08/08 電子版発売

明らかに両想いなのに長いことつかず離れずだった幼馴染と、ついに一線を越える話2

著者: ういろう

電子版配信日:2025/08/08

電子版定価:880円(税込)

片想いしていた幼馴染・三春澪と十年越しに結ばれた俺。
婚姻に向け、二人の歩みを確かめるように思い出の地を巡る。
プロポーズする場所は、幼い頃に約束した遊園地の観覧車で、
結婚式は、修学旅行で初めてキスをした特別な場所で挙げて。
ウエディング姿の澪に惚れ直し、そのまま幸せな初夜を迎え……
幼馴染純愛ノベル、永遠を誓う二人の甘酸っぱい記憶が溢れる第2巻!

目次

プロローグ

第一話 プロポーズは二人の想い出の遊園地で

第二話 風邪の幼馴染との約束

第三話 両片想いの幼馴染と、つかず離れずの修学旅行

第四話 純白の花嫁と挙げる結婚式、そして初夜……

本編の一部を立読み

プロローグ



「リュウ君! 次はあれっ、あのお馬さん乗ろうよ!」
 底抜けに明るくて何者によっても曇らされることのない、お日様のような性格の少女が、無邪気に俺の手を引いている。俺、竜胆隆《りんどうりゅう》のことを「リュウ君」と呼んでいる彼女は、幼馴染の三春澪《みはるみお》だ。
 永遠に続くような小学生の夏休みの日々に、俺たちは遊園地のメリーゴーランドへと手をつないで駆けていく。
 多分、ミオが太陽なら、俺は月だと思う。天真爛漫な彼女の輝きは皆を元気づけて、明るい気持ちにさせてくれる。俺にはできないことだ。月は自力で輝くことはできないし、太陽に何かを与えることもできない。コイツと自分は何もかも違う。
「いたっ……おい、急に立ち止まるなって」
「お姫様だ……! ね、リュウ君も見て! お姫様がいるの!」
 ミオの視線の先には、煌びやかなメリーゴーランドを背景にして、純白のドレスを身にまとった女の人がいた。
「あぁ~、あれはね、ウエディングフォトを撮ってるのよ。ミオちゃん」
 遅れて追いついてきた付き添いの母さんが、少し息切れしながらそう答える。
「いいなー、私も着たーい……!」
 普段ならカブトムシとかアゲハチョウとかに目を輝かせているミオが、ウエディングドレスのようないわゆる女の子らしいものに夢中になっているのは意外だった。
「リュウーっ、ミオちゃーん、ちゃんとそこで待ってるのよー?」
 母さんがお手洗いに行っている間、俺たちはベンチに座って、買い与えられたチュロスを頬張った。ふわっと広がるシナモンの香りに包まれながら、ミオは弾んだ声で、ついさっき見た花嫁衣装の話を始める。
「ねーねーねー、どう思う? ウエディングドレス、私にも似合うと思う?」
「ミオが着ても、真っ白いお化けみたいになっちゃうだろ」
「違うよー、私がもっと大きくなって、お嫁さんになったらの話!」
「じゃあまず相手、旦那さん? 探さないと」
「えっ、リュウ君じゃないの?」
「え、俺? なんで?」
「んー、だって、いつも一緒に遊んでるし……宿題見してくれるし?」
「……これから宿題見せんのやめようかな」
「えーなんでー、ひどーいっ!」
「だって……そういうの、軽率に決めちゃダメだって、子供の俺でもわかるぞ」
「わー、やだやだ! リュウ君のお説教タイム!」
 耳を塞いで首を振るミオは、無邪気で悩みなんてなさそうで、やっぱり俺とは違うなと感じさせられる。たしかに好物とか表面的なところは似ているけれども、内面はこれっぽっちも似ていない。
「それよりもっ! 私の最初の質問、早く答えてよ!」
「えぇ、俺にそんなこと聞いてどーすんだよ?」
「いーから答えなさい! はい、五、四、三……」
 困るなと思いつつも、乏しい想像力をできる限り膨らませてみる。
 現状では俺と比べても大差ないくらいの髪の長さだが、大人になったら、さっき見た女の人と同じくらい美しく長く伸ばすのだろうか。残念ながら、ミオのそんな姿はあまり想像できなかった。
 そもそも、あんな窮屈そうなドレスをミオがおとなしく身にまとっていられるとは思えなかった。
「はい! 時間切れ!」
 彼女は無邪気な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「それじゃ、答えをどうぞ!」
「似合わない」という結論を口にしかけて、しかしどういうわけか体が固まってしまった。
 ……ミオの目が、綺麗なのだ。
 どこまでも青く澄み渡っていて、曇り一つない彼女の内面を表しているかのように。
 …………ドキッとした。
 顔が熱を帯びるのがわかった。
 それは今まで感じたことのない、理解の及ばない感情だった。
 正体不明の感情に魅入られて、戸惑いながらただ見惚れていることしかできなかった。
「ねー、リュウ君……?」
「……に、似合うんじゃねーの」
 心の底から溢れ出した本音は、しかしちょうど俺たちの後ろを駆け抜けていったジェットコースターの轟音によって、無慈悲にもかき消されてしまった。
「??? ……リュウ君声ちっちゃいよーっ、聞こえなーい」
「う、うるせぇっっ、このっ」
「この?」
「……あほ」
「ぷっ、ぷぷっ、なーに、あほって。君、口喧嘩したことないでしょ」
「……じゃー、ミオがお手本見してくれよ」
「いいよーっ。んーとね、リュウ君のー、うーん……」
 そうやって真剣に考え込んでしまう時点でお前もアウトだろと思いつつ、ミオの答えを待つ。
「あっ! わかった! ちんちんだ!」
「はぁ?」
「やーい、リュウ君のちんちーんっ!」
 ベンチからぴょんと飛び上がって、卑猥な言葉を口にしながらミオが駆けていった先には、運の悪いことにトイレから戻ってきた母さんがいた。一目ですごくピキっているのがわかる。それも、多分俺に対して。
「リュウ……あんた、女の子に何言わせてんの……」
「いや、違っ、コイツが勝手に……」
「あれれ、リュウ君怒られてるの? わーい、逃げろーっ!」
 面白がっているミオは、誰のせいでこうなったのかなど関係なしに、また俺の手をぎゅっと握って走り出す。
 景色が目まぐるしく移り変わって、陽気な音楽が響き、甘いキャラメルのようなにおいが漂う。自分一人では絶対に見られなかったような光景を、ミオは見せてくれる。
 彼女は俺にとって最高の友達、否、幼馴染だ。
 燦燦と輝く太陽のもとで、いつも俺の前にある軽やかな、翼の生えたような背中。それを眺めていると、この幼馴染となら、どこまでだって行ける気がした。
 もちろん、時には本当に些細な理由で喧嘩してしまうこともあった。
「だから言ってるだろ……塾の宿題があるから、俺もう帰らないと……っ」
「君ならそんなのすぐ終わるでしょ! ねーもっと遊ぼうよーーっ!」
「わがまま言うな。遊んでばっかじゃ、大人になれないぞ」
「もういい! リュウ君なんて知らない……っ!!」
 俺が困り顔の母さんの味方をして、ませたことを言って、それでミオはイヤになってどこかに走り去ってしまったのだ。日が沈みかけて、どんどん暗くなっていく遊園地のなかを、涙が溢れてきそうになるのを必死に抑えて探しまわった。
 やっとのことで見つけ出したとき、ミオは観覧車の真下にある装飾用の植え込みのなかに、ちょこんと膝を畳んで座っていた。
「きっと見つけてくれるって思ってたよ!」
 泣きべそをかいていた俺に、ミオはそう笑いかけてくれた。
 そのとき、頭上がぱあっと明るくなった。夕闇のなかに出現した、カラフルに光り輝く大車輪。
「……観覧車、乗る、か……?」
「うん……!」
 狭いゴンドラのなかで、二人並んでべったりと窓に張りつく。ジェットコースター、コーヒーカップ、そしてメリーゴーランド、等々、眼下の景色をあれこれと指差して息を弾ませる。
「ねね、リュウ君、お嫁さんになるにはさ、まずプロポーズ? されなきゃいけないんだって、知ってる?」
「それくらい知ってるよ。ドラマで見たし」
「どんなだった?」
「ちょうどこんな感じの観覧車のなかで、男の人が女の人に指輪を渡してた、気がする……」
「いいなーそれっ! 私にもお願い!」
「お、お願いって……指輪なんて俺、持ってないんだけど……」
「違うってば、私たちがもっと大きくなったらってこと!」
「えと、じゃ、十年後、とか……?」
「約束だよっ」
「ああ、約束」
 十年後なんて、正直遠い未来のことすぎて、あまり実感が湧かなかった。けれども、この長い長い夏休みと同じように、ミオと過ごす日々だってずっと続くはずだ。ましてや、彼女といつか離れ離れになるとか、そんなことは想像もできない。
 ただ、少しばかり不安な気持ちになってしまって、俺は気づかないうちにミオの片手をそっと握っていた。
「な、ミオっ」
「なーに?」
「俺たち、ずっと幼馴染でいような」
「うんっ、私たち、ずーっと、友達でいようね」
 俺に向けられた笑顔は、その瞳は、相変わらずキラキラとしていた。雲一つない、青すぎるほど青い夏の空がそのまま閉じ込められたみたいな輝きは、俺の心をつかんで離さなかった。
 ……けれども同時に、その無垢な眼差しは、俺にはあまりにも眩しすぎると感じてしまった。
 こんなにも遠く感じるのに、こんなにも手を触れたいと思ってしまう。
 その気持ちの正体が、いつかわかる日が来るのだろうか。
 幼かった日々に、ぼんやりとそんなことを考えていた。
第一話



 早いもので、ミオと付き合うようになってからもう二年が経った。それは互いに幼馴染として過ごしてきた時間と比べればまだまだ短いものだけれども、変化に富んでいて充実した日々であった。
 一番よかったのは、幼馴染のミオのことを以前よりずっと深く知れたということだ。
「リュウ君! こっちこっち!」
 何はともあれ、今日はちょうどその二周年の記念日。
 俺たちは、小学生の頃よく二人で遊んでいた遊園地でデートをすることにした。
「ほらほら、写真撮るから、もっとぎゅーっとくっついて?」
「ちょっ……それ、色々当たりすぎ……っ」
 付き合う前から相当に距離感は近かったが、今のミオにとってはもはや、ディスタンスという概念自体が意味をなくしているように感じた。
 そのまま遊園地の正門を背景にして、ぱしゃりと一枚。やはり年頃の女の子なだけあって、内カメラの扱いというやつに長けている。
「あははっ、記念日のツーショットにって思ったのに、君ってば相変わらず写真写り悪いね!」
 可愛らしいピースサインで大きな瞳をばっちりと飾り立てている幼馴染と比較して、その隣でぎこちない笑みを浮かべている俺は、端的にあまりにも不釣り合いだった。頑張って身なりを整えても、こういうときに陰の者としての本性が出てしまう。
 そしてもちろん、見てくれという点でも、ミオは魅力の塊だった。
 彼女はこの季節になると、キャミソールの上にサマーカーディガンを羽織るか、もしくはオフショルダーの洒落たブラウスを着ていることが多い。いずれにしても視線誘導効果は極めて高く、端的に言って目の毒である。
 ちなみに、今日は前者の装いだった。細い首から、鎖骨、そして胸元にかけての滑らかな肌色のラインが露わになっている。しかし、全く下品ではないし、それなりに露出が多いにもかかわらず上品に仕上がっているのが不思議だ。
 ただ、動きやすそうなタイトスカートは、思わず「女子高生か!」というツッコミを入れたくなるほど丈が短い。パンストで素肌を隠せばいいというものではないだろうに。
「写真写りなぁ……なんか、どんな表情すればいいのかわからなくて……」
「普通にしてればちゃんとかっこいいのに」
「その普通が難しいんだよ」
「うーん、とりあえず、照れて私から逃げるの禁止!」
「……か、可能な限り善処する……、多分」
「じゃー、そこのメリーゴーランド、乗ろっか。二人で一緒に」
「そ、それはマジで勘弁してくれ……恥ずかしくて死んじまう……」
「ふっ、大丈夫、私がついてるぜ」
「……そんなイケメン風に言われましても……」
「善処してくれるって言ったばかりでしょー? ほら行くよーっ」
 腕を絡めて、ミオは及び腰の俺のことをぐいっと引っ張っていく。
 もうあと半年ほどで大学も卒業だというのに、彼女のありかたはあの頃と変わっていない。つまり、眩いばかりの明るさでもって、ひっそりと日陰に潜んでいる俺のことを連れ出してくれる存在だ。
 ミオは金色の馬に軽やかな身のこなしで跨った。すると彼女の着ている服が風に揺れて、華奢な鎖骨や滑らかな肩のラインがチラリと覗く。
「な、なぁ、やっぱ俺も乗らなきゃだめか……?」
「だーめ、観念しなさーいっ」
 促されるまま隣の白い馬に跨ると、ミオは児童用の遊具である回転木馬にふさわしく、まるで小さな子供のように目を輝かせて「リュウ君、ほら、もう動くよ!」と笑いかけてきた。
 そうして、俺たちを乗せた二匹の馬は、緩やかな回転に合わせて上下し始める。馬が上がるたび、ミオの長い髪が宙を舞い、爽やかなシャンプーの香りが風に乗って運ばれてくる。
 周りでは陽気なメロディーと共に、絶えず子供たちの笑い声が弾けていた。なぜだかそれらの無邪気な笑い声が、このアトラクションにも隣の美少女にも似つかわしくない一人の男子大学生に向けられたものであるかのように聞こえてくる。昔はへっちゃらだったのに、今はあまりにも恥ずかしくて、そして照れくさくて、顔から火が出てしまいそうだった。
「おやおや、顔赤いよ? 恥ずかしいんだ、ふふっ」
「やっぱ、その、色々気になって……」
 俺の羞恥心に気がついたミオは、わざとらしく体を少し傾ける。キャミソールの肩紐がずり落ちてしまいそうで、なんとも危なっかしい。
「周りのことなんて気にしないでさ。君は私のことだけ見ててよ」
 こうやって話している間にも、馬が揺れるたび、ミオのタイトスカートがわずかにずり上がる。そうして露わになった、黒いパンストに包み込まれている長い脚から目を逸らそうとするも、彼女はそんな日和った態度を許してはくれない。
「ほーら、さっそくよそ見した。私から目を離しちゃダメでしょ?」
 ミオのその声は、耳元で直接囁きかけられたみたいに心臓に作用して、体がぽっと熱くなる。この賑やかなメリーゴーランドのなかで、まるで二人だけの世界を作り出しているかのような気分だ。
 すぐ隣で、昔と同じように楽しそうにはしゃいでいて……それなのに、ときおりあの頃とは違う、大人びた魅力で俺のことを惑わせ、愛おしそうな視線をこちらに向けてくる。そんなミオの姿を見ていると、頭のなかで一つの言葉が結晶化する。
 ……ああ、これが「両想い」ということか、と。

「実はこれ、また君と一緒に乗りたいなって、ずっと思ってたんだ。だから、……ありがとね!」
 夏の陽光を受けて輝く金ピカのメリーゴーランドを背景にして、一人の美少女が振り返り、はにかんだ笑みを浮かべる。薄手のカーディガンのほのかに透けるような生地が、彼女の動きに合わせて軽やかに舞っていた。
「あっ…………」
 コイツの笑顔の一つ一つが、刻むステップの一つ一つが、記憶のなかの幼いミオの姿と重なる。
 だが、それだけではない。
 ほんの一瞬だったが、昔ちょうどこの場所で見た、純白のウエディングドレスをまとった花嫁の姿がミオと重なったのだ。まるで、俺が今日、これからしようと思っていることを、熱烈に後押しするかのように。
「リュウ君、今、昔のこと考えてた?」
「なんでわかるんだよ」
「ふふん。どーせ、『コイツほんと昔と変わんないな』とか、そんなこと思ってたんでしょ?」
「まあ、それが半分」
「えー、半分だけなの? もう半分は?」
「内緒」
「なんでなんで! そーいうの、気になるんだけど!」
「なんつーか、俺たちの、未來のことだよ」
「抽象的!」
 煙に巻くような言葉の真意は、さすがのミオでもつかみ損ねている様子だった。
「ちょっとそこで休もうか。ヒールで歩きまわるの、やっぱり疲れるだろ?」
「あ、ちょっ、ズルい! 優しさ見せて誤魔化そうとするなぁ……っ!」
 ミオにはいつもからかわれて、魅了されてばかりだから、たまにはこちらのペースに乗せてやるのも悪くない。
 小さな売店でソフトクリームを買って、南国風のパラソルのついたテラス席に向かい合って座る。
「君のもちょーだい!」
「ほい」
「ありがとっ」
 ミオは差し出されたソフトクリームを手に取ることなく、身を乗り出してれぇろ、れぇろと舌を這わせ、その冷たい表面を入念に味わっている。
「なんか、前はいつも『リュウ君と一緒のがいい!』って言ってたのに、近頃は俺のとは違うやつ、選ぶようになったよな」
「だって、違うの頼んだら、交換こできるじゃん?」
 ミオは耳にかかった髪をわざとらしくかき上げる。
「…………んっ♡ 君のも、おいしっ……♡」
 喫食中に妙に色っぽい声を出して、変な発言をする癖は、本当に以前から変わらない。無邪気な、と言うにはあまりにもじっとりとした、意味ありげな眼差しもそうだ。正直、艶めく長い舌でソフトクリームを舐《ねぶ》る光景から、何かいやらしいものを連想してしまうのも致し方ないことだと思う。
「そんなに美味しいなら、全部食べちゃっていいぞ」
「ううん、それはダメ」
 そうして戻ってきたソフトクリームにはしっかりとミオのよだれが染み込んでいて、元々は自分のものだったというのに、なんだか口をつけるのがいけないことであるかのように感じてしまう。
「ふふっ」
「……なに笑ってんだよ……?」
「可愛いな、って思って」
 遠慮がちで控えめな舌の動きを視界に収めて、ミオはニコニコと上機嫌そうだった。
「……っっ。可愛いって言うな」
「そうかなぁ、だってほら、口元にアイス。ついてるよ……?」
 そう言って、彼女は見事なパイスラを作り出していた肩掛けのミニバッグから、手鏡を取り出した。そこには、口の端の方を白く染めて、間の抜けた表情をした俺の顔がはっきりと映し出されていた。
「……ん、うわ、本当だ。けっこうしっかりついちゃってるな……恥っず……」
「あ、待って……拭いちゃうの、もったいないよ……。そのままじっとしてて……」
 ミオは俺のすぐ隣にさっと移動してくる。彼女のヒールがテーブルの下で小さくカツンと鳴り、続けて吐息の音が近づく。
「ん……れろ、れろ…………っ」
 ぬるりとした、そしてひんやりとした感触が口元を撫でる。ふわっとバニラの甘い香りが漂う。
「お、おい、ミオ……?」
「あむ、れろ…………れろ、んっ、ちゅっ」
 白くて甘いものを舐め取り終えると、まだ満足していないミオの舌が横滑りしてくる。ミオは周りをチラッと見たあと、にやりと笑って囁く。
「今なら誰も見てないから、ちょっとくらい……ね?」
 このまま放っておけばされるがままだが、何か言おうとして口を開いたら最後、彼女の舌が口のなかにまで入り込んでくるだろう。有無を言わせる隙など、微塵も俺に与える気はないようだった。
「リュウ君……すき、ちゅ、ちゅーっ♡」
 行為の目的はいつの間にやら、もっと欲望に塗れたものへと変わり果てていた。こんな場所で、こんな風に迫られたら、理性など一瞬で消し飛んでしまいそうになる。
「君の味、ん、ちゅ……好きなの、もっと、欲しい……♡ ちゅむ、んっ、んふ、ぷちゅ♡」
 周囲の視線を集めつつあることにも、ミオは気づいていない様子だった。夢中で俺の唇を貪っていて、ここをラブホテルか何かと勘違いしているかのようだ。
 胸焼けするほどのこの甘い匂いは、ソフトクリームのものか、それともミオ自身のものか、あるいはその両方か。いずれにしても、こんな場所で心も体も蕩かされてしまってはかなわない。
 肩をつかんで彼女を引き離すと、幼馴染はやっと我に返る。
「あ…………えっ、えへへ、我慢できなくなっちゃった」
 とてもではないが、気恥ずかしくて目を合わせられない。
「……っ、頼むから、ちょっとは自制してくれ。こっちまで理性が働かなくなる……」
「恥知らずって言いたいの? いいもん、恥はどこかに捨ててきたもんね」
「いや頼むから捨てないでくれ……?」
 普段は可愛らしく恥じらったりするのに、こうやってたまにブレーキが壊れてしまうことがある。もちろん、そんな暴走機関車みたいなところもまた、ミオの素敵なところの一つなのだが。
 そそくさと二人でその場を離れながら、やはり彼女をこちらのペースに乗せるのは難しいなと、改めて思った。
「それじゃー、次はジェットコースター乗ろっか」
「え、それはちょっと……」
 散々人をいやらしい気持ちにさせたあとで、急転直下、なんとも素敵なジェットコースターのご提案だ。
「えーー、もしかしてまだ苦手なの?」
「っっ、別に苦手とかでは」
「じゃあ大丈夫だよね。ほらほら、私に続けーっ」
「おま、ヒールで走ったら危ないぞ! ……ったく、聞いてないし」

 ……この幼馴染はまるで夏そのものだ。見ているだけで熱を帯びてしまうような、危険で魅力的な存在だ。
 そんな彼女と一緒にいると、今も昔も楽しい時間は一瞬で過ぎ去ってしまう。
 そうして長い夏の午後が終わる瞬間も近くなり、俺たちはひときわ目を引く、遊園地の中央に聳《そび》える巨大な観覧車の前までやってきた。
「あのさ。あれ、観覧車、一緒に乗らないか」
 少し照れながらもそう提案する。
「おーっ、ロマンチックでいいねーっ」
 今度の遊園地デートの締めが観覧車というのは、前々から決めていたことだった。
 二人並んでゴンドラに乗り込み、ミオは自然な、しかし優雅な動作で膝を軽く揃えて座る。
 ただ、それに続けて俺が隣ではなく向かいに座ったことで、彼女は少し不服そうな視線を向けてくる。
「隣じゃないの?」
「……ちゃんと、顔を見ながら話したいことがあって」
「大事なこと?」
「ああ、俺たちの、未來にかかわること」
「……そっか。ん、わかった」
 二人きりの狭い箱型の空間でそう告げることで、自ら退路を断つ。万が一にも、昔みたいに大切な言葉を言い損ねてしまうことがないように。
「昔……本当に昔のことだけど、この遊園地で毎日のように二人で遊んでたときのこと、覚えてるか」
「うん、もちろん。忘れるわけないよ」
「あの頃のミオは、どこからそんな活力が湧いてくるのかってくらい、やんちゃで元気いっぱいだったよな。……いや、今もそうか」
「そう? 私だって人並みに疲れたりするよ? 君の方はねーっ……小さい頃からずっと、真面目で、慎重で、おとなしくて、そのくせ意地っ張りの照れ屋さんだった、かな」
「まぁ、あまり認めたくはないけど、俺は今もそんな感じなんだろうな」
 お互い顔を見合わせて、ふふっと笑う。もちろん、何もかもが昔と変わらないわけではない。俺も、ミオも、二人の関係も、全く変化しないなどということはありえない。
「……けれどもね。そんな君が、勇気を出して私に告白してくれたとき、私、すっごくすっごく、嬉しかったんだ……」
 観覧車はゆっくりゆっくりと、動いているのかどうかほとんどわからないような速さで、しかし着実に回っている。
「温泉旅館で告白して、二人で色々なところに旅行して、それから成人式とかも……本当に色んなことがあったよな。十数年もお前と幼馴染やってきたのに、まだまだ新しく知ることばかりだよ」
 気づけばゴンドラの大きな窓の外には、太陽が地平線の彼方に沈む直前の、ほんの一瞬しか見られないような絶景が広がっていた。すっかりオレンジ色に染まった黄昏時の西の空が、遊園地の彩り豊かな光と溶け合う。駅前のビル群も夕陽を反射して輝き、もっと遠くの方では山々の黒いシルエットが静かに佇んでいる。
「きれい……魔法でも使った?」
「そういうことにしておいてくれ」
 俺は一瞬だけ目を閉じて呼吸を整え、ポケットに手を滑り込ませる。そして、息を呑むような景色に夢中になっているミオに気づかれないよう、なかからそっと小さな箱を取り出す。
 大事な言葉をちゃんとミオに伝えられるのか、急に不安になってきて、この小さな箱がやけに重く感じる。膝の上で蓋を開けるような動作を何度か反復して、それでようやく意を決してミオに話しかける。
「あのさ、ミオ」
 わずかに震えている俺の声を耳にして、ミオはゆっくりと顔をこちらに向ける。それと同時に、乗っているゴンドラが頂点に達してふわりと小さく揺れる。
「お前がこの遊園地で、ウエディングドレスを着てみたいって言ってたのがずっと記憶に残っててさ」
 眼下では、ちょうどあのメリーゴーランドが金色の煌めきを放って回転していた。
「俺も、見てみたい。ミオの花嫁姿。叶うなら、一番近く、誰よりも近くで」
 もう心臓の鼓動しか聞こえなくて、ちゃんと一つ一つの言葉を口にできているかどうかさえ定かではない。
 それでも、ミオのまっすぐな瞳に向かって訴えかける。
「……その……だから、いつまでも俺の隣にいてほしい。俺と結婚してください、三春澪さん……っ」
 婚約指輪のケースを差し出して、蓋をパチンと開ける。シンブルながらもキラリと光るプラチナの指輪。
 あの告白のときと同じように、たった数秒の沈黙が永遠のように長い時間に感じる。
 ミオは両手で口元を覆って、震えがちだがはっきりと伝わる声で、待ち望んでいた返事をくれる。
「……はい……っ、こちらこそ、リュウ君の……あなたの伴侶として、ずっとずっと、一生傍にいさせてください……っっ」
 ついさっきまで外の美しさに夢中だった瞳にこれ以上ないほどの喜びの色を浮かべながら、ミオは左手を差し出してくる。その薬指に指輪をはめるのと同時に、沈みゆく夕陽の最後の光が差し込み、至宝のようなミオの表情を柔らかく照らし出した。
「もういいよね。隣、座っても」
 ゆっくりと地上へと戻っていくゴンドラのなかで、ミオは俺の肩に頭を預ける。
「……リュウ君、緊張してた……?」
「そ、そりゃするだろ……」
「気心の知れた幼馴染が相手でも?」
「だからこそ……絶対に失敗できないっていうか、最高のプロポーズにしたいって、そう思ったんだよ……」
「ふふ、やっぱり私、君のそういうところ、好き」
「からかうなよ」
「からかってないよ」
 一世一代のプロポーズの直後だというのに、本当にコイツは……っ、と。そう思った次の瞬間、一滴の雫が零れ落ちて、カーディガンに小さな染みを作る。
「あ…………」
「……あれ、お前、もしかして泣いてる?」
「は……っ? め、目にゴミが入っただけだもんっ……!」
「いやいや、そんな見え透いた嘘を」
「嘘じゃな……だめっ、顔見ようとするなぁ……っ!」
 表情を見られるのを嫌がるあまり、ミオは痛くも痒くもないような拳でぽかぽかと何度か俺のことを叩いたあと、泣き顔を隠そうとして胸に顔を埋めてくる。
「…………そんなに、嬉しかったのか?」
 縋りついたまま、ミオは小さくを首を縦に動かす。
「……だって、ちゃんと覚えててくれたから……あんなちっちゃい頃のお願い……」
「もう十年も前の、子供の頃の約束だけど、それでも約束は約束だし……な」
「律儀だよね、君は。ほーんと、昔から変わらない……」
「そっちは少し変わったよな。昔の俺と同じくらい泣き虫になった」
「君は……昔より意地悪になった……っ」
「ミオは昔以上に可愛くなった」
「っっ!」
 それっきり、俺の腰を抱いてぎゅっと張りついたまま、ミオは言い返してこなくなる。置きどころのない手でよしよしと頭を撫でてやると、ほんの少しだけ彼女の感情の雫が服に染みてくるのがわかった。
 そんなことをしているうちに、俺たちを乗せたゴンドラはだいぶ地上に近づいてきて、ミオもその気配を感じたようだった。
「ねぇ……まだ帰りたくない……な」
 その一言に、体の芯が熱くなる。もちろん、まだ帰すつもりなんてない。
「そこのホテルさ、実はもう予約してあるんだけど……」
 やっと顔を上げてくれたミオの、はにかみながらも嬉しそうな表情は、昔と変わらないなと思った。

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