてしまうに違いないのだ。アビゲイルには確信に近い予感があった。
 そんな大火事を鎮める、もっとも効果的な消火方法は――燃やし尽くすことだ。
 まだ火が小さな今のうちに、周りの木々を切り倒して延焼路を断ったら、その閉鎖空間の中で|熾火《おきび》も残らないほど炎を燃やし尽くして鎮火を待つ。あとはゆっくりと温度が下がっていくのを待つほかあるまい。
 その閉鎖空間が、フォート88だ。
 そのためならば犠牲もやむなし。
 もとより、アビゲイルもまたこの街にきな臭さを感じ始めている。人類における最重要組織の|膿《うみ》をしぼり出すためには、一石二鳥なのかも知れない。
 以上が、アビゲイルの現状認識だ。
 さっさと終わらせて、早く隣に寄り添ってあげたいと思う。
 可能であれば、二人だけでどこか遠くへ――――。
「――……さて、今夜はなにが食べたい?」
 アビゲイルが振り返ると、ヤクモのノートがすでに開かれていた。
「ハンバーグね」
「ヴァルハラのパウンド・ハンバーグ食べたい」
 ルドラがすかさずヤクモの案に乗っかった。
「おっ、いいっすね! 久々に、がっつりと肉を食らってやるっすか!」
「ナツキちゃんは何か食べたいものはある?」
「え、あの……私、辛いのが好きです」
「なら〈ペッパー・パラダイス〉に挑戦してみたらどっすか? へへへっ」
「ペッパー・パラダイス? なんですかそれ?」
 初対面のイノライダーに距離を取っていたはずのナツキが、前のめりに食いついた。
「ピーマン、パプリカをベースに、鷹の爪、ハラペーニョ、セラーノなどなど、世界中の唐辛子のオンパレード。ハバネロ、ジョロキアなんて当たり前のように入っている。そんな激辛サルサを詰めて頬張るタコス料理っすよ。食ったら昇天して本物の|天国《ヴァルハラ》へ連れていかれるっつー、いわくつきの」
「すごっ!!」
「別名、|催涙《さいるい》タコス。完食できればヴァルハラで一目置かれる」
 キラキラと目を輝かせるナツキに、ルドラが無表情に補足した。
 そんな様子を眺め、苦笑ぎみにアビゲイルが声をかける。
「それじゃあ、ヴァルハラに行きましょうか」
 雪はようやく降りやみ、フォートの狭い空には久しぶりの星空が見えていた。
【ヴァルハラ】
 北欧神話で語られる館。戦いで死んだ者の魂をヴァルキリーが選別して住まわせ、来たる最終戦争に備えて彼らをたらふく食わせて飲ませて英気を養わせる。ハチハチにおいても、ヴァルハラという店は似たような場所として機能している。ここのセクシーな店員に顔を覚えられると、いよいよベテランの仲間入りなのだが、おさわりは厳禁だ。
第四十一章 天気雨

 ◇◆◇(ジェヴォーダン視点)

 僕が地下通路から顔を出したときにはもう、雪はやんで空は晴れ上がっていた。
 太陽光をキラキラと反射する雪原を歩いて帰路をたどる。ブッチャーが雪に残す足跡は普通の人間のそれよりも大きくて深い。背中には白い大袋を背負っている。中身はお土産でパンパンだ。雰囲気が出るかと思って、サンタの帽子もまだかぶったままだった。
 途中、木が動いていた――そんな気配を感じた。
 僕に敬礼をするかのように幹が少し倒れたり、枝がパチパチと動いたり。
 僕の妄想じゃない。
 もうこのあたりもタイターニアの領域になった、ということなのかも知れない。僕は最近、彼女の周辺で起こる怪奇現象にも、だんだんと驚かなくなりつつあった。ファンタジーだと思えばすべて受け入れられる。そもそも僕自身がファンタジーの極みだ。子供じみたファンタジーに気後れする理由はなかった。どんとこい、ファンタジー。
 蟻塚城に到着すると、タイターニアが出迎えてくれた。
 彼女の隣に、見たことのない男が立っていた。
 筋骨隆々の中背で、頭には兜を、肩にはマントを羽織っている。けれども、それ以外は素っ裸の上に、ブーメラン・パンツ一丁という姿。この寒い中に半裸という倒錯っぷりだ。盛り上がった筋肉がつやつやと太陽に輝いている。片手には槍を、もう片方の手には円盾を構えて、いわゆる屈強なスパルタ兵士風だった。
 うーん……誰?
 ひょっとして…………|間男《まおとこ》?
 殺す。
 爪を伸ばしてドシドシと間男に近づいていく僕の前に、タイターニアが慌てて割って入ってきた。
「わっ、◎△〒〆&▽&※#。◇〓□&スプリガン〓▲」
 間男の顔を、至近距離からブッチャーの凶相でのぞき込む。
 兜の下に見える間男の顔は落ち着いていた。僕を恐れている様子はない。普通、こういう場面では後ろめたくなって一目散に逃げるか、あるいは土下座するものだけど。
 ちょっと驚いたのは、この間男、かなりの|醜《ぶ》|男《おとこ》だ。兜でほとんど見えないけど、顔面崩壊レベルで|醜《みにく》い。僕も言うなれば醜男だし、タイターニアってB専だったりするのかな。
「スプリガン。ジェヴォーダン、スプリガン」
 ぽんぽんと僕の胸に手を突いて、タイターニアはなだめるようにその単語を繰り返していた。
 スプリガンっていう名前なのかな、この間男は。
 うーん、殺したい。でもタイターニアが止めている。
 うーん、殺したい。でもタイターニアが止めている。
 うーん、殺したい。でもタイターニアが止めている。
 殺害するべきか否か。喉をグルグルと獰猛に鳴らして検討していると、間男スプリガンは槍を地面に突き刺し、こうべを垂れて臣下の礼をとった。
 謝っても許さないけど?
 このまま首を切り落としてしまおうか、それともひと口で頭部をペロリか――などと考えていたら、タイターニアがあせあせと間男に何かを言いつけた。すると間男スプリガンはキビキビと回れ右をして蟻塚城の中へと入っていったのだった。
 ――……よし。タイターニアの見ていないところで|始末《ぺろりんちょ》してしまおう。
 きっと僕がいなくて寂しかったんだ。可哀想に。二週間近くも空けてしまったからね。今晩はしっかり|ラビオス《ゆるして》言わせないと。
 僕の殺意が霧散したのを察知したのか、タイターニアは大きなおっぱいを抱きかかえるようにして、ほっと息をついた。
 では、あらためて――ただいま。
 そんな念を込めて、両脇を持ち上げるようにして高い高いした。タイターニアも笑顔で僕の顔に抱きついて、頬をすりすり。サンタ帽を脱がされ、豊かな乳房に包み込まれる。ふんやりとすべすべの極上おっぱいだ。
「ジェヴォーダンっ♡」
 よしよし、僕の方が愛されている。
「タイターニア」
 前触れもなく飛び出した機械音声に、彼女は目を丸くして動きを止めた。
「タイターニア、アル」
 あんぐりと口を開けたまま僕を見る彼女に向かって、前に喜んでいたアルという謎単語をつけて繰り返した。
「………………あはっ!」
 タイターニアが笑った。子供めいて無邪気で、かわいらしい笑顔だった。
「あっははははははははははっ!」
 こんなにおかしそうに笑っている彼女は初めて見た。大成功だ。
 まったく、出会いがしらにびっくりさせようと思っていたのに、間男のせいでドッキリの流れが台無しになってしまったじゃないか。やっぱり責任とって死んでもらおう。
 ――さて、と……。
 彼女を下ろして、僕はさっそくエプロンのポケットから手紙を取り出した。アビゲイルが書いてくれたお手紙だ。アビゲイルの自己紹介と挨拶から始まり、ハチハチにおける僕の行動目的、アビゲイルと遠隔通信できる手段を探している|旨《むね》、などなどがエイリアン語で書かれているはずだった。
 そんなお手紙を、タイターニアがむーんとうなり声を上げて凝視していた。眉間に深いしわが刻まれている。また怒っているのだろうか。彼女は以前、アビゲイルのお手紙を食べてしまった実績を持つ黒ヤギさんでもある。重要な手紙をまた食べられてしまわないかと気が気でない。
 ――いいや、違うな……。
 悩んでいるっていうか、困っているみたい。
 アビゲイルもエイリアン言語の初心者だって言ってたから、文法とか単語とかが微妙に間違ってるんだろう。三歳児が書いたお手紙を眺めて真剣に頭をひねる人の顔つきだった。僕はただ祈り、見守ることしかできない。
 彼女はおもむろに手紙から何かを拾い上げて目を細めた。
 それは金色の糸に見えた――アビゲイルの髪の毛だな。
 クンクンとその匂いを嗅いでから、ふっと表情を崩して失笑。彼女はどこからともなく|藁《わら》人形を取り出した。藁人形をだ。もう一度繰り返すけど、藁人形。本でしか見たことのない古風な呪物の登場に、ブッチャーの口がパカッと開いた。唖然としてしまう。
 僕がそうして見つめる先で、彼女は金色の髪の毛を、藁人形の中にすぅ……っと。
 あっ、あっ、あっ、だめ!
 それダメなやつッ!
 藁人形に、人毛が埋め込まれる。そんな呪いの儀式が完成する寸前、彼女の手から人形を取り上げた。
 ――いや、お遊びだとは思うんだけどね……。
 呪いなんて迷信だと思うんだけど、君がやると|洒落《しゃれ》にならないんだ。それはやめておこう、うん……お遊びだよね? でもここって、ファンタジー世界だから油断できないんだよなぁ……。
 藁人形を取り上げられたタイターニアは、頬をぷっくりと膨らませて不満を表明。しばらく藁人形の取り合いでじゃれ合ってから、彼女に腕を引かれて洞窟の入り口へと向かった。
 久しぶりの蟻塚城は白い雪に覆われ、完璧にカモフラージュされていた。これなら、ぱっと見はただの山だ。僕は内心でほっとした。
 ただし、城の中に入ってみると内部はかなり拡張されていて、坑道は大きく、広く、深く、内部の部屋数は増え、施設も高度化していた。虫くんたちの数も種類も増している。彼らのあくなき建築欲は、上空へではなく、地下へと向いていたってことだ。よかった。地下を拡張する分には、警備上の問題はない。
 そんな中でも、特に僕の興味を引いた部屋は|琥珀《こはく》色のボールがたくさん天井からぶら下がっている部屋だった。ものすごく甘くて芳醇な香りが漂ってくるボールだ。近くでよくよく観察してみると、それはアリの腹だった。天井にしがみついたアリの腹に、大量の蜜が溜まってボールのように膨らんでいるんだ。
 興味深く見上げる僕を見て、タイターニアがその中の一匹を取ってくれた。リンゴをもぐような手つきで、もぎっと。その腹にプスリと穴を開けると、中からトロッと蜜があふれ出す。琥珀色の粘液が、彼女の白魚のような指にねっとりと絡みついて糸を引くさまは、お手本どおりのエロティカだった。
 どうぞ、と差し出された魅惑の指を舐めてみた僕はうんまいっ!!
 これはうんまいっ!! ローヤルゼリーも真っ青!! 栄養満点系だ!! 僕の息子もギンギンのギン!!
 そんなことをして二人で遊びつつ、レベルアップした蟻塚城の中を彼女について歩いていくと、やがて地下深く、見覚えのある部屋に到着。そこは金色に光る泉が広がり、奥に卵型の何かが置いてある。例の沐浴部屋だった。
 ――心なしか、卵の色が濃くなっている気がするけど……。
 そんな気になる部屋の中に入ると、なんと、泉の近くに例の間男が二人立っているではないか。真面目な話、どうやらこのスパルタ醜男たちはタイターニアが配置した兵隊っぽいぞ。
「スプリガン、スプリガン」
 彼女は両者をそれぞれスプリガンと呼んだ。そういう兵科なのかも知れない。
 でも近衛隊長と女王の禁断の恋なんて、鉄板じゃんね。油断はできない。何かあったら連帯責任で全員、銃殺刑に処してしまおう。20㎜で|粉《こな》|微《み》|塵《じん》にしてやる。
 そんな殺意を全方位に飛ばしていると、タイターニアは泉の脇に立ち、先ほどの藁人形をポイッと泉に放り込んでしまった。ポチャン。彼女は追って自分もチャプチャプと泉に踏み入った。
 そうして僕を振り返り、彼女が泉の底から拾い上げたのは、金色の藁人形と、銀色の藁人形だった。金の斧と銀の斧、的な?
 凝然と僕が見つめる先で、ふたつの藁人形がやおら頭を持ち上げる。
 床の上に置かれた藁人形はキュッキュッと床を踏みしめて準備運動。前屈に、体側伸ばしからの、シャドーボクシング。それから二人でキレのある組み体操をしてみせ、最後に手をつないでカーテンコール調にお辞儀。どこからともなく紙吹雪まで飛んできて。パチパチパチと、スプリガンがそろって拍手する。
 ――うわぁ……。
 一応、僕も拍手をしてみたものの、心中は複雑だ。なにこれぇ……。
 ちょっと引きぎみに眺める僕に気がついたタイターニアは、金さん(金色の藁人形)を僕に渡し、銀さん(銀色の藁人形)を自分で持つと、手にした銀さんに向かって「◇●#ー※っ!」と語りかけた。ほとんど同時に、僕の持っていた金さんからも「◇●#ー※っ!」と同じ声が聞こえてくる。
 ――ははぁ……。
 これ、|生《い》ける電話か。
「コダマ」
 金さんと銀さんを指差して、タイターニアは得意げに胸を張った。
「――あぁん♡」
 ドレスの下でたわわに揺れる乳房に我慢できず、僕はその場で彼女を押し倒した。

 数日間は、何事もなく穏やかに過ごした。
 おかげでタイターニアは疲労困憊。目の下に濃い|隈《くま》が浮いて少々、やつれぎみだ。ちょっとはしゃぎすぎてしまった。僕のお願いに即座に応えてくれて、コダマなる金さん銀さんを準備してくれたことに対する感謝の射精が止まらなかったからだ。あと、あの蜜も効いた。|ラビオス《ゆるして》とタイターニアが言い出したら、僕がアルと耳元で囁くと「♡」とびしょ濡れになる法則を見出してからは、延々とそれで遊んでいたせいもある。反省。本日のセックスはお休みとしたので、僕は一人でテラスに出て、冬の景色を眺めていたところだ。
 やや賢者モードに入っているせいか、いつもよりもじっくりと一望千里を楽しめた。
 このテラスはとても高い位置にあって、白く染まった世界を見渡すことができる。地表を覆った氷の粒がチラチラと光を反射し、枯れた木々の合間を風が駆け抜けると地吹雪が起こる様子は|趣《おもむき》がある。誰にも見られていないと思い、無防備にぴょこぴょこと足跡を残す白ウサギの背中など、見ていて飽きない。先日、フォートから帰宅した際に残ってしまった僕の足跡はもう消え失せていた。付近の雪は|均《なら》したクリームのようになめらかだ。雪は、偵察の存在を|看破《かんぱ》してくれる。これならば、敵の接近があってもすぐに気づけるだろう。見通しもよくなるし、冬は防御側に有利な季節と言える。
 加えて、ここから周辺を見下ろしていて気がついたこともある。
 この雪は、蟻塚城からフォート88の方角にかけて厚く降り積もっていたけれども、逆方向のフェイムバウムはそうでもなかったようで、遠くエイリアン領地の地表には土が見えていた。まるでフォートを狙い撃ちしたかのような、おかしな雪の降り方だった。ここにもファンタジーの匂いがする。
 そんなことを考えながら、自分が吐き出す白い息で遊んでいると、ふと僕の脳裏に獲物の気配が浮かび上がる。眉間がむずむずする。
 ――これは……。
 感じる方角に視線を投げると、遠くフェイムバウムの方から、ぽつぽつと光が二列になってこちらに伸びてくるのが見えた。例えるならば、道路の両脇に立つ街灯が順次点灯しながら近づいてくる様子に近い。
 ポツリ、僕の頬を水滴が叩いた。
 見上げてみても晴れている。雲ひとつない青空だ。
 いくら|天《・》|気《・》|雨《・》といえども、これほどの快晴では発生しないものだけど。しかし、雨粒はポツポツと僕の顔を連続で叩き続けている。異常事態だった。
「ジェヴォーダン」
 タイターニアもテラスに出てきた。
 僕の隣に立ち、鋭い目つきで遠方から近づいてくる光の列を睨みつける。彼女も異変を感じ取った様子だ。
 ――攻撃、かな……?
 それなら、こちらから迎え撃つか。
 久しぶりにブッチャーエプロンと、ブッチャーバッグ、そしてブッチャーナイフの三点フルセットで外に出た。
 タイターニアも光る剣ベルテナンを携え、スプリガンを二人お供に引き連れて僕の後ろに続いた。スプリガンという兵の強さは知らないんだけど、オオムカデの五号君を城に置いてきたあたり、護衛としての実力にはそれなりの自信があるんだろう。彼らの動きには統率感があるし、見た目もスパルタ兵士風味でいかにも強兵だ。
 深雪をザクザクと踏み分けて進んでいく。
 やがて足元の雪は薄くなって途切れ、土が見えるところまで来た。
 僕らはそこで立ち止まった。
 周囲を|薄霧《うすぎり》が包み始めたからだ。
 木々がぼんやりと灰色に|滲《にじ》み、急速に見通しを失っていく。
 ブッチャーナイフを背中から抜いて警戒を強めた。
 さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。そうして僕とタイターニアが待ち構えていると、霧の向こうから、ぽつぽつと例の光が現れた。
 光は、左右に列をなして浮いていた。
 ふよふよと上下に揺れるそれは、僕の感覚だと、いわゆる|人《ひと》|魂《だま》に見える。お墓とかに浮かんでいる例のあれ。あるいは鬼火。あるいはウィルオーウィスプ。怪談的なやつ。それがポワン……ポワン……と、次々とファンシーな音を立てながら現れて、道を作るようにしてこちらへと向かってくる。
 そんな光列の奥から、次にシャン……シャン……という金属音が近づいてくる気配を感じた。
 霧の向こうから、ぼうっと影が浮かび上がる。
 いよいよ姿を現したのは、思いがけない集団だった。
 先頭は|た《・》|ぶ《・》|ん《・》アーシェラだ。
 甲冑姿なんて初めて見た。槍を持ち、|儀仗兵《ぎじょうへい》のごとく堂々と先頭を|歩《あゆ》んでいる。悔しいけどかっこいい。
 その隣には|た《・》|ぶ《・》|ん《・》ティリエルがいる。
 こちらもイカした服を着ているぞ。流麗なワンピを着用。エルフにぴったりのイメージだ。さっきからシャンシャンいっているのは彼女の|錫《しゃく》|杖《じょう》だった。
 それで、なぜ、|た《・》|ぶ《・》|ん《・》かというと。
 二人とも、狐のお面をかぶっていて顔が見えないからだ。
 目のふちに赤い|隈《くま》取りが塗られるなどした、品のよい模様が特徴的で立派なお面だった。それでもアーシェラは見間違えようがない。鮮やかな赤髪に二本の角。皮膜の翼と、竜のしっぽ。絶対にアーシェラ。だから自動的に隣の亜麻色の髪は間違いなくティリエル。
 そんな彼女たちの後ろに|神輿《みこし》が続く。
 担いでいるのは、やっぱり狐のお面をかぶった集団だ。なんだかお祭り騒ぎな連中だけど、場違いがすぎて逆に不気味だった。
 そして、彼らに担がれているのは――。
 |た《・》|ぶ《・》|ん《・》フェリスだ。
 彼女だけはお面をかぶっていなかった。そのかわりに、白一色の重厚なドレス(?)を身にまとい、頭には、これまた白一色のフード(?)を|目《ま》|深《ぶか》にかぶっている。
 彼女の胸ではテントウムシのナミテンがブンブンと|翅《はね》を鳴らしているのが見える。周囲にひそんでいる虫くんたちが襲いかからないのは、ナミテンが介添えを務めているからだろう――ということで、神輿の上に座っているのは十中八九、フェリス。
 神輿の後ろには数台の車列が組まれている。牧草が丸くロール状になった例のやつが、山積みになった荷車だ。もう何がなんだか分からないけれど、僕が感じる獲物の気配は、あの車列から漏れている。奥の荷台に身を隠しているみたい。
「〆&※ー□……■▽●!」
 アーシェラが大きな声を上げると、隊列が止まった。
 しんとなる中で、無言のまま対峙する僕ら。
 本来ならば、一触即発のフェイスオフって流れだけど、どうにも空気が緩い。アーシェラなんて、目の前でポリポリと頭をかいてしまっている。
 どうしたらよいのでしょうか。
 隣に助けを求めた。
 そこには、げんなり顔のタイターニアが。
「お前、帰ったんじゃないのかよ」顔にそう書いてある。
 そんな彼女のうんざりした様子など気にしたそぶりもなく、当のフェリスが神輿から降りてくる。
 フェリスはススススス……と音もなく地面を滑るように前に出ると、片手の袖で口元を隠し、流し目で僕を見て、ちょいちょいと手招き。
 なんで目が真っ赤なの?
 よく見ると、フードの奥に見えている髪の毛も白いし、背後にのぞいているしっぽも白くなって、数が……増えている……? 本当にフェリスなのかな。自信なくなってきたぞ……。
 もう本気で、どうしたらよいか分からず、もう一度タイターニアを見た。彼女は「はぁ~~……」と深く嘆息をついて僕の背中を押してくれた。
 送り出されて、のしのしと歩み寄る。だまし討ちの気配はない。やっぱり、どこか向こうの空気も|弛緩《しかん》している。
 フェリスの前に立った。
 それを見て、ティリエルがポケットから綺麗な結晶を取り出した。
 チャラリと音を立てて、お目見えしたあれはひょっとしなくてもテレパスの魔石ではないだろうか。リディアの部屋で見たものとよく似ている。くれるのかな?
 直後に、そんな淡い期待は文字通り砕かれてしまう。
 ティリエルが手にした魔石をお面の隙間から口に放り込んでしまったからだ。
 ガジガジ――ボリボリ――石を、食べた……?
 僕が|呆気《あっけ》に取られていると、彼女はさらにいくつかの魔石を取り出しては次々と口に放り込んでボリボリ――ボリボリ――。
 やがて、両頬をリスみたいに膨らませたエルフ娘がゴリゴリと咀嚼を続けながら錫杖を両手で掲げる。
「うえいっ!」
 ズドンッ! と錫杖が地面を突いた。
 ほとんど同時に複雑な幾何模様が地面に広がった。魔方陣だ。その中心で、ティリエルの髪の毛が|燐光《りんこう》を帯びて広がり、握り締める錫杖はまばゆく輝いた。
 そんなティリエルの肩に、フェリスが手をかける。
「「――○#●〆§△☆!」」
 二人が同時に気合の入った声を上げた。
 直後、錫杖の先端にぶら下がっていた無数の円環が空中に飛び散った。
 円環はティリエル、アーシェラ、フェリスをはじめとした向こう側のエイリアンたち、そして僕の頭の上で静止した。あたかもそれが天使の輪っかであるかのように、頭上でふよふよと浮かんでいる。
「くっ……」
 力尽きた声。
 ティリエルが膝から崩れ落ち、その場に倒れ込むのが見えた。ばたんきゅー。
 すかさずアーシェラが駆け寄った。
 彼女は腰から|瓶《びん》を取り出して、伏せったエルフ娘にその液体を飲ませた。チラッと見えた瓶の内容液は、ずいぶんと毒々しい色だった。
「ぐほっ……ゲホッ! ゲホッ!」
 ティリエルは苦しげに首を振っていたけど、アーシェラは問答無用とばかりに瓶の内容物を流し込んでいった。「おごぉ」などというエロい声がお面の下から聞こえてきて、息子がピクッと反応してしまう。僕も飲ませたい。
『ジボダン』
 ――お?
 声が聞こえるぞ。目の前の白装束の子はやっぱりフェリスだった。テレパスかな。でも接触してもいないのに、なぜ?
『なにがどうなったの?』
『えっとね……テレパスの魔石をティリエルに食べてもらって――』
『本当に食べたんだ……』
『うん。あれ絵的にすごいから、ドン引きしちゃうよね』
『き、聞こえてるわよフェリス……』ティリエルの恨めしい声がした。
『結晶砂漠のエルフはね、ああやって魔石を食べて一時的に他者のスキルを身体に宿すことができるんだ。だから他の種族よりも多彩なスキルを扱えるんだよ。食物が乏しい厳しい環境に適応した結果だって言われてる……あっ、でもね、だからといって、そのあたりに転がっている石を食べてみろ、だなんて、からかうと、すっごく怒るから気をつけてね』
 そりゃ怒るでしょ。落ちてる石を食えって、それ普通にいじめだからね。これだからエイリアンは。
『それでね、他にもいろいろ食べて、そうやって一時的に宿したスキルをティリエルの〈チャネリング〉っていうスキルで分配してもらったの』
『ふーん?』
 また分からないこと話してる……。
 とりあえず目に見えて分かりやすいフェリスの頭の上の輪っかをつんつん。
 ――シュン……。
『あ、消えちゃった』
『いいんだ。これで正しい。チャネリングは成功した』
 アーシェラの声だ。
 お面を取り外した彼女は、ぐったりなったティリエルを神輿の上に横たえて介抱した。
 それを皮切りに、続々と狐のお面を取り外していくエイリアンたち。
『これで私たち、ジボダンを含めてティリエルを中心に数十メートルの範囲で会話できるようになったよ』
 そんなこともできるんだ。エイリアンの謎テクノロジーって、やっぱりすごいね。
『なんだかティリエルが死にかけてるみたいだけど、大丈夫?』
「う、う、う……」と喉の奥から苦悶のうめき声を漏らし、手を前方に伸ばす姿はさながらゾンビだ。目の|隈《くま》がすごい。パンダかな?
 そんな彼女を、アーシェラが横目でチラリと見やって答えた。
『あれはただの魔力切れだ。チャネリングもエンチャント扱いだからな。今、お前にはすでにエンチャが大量にかかっている。その上に、さらにチャネリングを重ね掛けしたんだから、それはもう大変だぞ』
『どういう意味なの?』
『おいフェリス、ちょっと説明してやってくれ。この様子だと、もう一本くらい飲ませないと』
『も、もういい。もういいから……まっず……ゲロ吐きそう……なんで魔力切れなんかに……』
 やめてくれと懇願するエルフ娘に、容赦のないおかわり。続く「ぎゃーっ!」の悲鳴。拷問現場にしか見えない。息子が|滾《たぎ》る。
 そんな二人を尻目にフェリスの説明が入る。
『つまりね、エンチャントっていうタイプのスキルは、重ね掛けをすればするほど大変になっていくの』
『ふむ』
『1枚目のエンチャントが支払う魔力コストを1とすると、同じものでも2枚目は2倍、3枚目は4倍、4枚目は8倍っていう具合に、倍々で大変になるから』
『ふむふむ』
『ジボダンにはすでによ……3枚のエンチャントがかかっているから、次の4枚目は、ええっと、8倍の魔力コストが必要だったってことだね。しかもティリエルは、現在進行形で他にもいろいろと頑張っていて、限界が近かったから。これでついに魔力切れになっちゃったみたい』
 つまりティリエルはできる子、と。
『タイターニアとも会話できるのかな?』
『いや』と、アーシェラが神輿から飛び降りて首を振った。できる子ティリエルは神輿の上で倒れたままピクピクと痙攣している。
『タイターニアは除外した』
『えー、けち』
『お前とタイターニアの会話を手助けすることはダンタリオンに禁止されている。テレパスの魔石をそのまま使うと奪われる可能性があったからな。今回は、こういう回りくどい手段を取らせてもらった。他にも、私たちがここに来るにあたって、いろいろと言いつけられている』
『おのれ、ダンタリオン』
『そもそも、タイターニアにまでチャネリングを回す魔力の余裕はない。ギリギリだったんだぞ。結構すごいことをしているんだからな。もともとハイコストなチャネリングをじ……8倍の負担で行使しているわけで』
 言われて、朦朧と倒れ込むティリエルを見た。
 涎を垂らしてレイプ目。その片目は銀色に、もう片目は金色に変わっている。厨二病っぽいオッドアイだ。もともとは両方とも緑っぽい色だったはずなのに。
『しかし、おかしいな……』
『おかしいって?』
『ギリギリ、ティリエルの魔力が足りる人数で来たはずなんだが、どうして空っぽになったんだ? 計算ミスったのかな……?』
 アーシェラはあごを撫でて疑問符を浮かべている。しらばっくれている様子ではない。荷台の件は、知らないってことだろう。
『まぁ、いいか。タイターニアに関しては、本当に必要があれば私たちが仲介してやるから、それで我慢しろ』
『リディアはどうしたの?』
『謹慎中だ』
 まだ謹慎中なのか。ペニバンと遠隔操作ローター。そして流行りの極上おもちゃ〈ウーマナミヤー〉あげたかったな。
『それで君たち、わざわざこんなところにまで何をしに来たの?』
『|撃滅部隊《デストロイヤー》が来たよ、ジボダン』
 フェリスが言った。
『デストロイヤー……タイターニアを狙ってる連中だね?』
『うん。でね、悪いことに最上級の部隊が来ちゃったから、私たち、そのことをジボダンに伝えたくて。あと、タイターニアにも提案があって来たの』
『なるほど?』
 フェリスが言うには〈ハイランド・ゼファー〉という部隊が僕らを襲ってくるらしい。高原のそよ風だなんて、しゃれおつな部隊名だ。
『そこでだな』
 アーシェラが胸を張った。鎧のせいで硬そうだけど、丸いフォルムはいかにも女騎士って感じ。エロい。
『私たちを援軍として受け入れてもらって、対亜人戦線で共闘状態にする』
『ふむ』
『パパメイヤンには、先に亜人の砦を落とすという名目で、タイターニアへの攻撃を待ってもらうことにした。お前の力を使って亜人を攻撃させた方が合理的だという名目でな』
『アーシェラたちが、僕と一緒にハチハチを攻撃すると?』
『ハチハチ?』
『あの街のこと』
『そんな名前なのか。あぁ、そうだ。これならば、ハイランドゼファーに待ったをかけられるのだが……実はゼファーの中には、お前たちを攻撃したい強硬な奴らもいてな。そっちが言うことを聞いてくれるかどうか……』
 ――ふーむ……。
『なんで僕を攻撃したいの?』
 僕が首を倒したのを見て、アーシェラが眉をひそめた。
『お前がコロンゾンを|斃《たお》したからだ。まさか覚えてないとかないだろ』
『だれ?』
『フェイムバウム争奪戦で、まぁ、その、なんだ……』
 ちょっと言いにくそうになる。
『――相打ちになったんじゃないか? 中身が空っぽの甲冑騎士だ』
『ああ、いたね。確かに、やっつけたかも知れない』
『まったく……』
 彼女は腕を組んで片眉を吊り上げた。
『いったいどうやって亜人だった身でコロンゾンを斃したんだ? 当時のデュポンやオルランド、パパメイヤンと並んで、ミフォーシスに名を轟かせた怪物だぞ。刺し違えても普通は勝てん。どんな手口を使ったんだ、教えろ』
『どうやったんだろうね、よく覚えてないんだ』
『隠すなよ、教えろって』
 それで彼女が言うには、そのコロンゾンの部下だったエイリアンが仇討ちとして僕を狙っているということだ。しつこいなと思ったけど、気持ちは理解できる。仕事をやり残したら気持ち悪いからね。僕もやると決めた仕事はやり切らないと気が済まないタイプなんだ。プロなもので。
『ところで今の話、タイターニアには伝わってる?』
『今、フェリスが話をつけている』
 言われて振り返ると、フェリスが何かを言って、タイターニアが口をつぐんで拳をぷるぷるしていた。
 ――えっ……?
 すごい。口論でフェリスが優勢とは。
『なんの話をしてるんだろう?』
 するとアーシェラは「うーん」とうなり、白々しい目を送ってきた。
『なぁ……お前、タイターニアを犯してるのか?』
『うん』
『主従関係が逆じゃないか?』
『ベッドの上だけ、立場が逆転するんだ』
『あきれた……』
 |胡乱《うろん》げな嘆息。
『フェリスは、つまり……はぁ……お前の|夜伽《よとぎ》の相手が一人だけだと大変だろうから私たちを受け入れろ、という言い分だな。なんちゅー交渉をしてるんだ、あいつは……というか、なぜ私まで頭数に入れている……』
『……』
『タイターニア一人で欲張っても、そのうち壊されてしまうぞと、脅しをかけているんだが、あれはなんなんだろうな……ただの痴話喧嘩か……? とにかく前代未聞の交渉術だが、実際、あの女のやつれ顔を見ると、まぁ、その、大変そうだな……』
 アーシェラは僕をチラ見して、ふたたび嘆息をついた。
『お前どんだけ抱いてたんだ……タイターニアも反論しきれないようだぞ』
『なんか申し訳ない』
『フェリスはな、変わったんだ。あいつがここに来るって言い出してから大変だったんだぞ。烈火のごとく|怒《いか》るフェニキアの反対を自分で押し切ってきたからな。もう、これまでのフェリスだと思うなよ。そら、もうすぐタイターニアを言い負かしそうだ』
 フェリスとタイターニアの話し合いは、確かに、タイターニアの|分《ぶ》が悪そうに見えた。
『なぁ』
『ん、なに?』
『ところで、この草、食ったらどうだ?』
 そう言って、アーシェラが草を差し出してきた。
『聞いたぞ。好物なんだろ? んん? まだまだ向こうに大量にあるから、好きなだけ食っていいぞ』
 そう言って彼女が指し示したのは、神輿の裏で山積みになった牧草ロール。うそ……あれぜんぶ、店長の謎草なの……?
『デュポンからの祝い品だ』
『デュポンって?』
『ほら、ミノスランドの……お前が働いてた精肉店の店長だ』
 わぉ。店長はデュポンっていうのかモグモグ……んまい!
 久しぶりの草だ。元気になった。
『これも飲むか』
『これは?』
『ミノスランドの新作スムージーだ』
 ゴクゴク、げふー。フレッシュうんまい! 例の蜜壺アリくんの琥珀蜜をたっぷり入れて飲みたいね!
 不意に、アーシェラと目が合った。
 なぜか目元がニタニタと笑っているのが見えた。その顔に悪そうな影までかけて。まるでヤンキーが悪巧みしてるかのような、よこしまな笑みだ。
『――――で、だな。先に亜人の砦……ハチハチって言うのか? お前の手で、あそこを徹底的に潰してもらってだな』
『その件だけど、無差別破壊はやめたんだ。もっとコンパクトにやることにした』
『は? なに? なんでだ?』
 アーシェラに詰め寄られる。慌てた様子だ。
『いろいろあってね』
『いや、だが、しかし……あの砦を潰さないと、私たちがここにいる理由も、タイターニアへの攻撃をゼファーに待たせるのも、その後、穏便に事を収める計画もご破算だぞ』
『頼んでないんだけど』
『いーいーかーらっ!』
 バンバンと強めに肩を叩かれる。
『そのふざけたパワーを存分に発揮して、ハチハチを焼け野原にしてこいって!』
『そう言われても……アビゲイルと約束しちゃったからな……』
 渋る僕を、竜の目がギロリと|睨《ね》め上げる。
『アビゲイルって、あれか。噂の亜人の女か。どんな関係なんだ。フェイムバウムでお前の供物だった女だろう』
『そうなんだけど、けっこう仲良くなってね』
『またセフレか?』
『まぁ』
『……美人なのか?』
『え? うん』
『ほーん』
 アーシェラが口を尖らせて、白い目を突き刺してくる。
 そんな非難をうやむやにするべく、彼女をおだてにいく。
『その鎧、かっこいいね。すごく似合ってるよ』
『ん? そうか?』
 言われて、自分の鎧を見下ろした。
『ふふふ。そうだろう、そうだろう。これは私がわがままを言ってな、パパのお|古《ふる》の鎧を仕立て直した特注の……――』
 にまにまと、まんざらでもないご様子。竜のしっぽがビタンビタンと土を叩き、翼はパタパタと。鼻高々なんだ。ちょろいぜ。
 不意に、アーシェラが咳払いして真面目な顔つきを取り戻した。
『……おほん! とにかくッ! お前があの砦を落とさないと、ゼファーの動きを抑えられなくなる。張り切って暴れてもらうからなッ!』
『でもさぁ……僕って約束は破らない主義だから……』
『それは立派なことだが……しかしだなぁ!!』
 くわっ! と牙を剥いた。
 タイターニアとフェリスの方も、いつの間にか口論がエスカレートしていた。
 旗色の悪いタイターニアが、静かにキレ始めてるっぽい。
 巻き角からパチパチと雷撃がこぼれてる。
 ――巻き角……? いやぁ……?
 彼女の巻き角は、伸びていた。
 もはや巻いてない。鬼の角みたく上にまっすぐ伸びている。あの角、伸び縮みするんだね。知らなかったよ。どこからともなく不穏な風まで吹き始めて、彼女のドレスがバサバサとはためいていた。花吹雪が舞っている。冬なのに。おまけに右手からは黒い炎が、左手からは白い炎がそれぞれ上がっていた。文字通り、火の手が上がっているんだ。
 ――えぇ、|怖《こわ》……。
 怒ったタイターニアを初めて見たけど、怖い。怖いよ。フェリスは怖くないのかな……?
 心配になったけど、当のフェリスは堂々としたものだ。
 するとタイターニアが何かをわめいて指差した。
 その指が指し示す方向にはティリエルが。彼女は具合が悪そうな顔を一層青ざめさせて目を逸らしていた。
 そんな口論を、僕ははらはらとした心持ちで見守るほかないのである。
『交渉決裂かナ?』
 唐突に、聞いたことのない声が脳に届いた。
 僕が身構えると同時に、荷台のロール牧草が爆散した。
 飛び出してきた影が、地を這う風となってタイターニアに殺到する。
 僕の予想は半分正解で、半分間違いだった。
 女忍者マコモが、あの牧草の中に身をひそめているのは感じていたけど、疾駆する小柄な襲撃者は別人だ。もっとも、不意打ちは警戒していたわけで。充分に対処は可能なタイミングだった。
 僕は地面を踏み鳴らし、ブッチャーナイフを背中から抜き払った。
 巨大なナイフが、ブッチャーの怪力によって振り下ろされる。タイターニアに向かって走る人影の脳天を直撃するコースだ。
 分厚い鉄塊が襲撃者を叩き潰す――その寸前。
 襲撃者が地面を蹴って方向転換を決めた。
 ナイフは空を切り、地面をむなしく断ち割った。
 そうしてブッチャーナイフを振り下ろしたままの姿勢で硬直する僕。
 その懐に飛び込んでくる小柄な影。
 虚を突かれた。はなから狙いは僕の方か!
 反射的に身体をひねることで回避行動を取った。
 視界のどこかでキラリと光が閃いて、ドンッと突き飛ばされたような衝撃。
 直後に、じんわりと脇腹に熱い感覚が広がった。
 すれ違いざまに斬られた。
 追って痺れにも似た痛みが襲ってきた。致命傷ではない。感覚で分かる。分厚いお腹のお肉を切られただけ。ちょっとだけ、危なかった。
 立ち位置を入れ替えて、あらためて襲撃者と向かい合う。
 そこに立っていたのは――……お|札《ふだ》ガール、とでも言うべきか。
 黒を基調とした、ものすごくオリエンタルで、ぶかぶかな服装の女の子だった。なぜか顔面にお|札《ふだ》が一枚貼られていて、それが強烈なインパクトを放っていた。お札の下の顔立ちは端正で整っている。美少女だ。左右でリング状にまとめた髪型が特徴的。
 彼女の手には分厚い片刃の剣――青竜刀が握られていて、その刀身が僕の血で濡れていた。意外だけど、ブッチャーの血ってちゃんと赤いんだよね。
 とりあえず、顔が|土気《つちけ》色であることをツッコむべきか。服のサイズがぜんぜん合ってないことをツッコむべきか。その上にマントも羽織っているけど、まったく似合っていないことをツッコむべきか。それとも、やっぱりお札をツッコむべきか。ツッコミどころが多すぎる。
『ユーファン! どうしてお前がここにいるんだ!』
 アーシェラが槍を突きつけて叫んだ。
 神輿を担いでいた一団からも、ざわめきが起こっている。
『プロは殺せるチャンスを見逃さないんだヨ!』
 お札ガールは凶暴な笑みを浮かべた。
 歯が、サメの歯みたいにギザギザだ。ギザ歯。すげぇ。
『どなたさん?』
 僕が聞くと、アーシェラが教えてくれる。
『奴の狙いはお前だ、ジェヴォーダン! そのキョンシー女はユーファン! ハイランドゼファーのメンバーだ! 刺客として紛れ込んでいたな!』
 こいつがか。エイリアンの精鋭部隊。初対面。
 ――で、キョンシー女とは?
 キョンシー……アジアのゾンビだっけ?
『死ネ、ブッチャーッ!』
 僕が心の中でキョンシーという単語の持つ意味を噛み砕いていると、そうはさせじ(?)と、だぼついた服の隙間から、何本もの金属チェーンが伸びてきた。
 ギラつくチェーンが全方位から襲いかかってくる。ものすごいスピードだ。まるで自由意思を持っているかのような不規則な動きにファンタジーを感じた。
『私たちは手が出せないから、自分でなんとかしろ!』
 そんなアーシェラの|檄《げき》を耳に聞きつつ、ブッチャーナイフを振り回してチェーンを弾き飛ばした。
 ――この|鉄鎖《てっさ》、見た目以上に重い。
 機関砲を受け止めたときにも匹敵する痺れが指に残る。油断できないぞ。
『頑張ってジボダン!』
『ふぁいとぉ……!』
 フェリスとティリエルの声援を受け、僕は後ろに飛んだ。
 するとキョンシー女もそれに合わせて、青竜刀を構えて距離を詰めてくる。彼女はブッチャーを怖がっていない。
 さらに二歩、三歩とキョンシー女を引き連れて後退する。
 逃げているわけじゃない。力を使うためだ。巻き込まないよう、タイターニアたちから距離を取っている。僕の力は無差別だから。
 チェーンが鬱陶しい。
 ユーファンの服の裾から、絶えず伸びて襲いかかってくる。まるで空中を走る銀色の蛇の群れだ。大きくて取り回しに難のあるブッチャーナイフで|捌《さば》くのはひと苦労だった。そんな攻撃に紛れて、彼女の服から白銀に輝く円環が、こっそりと飛び出したのを僕は見逃さなかった。それは大きなカーブ軌道を描きながらシャリシャリと宙を滑り、僕の死角から角度をつけて襲いかかってくる。
 仕方なく足を止めて円環をナイフで払った。
 甲高い金属音を残して地面に落ちたのは丸い刃――|円月輪《チャクラム》ってやつだった。こんな古代の武器、初めて見たよ。さっきから変わった武器ばかり出してくるけど、武器マニアなのかな。僕は銃器マニア。気が合いそう。
 追加で飛んできたチャクラムも叩き落とす。
 こうして立ち止まってしまったことで、いよいよチェーンを振り切れなくなった。
 ユーファンとの距離が詰まる。
 そのとき、タイターニアが動きだそうとするのが目に入った。
 そんな彼女に向かって、待ったのジェスチャーを送る。僕が劣勢に見えているのかも知れないけれども、他にも敵がひそんで君を狙っている可能性を考えるべき状況だった。こいつは僕一人で対処する。それに、もう充分に距離は取れた。反撃開始だ。
 ブッチャーナイフを両手で握り締めた。
 するとそれを見たユーファンが、口角をニヤリと吊り上げて正面から僕の領域に踏み込んできた。彼女は風を置き去りにするかのような凄まじい加速を見せた。
 一瞬のタイミングを見計らって、僕は奥歯を噛んだ。
 直後に湧き立つ〈|衰弱する瘴気《ウィザーリング・ミアズマ》〉。浴びれば大抵の生物は動けなくなる。これでユーファンの動きが遅くなる。動きを止めれば、たとえ東洋のゾンビといえども、まな板の上の鯉。いかようにでもお料理可能。そのはずだった。しかし、そんな僕の期待はあっさりと裏切られてしまった。
 ユーファンは青竜刀を振りかぶって瘴気を突っ切ってきたんだ。
 彼女の突進の勢いは衰えていない。どうして?
 瘴気の効果がなかったことに、やや驚きを覚えつつも、青竜刀の一撃をブッチャーナイフで受け止めた。
 激しい金属音が上がり、腕と肩に電撃が走る。
 ――重い……!
 岩で殴りつけられたみたいだ。普通の女の子みたいな体格で、オオムカデの五号君に匹敵するインパクトを叩きつけてきやがった。
 立ちこめる瘴気の中、ユーファンはそのまま何食わぬ顔で自在な連撃を繰り出してきた。そのすべてが重打だった。
 どうやら、彼女には瘴気がまるで効いていないらしい。
 こんなこと初めてだ。
 これがエイリアンの精鋭ってやつか。
 浴びせかけられる|剣戟《けんげき》の一瞬の隙を突いて、キョンシー女を蹴り飛ばした。
 距離を取り、同時に口から〈|腐爛の吐息《ピューリッドブレス》〉を吐いた。マーブル模様のガスが、彼女を包み込んだのを見届ける。ここは開放空間だから、これで即死まではいかないだろうけど、ダメージは入るでしょ。そう思った。ところが、だ。
 ユーファンはこれも無視して青竜刀を片手に斬りかかってきた。まったく効いていない。ええーっ!?
 内心のショックを悟られないよう、吠え散らしながら彼女と斬り結んだ。
 |鍔迫《つばぜ》り合いの形で睨み合う。
『なかなかやるじゃン、ブッチャーッ!』
 お札ガールが鋭いギザ歯を光らせた。
 彼女の攻撃はとにかく重い。まるで油圧ショベルと殴り合いしてるみたいだ。
 地面を蹴り、全身でユーファンを押し返す。
 彼女はその圧力には逆らわず、身をひるがえして背後に飛んだ。逃げじゃない。それは次の攻撃の予備動作に過ぎなかった。ふたたび前に出て、僕の|懐《ふところ》に入り込もうと執拗に繰り返してくる。
 僕の図体がデカいから、近距離戦が有利だと考えているな。
 実際、素早く寄せられるとナイフが自由に振れなくて防戦一方になってしまう。相手に継続的な不利を|強《し》いて、戦いの流れを手放さない熟練の立ち回りだ。なるほど。キョンシー女の肉体は強靱。心は勇敢。多彩な武器の取り扱いに|熟《こな》れており、かつ戦術にも明るく、それを実行できる経験値の持ち主。プロフェッショナルを自称するだけある。
 見た目が弱そうだからって、ちょっと舐めてたよ。
 でもね、僕だって戦いのプロなのさ!
 |三度《みたび》、彼女を腕力で押し返し、そうして一瞬だけ生まれた|間隙《かんげき》でブッチャーナイフを振り上げてみせた。
 大上段に構えて、あからさまな強撃のポーズだ。
 そんな誘いに、一瞬だけ目を細めたユーファンだったけど、彼女はすぐに腰を落として青竜刀を上に掲げてみせた。堂々とブッチャーの|薪《まき》割りを受け止めようという姿勢だ。お札の裏に半分隠れた目には、迷いも恐怖も見当たらない。よほど自分の|膂力《りょりょく》に自信があるんだろう。雰囲気はちょっとかわいいアジアン・ガールなのに、ブッチャーを相手に、たいしたタマだ。
 でも僕の狙いは、そんな彼女の慢心だった。
 この女、さっきから僕のことを格下扱いしてるのか、舐めた動きばかりみせている。舐めプってやつだ。こんな大振りの攻撃、避けてカウンターを仕掛ける方が確実なのに、わざわざ受け止めてみせようだなんて。ブッチャーという脳筋モンスターを、正面からひねり潰して自分の力をひけらかそうという魂胆だろう。そうはいくか。後悔させてやる。
 ユーファンの足が止まったのを見て、僕は頭上のナイフを手放した。
 お札の奥に光る大きな瞳が、一瞬だけ驚きに歪んだのが見えた。
 その隙に掴みかかった。組み手でねじ伏せる作戦だ。その関節、ぶっ壊してやる!
 これで、たぶんユーファンは後方に跳んで逃げるだろうから、そこを爪で追撃して切り刻んでやろうと二重の罠を仕組んだつもりだった。
 だがしかし、彼女は逃げなかった。しかもなんと、彼女もまた青竜刀を手放して両手を伸ばしてくるではないか。これは予想外。
『ふんグゥゥゥ……ッ!!』
 青筋を立てて、僕の剛力に真っ向勝負を挑むユーファン。
 お互い武器を捨てて両手を組み合わせる格好に。おでこを突き合わせて、力比べの体勢だ。悔しいけど正しい対処だったと思う。武器にこだわっていては、僕の爪にズタズタにされていただろう。でも組んでしまえば、こちらのものだ。このままブッチャーの腕力と僕の寝技で押さえ込んで公開レイプしちゃおう。
 なんて、胸中で舌なめずりした、そのとき。
『――どっっせえええええええええええイッ!!』
 突如として見えている景色が天地返しとなった。
 流れる視界の中で浮遊感に襲われる。
 間を置かずして背中に衝撃を感じた。
 木々をへし折りつつ地面を滑ったかと思ったときにはもう、僕の顔面は泥を舐めていた。
 ――まじか……。
 ブッチャーの怪力で押し潰そうとした僕が、逆にうっちゃって投げられていた。信じられない。さすがにプライドが傷ついた。ブッチャーにだって、ちっぽけな自尊心くらいはある。悔しい。
『残念だったナ! 腕っ節ならアタシの方が強いんダ!!』
 そんな声に、頭を上げる。
 僕の目に映ったのは、巨大なハンマーを振りかぶり、嬉々として躍りかかってくるユーファンの姿だった。
 ――なにそれッ! どっから取り出した!?
 間一髪、横に跳んでハンマーの振り下ろしを避けた。直後に地震が起こり、地面が爆発して泥が飛び散った。
 明らかにユーファンの身体よりも大きな|大槌《おおづち》だ。木製の側面には100|t《トン》とでも書いてありそうな一品。いったい、どこに隠していたのだろうか。誰かから受け取った気配は感じなかったけど。
 苦し紛れに、近くに転がっていた丸太を掴み上げて投げつける。
 ところが彼女はそれすらも避けず、正面からハンマーを振るって丸太をぶち破ると、木くずと一緒になって、僕に向かって一直線に殺到してきた。
 次のハンマーの一撃は|躱《かわ》せなかった。
 水平に打ち込まれてきた木塊から、滅法な|撃力《げきりょく》が僕の肺を突き破って全身を突き抜けた。
 ブッチャーの巨体が軽々と飛ばされ、地面を転がされてしまう。
 ――ジャラリ……。
 すぐに立ち上がろうとしたけれども、全身に抵抗を感じてうまく動けなかった。
 僕が両手を突いて顔を上げたとき、すでに大量のチェーンが全身に巻きついていた。
 チェーンの元を視線で追うと、勝ち誇った顔のユーファン。
『捕まえたゾ。すばしっこいブッチャーめ』
 ブッチャーになってから、エイリアンにここまでコテンパンにやられたのは初めてだ。痛いし、悔しいし……ムカついてきた。
 苛つきと共に|堰《せき》を切って湧き出してきたブッチャーの凶暴性を抑え込む。真面目に、今キレるのはマズい。相手は|手練《てだ》れだ。やたらめったら暴れても勝てないどころか、ますます不利になってしまうだろう。冷静に。
 立ち上がり、ユーファンとチェーンの綱引き状態で拮抗した。驚くべきことに、彼女は僕の力で引っ張ってもびくともしなかった。
『キョンシーは腕力だけならミフォーシスでトップクラスだぞ! 油断するな! あとそいつな、肉体が死んでるから大半の|弱体化《デバフ》は効かないからな! 技で押していけ!』
 アーシェラの遅すぎるアドバイスが飛んできた。彼女はフェリスたちと並んで手でメガホンを作り、観戦モードだ。
 肉体が死んでるって? なにそれすごい。やっぱりゾンビなんだね。にしてはエグい腕力をしてる。
『キョンシーに|魔導系《アルカナ》スキルはないよ! ぜーんぶ|近接系《ミーリー》スキルだから! 落ち着いて対処すれば大丈夫! その腐れ女をぶちのめしちゃって、ジボダンっ!』
『なんで教えるノー!?』
 非難がましく二人を睨むキョンシー女。
『くそガ……お前ラ、帰ったら覚えてろヨ!』
 彼女が力を込めてチェーンを引くと、ブッチャーの大きな身体がズリズリと引きずられてしまう。抵抗する僕の|踵《かかと》が土をまくり上げているけれど、ユーファンは気にせず引っ張り続けている。
 ――これは……。
 手加減しての制圧は無理だな。
 とんでもない馬鹿力だ。
 殺すか。
 ユーファンはフェリスたちに顔を向けて油断していた。
 そんな彼女の横顔に、獣の殺意を叩きつけた。
 次の瞬間、ふと魂を引っ掻いたような小気味よい手応えがあった。
 なるほどね。
 こっちの力は効くんだな。
 僕は胸中でほくそ笑んだ。
『ユーファン、って言ったっけ?』
 僕が念話すると、キョンシー娘は目を丸くした。
 小馬鹿にした笑みが返ってくる。
『わオ! ブッチャーほんとにしゃべれるんだネ!』
『今すぐ裸で土下座して謝れば、五体満足で帰してあげるけど』
 さんざん凌辱して僕のちっぽけなプライドを回復してからだけど。
『…………立場、分かってないナ? やっぱり脳みそ豆粒なのカ?』
 僕に絡まったチェーンを片手で引いて、ユーファンがギザ歯を光らせた。そのとき、スー……ッと、音もなく新たな青竜刀が服の隙間から伸びて、彼女のもう片方の手に収まるのを目撃した。奇術師かな? さっきから体積的におかしいでしょ。またエイリアンの謎魔法か……くそが……。
『アタシはサ、直接コロンゾンのこと知らないんだけド、ノーデンスには借りがあるかラ。ブッチャーその首、頂戴するゾ』
『任務に忠実なやつは嫌いじゃないけどね。そのコロンゾンって奴とは戦場で殺し合ったんだから、その結果で僕が恨まれるのは筋違いじゃない?』
『亜人にマグレカナールの|勇《ゆう》がコロコロされたなんて噂が立ったラ、アタシたちノクターンズの商売あがったりなんだヨ!』
『事実をひた隠し、かっこ悪い』
『……オマエ、亜人だったんだってナ』
 ユーファンはそう言って眉をひそめ、皮肉めいた声音で続けた。
『そんな醜い姿になってまで生きるのは辛いだロ。アタシが綺麗さっぱり引導を渡してやるかラ。さぁ、大人しく首を差し出セ』
『最近、ブッチャーにも慣れてきてさ。女を犯して食べるのも楽しいよ。なんなら君も食べる前に犯してあげようか。あ、でもこれって死姦になるのかな』
『上等……ダッ!』
 ユーファンがチェーンを強く引いた。
 その瞬間を見計らって、僕もチェーンを握り返した。
 途端に、身体に巻きついていたチェーンが変色し、ぼろぼろに風化して砕けた。
『ナッ!?』
 チェーンのテンションが急に失われたことで、ユーファンはバランスを崩してその場でたたらを踏んだ。
 彼女自身にブッチャーの汚らわしい力が通用しなくとも、武器にはしっかり効果がある。これには、さすがの彼女も驚きを隠せない。自慢の武器を破壊されたショックもあるだろう。そうして隙を見せた彼女に、ブッチャーの咆吼を思いっきり叩きつけた。
「――――ギッ!?」
 岩にひびが入ってもおかしくない音圧に呑み込まれ、ユーファンは力なく膝を突いた。彼女は愕然と頭を押さえたまま、まるで貧血に見舞われたかのようにその場から動くことができない。
〈|諦念《アクセプト》〉――〈|獲物の烙印《プレイ・ブランド》〉が押された魂は、ブッチャーの殺意あふれる吠え声を聞くだけで|竦《すく》み上がり、死を受け入れる。
 僕は抵抗の意思を失った獲物を食べるだけでいい。
「――――くカぁッッ!!」
 ユーファンは負けじと気合を発した。
 直後にズンッと、不可視の波動が彼女の背中から放射されたのを感じた。
『お、のレ……ッ!!』
 ギザ歯を食いしばったユーファンが、青竜刀を突いて立ち上がる。
〈|諦念《アクセプト》〉から自力で抜け出したみたいだ。そんなことができるのか。素直にすごいな。
 でもブッチャーとの殺し合いにおいては、ほんの|一時《いっとき》の隙すらも致命的。
 彼女が立ち上がったときにはすでに、僕は地面を蹴って駆けていた。
 ユーファンが慌てて青竜刀を構え直したのが見えたけど、もう遅い。
 僕が駆け抜けざまに爪を振り抜くと、軽い手応えがあった。
 青竜刀を握ったままの腕が、青空にくるくると舞った。
「グっ……!!」
 彼女は片腕を失ってもなお、倒れなかった。
 肩から青い血を噴き出し、ふらふらと身体を揺らして僕に向き直る。お札の奥の瞳が憎悪に燃えていた。
 一方の僕はUターン。|猿《ましら》のごとく取って返し、容赦なくユーファンに飛びかかると彼女を押し倒して馬乗りになった。この女は想像を絶する怪力の持ち主だ。力で抑え込むのは無理だろう。殺すと決めた。手加減もいらない。
 歯茎むき出しの口で、彼女の肩に噛みついた。
 メリメリ、ベキベキ。肉と骨の歯触りが心地よい。
 そのまま服ごと肩を食いちぎると、勢いよく青い血が噴き出した。
 だがしかし――。
『舐めるなヨッ!!』
 肩から骨が見えるほどの怪我を負ったにもかかわらず、ユーファンは千切れかけた腕を|懐《ふところ》に差し込んで、中から短剣を取り出した。継戦の構えだ。
『このアタシ特製の焼夷炸裂剣でその心臓、吹っ飛ばしてやルッ!!』
 あっぱれな根性じゃない。普通、こうなれば痛みとショックで動きが止まるものだ。
『な、なにィッ!?』
 取り出した自慢の焼夷炸裂剣とやらは錆びていて、ぼろぼろだった。腕を失っても平静だったキョンシー女が、ついに動揺を見せた瞬間だった。
 僕の〈|感染する腐朽《ラスティ・コンテイジョン》〉は広く感染する。あのとき、チェーンは彼女の服の下から伸びていた。今頃、服に隠されていた彼女の暗器はすべて|朽《く》ちていることだろう。
『残念だったね。もう君の武器コレクション、ほとんど残ってないと思うよ』
『ちっくショ……きっさマァッ!!』
 激昂したユーファンが、僕の下でじたばたと暴れ始めた。
 肩を破壊されているのにもかかわらず、彼女の怪力は健在だった。暴れるたびに僕の身体がはねのけられそうになる。キョンシーすごい。
 ここまでやっても戦意を失わないのか。やむを得ない。いろいろ聞きたかったし、強姦したかったけど。|南《な》|無《む》|三《さん》――――。
 組み伏せたユーファンに至近距離からブッチャーの雄叫びを浴びせかけると、ふたたび彼女の全身が脱力した。
『くァ…………ッ!?』
 そうして無防備になったユーファンの胸めがけて〈|切り苛む爪《ジャギュレイター》〉を振り下ろした。
 ドッ……と静かな音がして、僕の|貫手《ぬきて》は彼女の胸を|穿《うが》ち、その奥の大地もまとめて串刺しにした。
 ――冷たいし、心臓、動いてないな……。
 そんなことを考えながら手を引き抜こうとすると、その腕に鋭い痛みが走った。
 見ると、噛みつかれていた。
 ブチィッ!!
 先ほどの意趣返しとでも言わんばかりに、ユーファンのギザ歯が僕の腕の肉を食いちぎる瞬間が見えた。ブッチャーの血が飛び散り、彼女の凶相を赤く染めた。その表情には、いまだ失われない戦意と、|凄絶《せいぜつ》な笑みが浮いていたけれども、それもすぐに忌々しそうなものへと歪んだ。
『ぐ……アタシの|呪詛《ヘックス》が通らないだト……ッ!?』
『このアマぁ……ッ!』
 マジでムカッときた。痛いじゃん。
 実は、さっきハンマーで殴られたときも、かなり痛かった。いい加減に頭に来た。
 爪を横に振り抜くと、数本の光の筋が走った。
 ユーファンの服の前面が裂け、その下の肉もまたはじけて飛び散った。青白い肌に刻まれた爪痕の奥で、紫色の臓物までもが空気にさらされて|蠢《うごめ》いていた。
 彼女はそれでも動きを止めなかった。口が届く範囲で僕の肉をやみくもに噛みちぎって抵抗を続けている。ガウガウと、狂犬病を患った野良犬さながらだ。
 一方の僕はケダモノだけど、よく訓練されたケダモノなのである。
 それならばと、くるりと身体を回してユーファンの足を取った。
 直後にバキンといい音が上がった。
 倒れ込みながら片足|挫《ひしぎ》を決め、そのまま全力で彼女の足関節を破壊して、へし折った。
『くソッ!!』
 などと悪態をつかれたけど、僕は無視して立ち上がり、彼女の背中を踏みつけた。
 流れ作業的に残っていたユーファンの腕を掴み取り、全背筋を駆使して根元から引っこ抜くと、彼女の腕はブチブチと嫌な音を立てて千切れた。肩から引っ張り出された太い血管が、びよーんとゴムみたいに伸びていた。
 これにて制圧完了。もはや足一本しか残っていない。両腕はもがれ、片足はあらぬ方向に曲がったまま。そんな状態でも依然として会話可能なのが、いい感じにゾンビだった。
 そんな負け犬キョンシー女を蹴っくらかして、仰向けにした。
 勝利宣言として、もいだばかりの彼女の腕を食べてみせる。
 見せつけるように、むしゃむしゃ、むしゃむしゃと……。
 むしゃむしゃ……。
『――……ユーファン。君って、見た目のわりにおいしくないよ……なにこれ、泥……?』
 あるいは腐った老いぼれ肉。わりと美少女然とした容姿なのに、ガッカリだ。憧れのあの人とベッドインしたらワキガだった的なショックある。
『ぐっ……なんてふざけたバケモノだ!』
 ゴボゴボと、口から血の泡を吹いてユーファンはわめいた。
『アタシの攻撃にはぜんぶ|呪詛《ヘックス》が付加されているのに、どうしてすべて|弾《はじ》くんダ! おまけにさっきのスキルはなんダ! このアタシにバッドステータスを与えるなんて、それ〈|祟り《カース》〉じゃないのカ!? どうしてオマエがカースを扱えル! オマエ本当にブッチャーなのカ!?』
 心臓は潰した。
 腹は割かれ、内臓は飛び出し、両腕は欠損。片足は破壊。これでもまだ意識がはっきりしているとは。タフの次元を超えている。なんなんだこいつ。ふざけたバケモノは君の方だよ。
 それじゃあ、頭部を失っても、生きていられるのかな?
 メキリ。僕の足の裏がユーファンの頭部を踏みつけた。
『待って、ジボダン』
 フェリスが止めに入ってきた。
『ユーファンのお|札《ふだ》は壊さない方がいいよ』
 僕の腕を押さえ、さりげなく怪我を治してくれている。|温《ぬく》い。前から思ってたけど、フェリスのこの回復の魔法は気分が落ち着く。
『さすがに、もう助けるつもりはないよ。見たくないならフェリスはあっちに行ってて』
『ううん、そうじゃなくてね』
 ふるふると首を振り、フェリスが続ける。
『キョンシーは|魂《こん》|魄《ぱく》を|魂《たましい》と|魄《ゆうれい》のふたつに分離してあって、その半分である|魂《たましい》が〈|常夜の地《エバーナイト》〉にあるお墓の中に、残りの半分の|魄《ゆうれい》がこの肉に宿っているの。そのお札は|魄《ゆうれい》を縛りつけている魔道器なんだよ』
『が、ガキんちょがぁ、きさまーッ!!』
 ――うーん、分からない……。
 重要情報だったっぽいけど、その価値が僕には理解できない。
『もうちょっと、子供にも分かるように簡単にお願い』
『えと……つまり、このユーファンの身体活動が完全に停止するか、あるはお札が破壊されると、遠くにある墓の下から新しいユーファンが復活しちゃう』
『オマエら、さっきからなんでこのブッチャーの味方をするんだヨ!!』
 墓から復活するとな?
 ははぁ、なるほどね。だから一人でのこのこやって来たのか。死んでも平気だから。なんて便利な鉄砲玉なんだ。
『じゃあ、どうやって殺せばいいの?』
 するとフェリスは足元のユーファンを見下ろして言った。
『墓ごとぶっ壊せば。もともと半分死んでるから、成仏って言った方がいいのかも。その気色悪い身体も土くれから出来てるらしくて……あっ、でもエバーナイトはここからだとすごく遠いよ。お墓の具体的な場所も分からないし……』
『えぇ、めんどくさ』
『うん。面倒くさいから、そのまま土に深く埋めて放置しよ。ゆっくり微生物に分解させれば、その間は静かだから』
『おぃいいいいいいいいいいイッッ!!』
 僕の足の裏で、キョンシー女は焦りのにじむ悲鳴を上げた。効いてる効いてる。
『そこの|女竜人《ドラゴンメイド》、助けロ!!』
 すると、アーシェラはとんでもないと言わんばかりに両手を振った。
『いや、おまえが勝手に襲いかかって返り討ちになっただけだろう。我々は正式なフェイムバウムの使者だ。私闘には手を出せない。それに、私たちはダンタリオンからタイターニア陣営との交戦を固く禁じられている。ここで揉め事は御免だ』
 意外にも立派なアーシェラの受け答えに、ユーファンはぐうと、うめいて静かになった。
『おい、ジェヴォーダン。こいつを殺してしまって、エリジウムに戻られると面倒だぞ。腹いせに交渉が不調だったとか、我々が裏切ったとか、ある事ない事を言いふらされたらかなわない。そのまま拘束しておけ』
『――……ふっ、馬鹿メっ!』
 ユーファンが不敵に笑った。
『この札はナ! 一定期間更新しないと勝手に燃えるようになってるんダ! 帰ったらオマエらのことはちゃんと魔王さまに報告してやるからナ! 裏切り者メ、覚悟しロッ!!』
『チッ、こいつ……』
 アーシェラは舌打ちして苦々しい表情を見せた。
 偉そうに言ってるけど、中身はただの告げ口だ。威勢がいいのに小者臭あふれるところが、ちょっとだけかわいいぞ、ユーファン。
 すっ……と、白い手が横から伸びてきた。
 タイターニアだ。
 スプリガンに護衛された彼女が隣に立っていた。まだ、フェリスとの口論による不機嫌が収まっていない様子で、巻き角からはパリパリと怒りの余波をこぼしている。
 そんな彼女が、ブツブツと口の中で何かを唱えながら右手を上に挙げた。
 その手で、ギュッと|空《くう》を掴み取る。
 直後にガオッ!
 音を立てて彼女の拳が燃え上がった。世にも珍しい黒い炎だ。
 ――カミナリに、炎まで……。
 これで地震まで起こせたら、地震カミナリ火事タイターニアだね。そんな、しょうもないダジャレを思い浮かべる僕をよそに、彼女は黒く燃え盛る手のひらをユーファンに向けて突き出した。
 成り行きを見守っていると、次の瞬間、ブンッと未来的な音を立てて彼女の手の先に黒い円が空中に広がった。そこには、うにょうにょと細かい模様のような、あるいは文字のような何かが描かれている。魔方陣だな。
「▼○●★〓☆&#★◎☆……▽▼〆☆」
 タイターニアが何かを告げて、すごく意地悪そうな嘲笑を浮かべた。
 するとなんと、その魔方陣からするすると文字が滑り落ちてユーファンのお札に吸い込まれていくではないか。怪奇現象である。
『な、なんだとォッ!?』
 僕には分からない何かを察したのか、ユーファンの顔に驚愕の色が浮かんだ。
 お札に書かれていた赤い文字は、タイターニアの真っ黒い文字に上書きされて、シュウゥゥ……と煙を上げて定着した。
 言葉を失い、唖然と寄り目になってお札を見るユーファン。
 そんな彼女を見下ろして、満足げに鼻を鳴らすタイターニア。
 フェリスがおかしそうに前に出てくる。
『くふふ、|無様《ぶざま》……ジボダン、もうそのキョンシー女は勝手にエバーナイトに戻ることもできなくなったから。完全に壊さなければ何をしてもいいからね。どうせ死んでるし、徹底的に|理解《わか》らせちゃっていいよ』
 フェリス、このキョンシー女に対して妙に|辛辣《しんらつ》だよね。犬猿の仲なのかな。
『ま、まぁ結果オーライということで、いいのか……?』
 アーシェラが微妙な顔になって後頭部を掻いた。
『ねぇ、さっきタイターニアはなんて言ったの?』
 あのサディスティックな表情に合うセリフはなんだったのか、すごく気になる。
『……』
 アーシェラは逡巡して、タイターニアを横目で見やった。
『自ら手の内を明かすとは、愚か者め。だとさ……』
 なるほどねぇ。タイターニアってそういう感じの話し方なのかぁ。
『呪符を強制的に上書きしてしまうとはな。〈|儀式《リチュアル》〉だろうが、なんの準備もなく瞬時にして完成させるなど、聞いたことのない力だ。やはりタイターニアは相当な使い手だぞ』
 かすかに緊張を含んだ声音で解説してくれるアーシェラだったけど、まったく意味が分からなかった僕は華麗に聞き流した。それよりも、僕はまだ聞き取れない彼女の口調を想像して少し嬉しくなっていたのである。
【謎草】
 草である。店長もよくかじっているものと同一。ジェヴォーダンはこの草を食べるとほっとして元気になる。おふくろの味的な。以前、フェリスから草の名前はマリファナだと教わったが、それが地球のマリファナと同一種類なのかは不明のままである。

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