乙女ゲーム世界の評判最悪な最下級貴族・レインに転生した俺は、
将来、王子に婚約破棄される悪役令嬢・リズリットの再婚相手に確定!?
しかし、偏見なく俺と向き合う彼女の真の姿を知り次第に惹かれ……
原作通り根暗な劣等生を演じ、影魔法の実力と端整な容姿をひた隠していたけど、
婚約破棄イベントに颯爽と登場して、勘違いされている悪役令嬢は俺がいただきます!
魔法学院の劣等貴族×ツンデレ悪役令嬢、嫌われ者同士の再婚から始まる溺愛ノベル!
第一章 悪役令嬢と劣等貴族
第二章 ふたりの初夜
第三章 新たな学院生活
第四章 王子たちの決着
エピローグ
本編の一部を立読み
第一章 悪役令嬢と劣等貴族
◇01
「王太子殿下に近寄らないでくださいまし」
突然の言葉に、俺は面食らってしまった。
ここは学院の階段。
集団行動を避けている俺が、ひとり、遅れて教室へと向かおうとしているところを呼び止められたのだ。
踊り場に立って俺を見下ろしていたのは、公爵令嬢リズリット・ローゼンクランツ。
背中まで伸びるきらびやかなストロベリーブロンドの髪に、整った顔立ち。
加えて印象的なのは、冷ややかなほど澄み渡った青い瞳だ。
美しくも鋭い目つき。その意志の強そうな視線で射抜かれると、同性ならすくみ上がり、男性教師であっても怯んでしまうほどの迫力がある。
元からの身分の高さに加え、この国の第一王子の婚約者であるため、歯向かえる者など、まずいない。
おまけに、この王立魔法学院でも才媛と称される少女だ。
かたや俺はというと、貴族の中でも最下級に位置する男爵家のひとり息子。学院での評判は控えめに言って――最悪だ。
「聞いているのですか、レイン・ヴァルトラウト。貴方に告げているのですよ?」
凛とした、しかし棘のある声音が、斜め上方から降り注いでくる。
仕方なく俺は、長すぎる前髪と、眼鏡の分厚いレンズ越しに彼女を見上げて、
「未来の王妃様が、なにゆえ俺なんかに構うんです?」
低く、くぐもった声で尋ねる。
なるべく気味悪く感じてもらえるよう、肩を揺すってせせら笑い、
「俺ごときが、王子に害をもたらすとでも?」
「先日、殿下から話しかけられていたではありませんか」
「……それだけで?」
確かに『レイン・ヴァルトラウト』は、学院の嫌われ者だ。それにしたって、第一王子様と会話しただけで責め立てられる云われはない。
――王子のこととなると過剰になるリズリット嬢。
公爵令嬢であることや、王子の婚約者であることを傘にきて、他者を排除しようとする振る舞う女……。
なるほどこれは、同性からは特に嫌われるはずだ。
「向こうから話しかけて来たのですよ」
王子との会話内容は伏せておく。これから起こる『イベント』に影響をもたらさないために。そして、異分子である俺が──
『ゲームのメインシナリオ』に乱れを生じさせるわけにはいかない。その流れに沿って動くよう心がけねばならない。
それは、俺がこの世界に転生して、最初に決めた方針だった。
だからこそ、王子からの依頼内容も、今はまだ彼女に知られるわけにはいかないのだ。
「会話するだけで、そのように忌み嫌われるとは……ふふっ」
俺はなるべくねっとりとした喋り方で、
「俺の{人気|・・}もなかなかのモノですね。ご心配なく。ただちょっとしたご依頼をいただきましてね。――用さえ済めば、今後あの御方と関わるつもりはありませんから」
と、嫌味を述べつつ、さっさとこの場を切り抜けようと試みる。
だが、
「いいえ、そうではありません」
「?」
「会話を交わしたことや、その依頼とやらを問題にしているのではありません」
思いのほかキッパリとした口調で否定されてしまった。
「言葉のとおりです。王太子殿下のおそばに寄るなと、私はそう告げにきたのです」
「物理的に……?」
まさか男の俺に嫉妬を覚えているわけでもないだろうに。
どれだけ独占欲が強いのか。
はたまた――
「何をそんなに心配なされているので?」
「レイン・ヴァルトラウト。貴方は王国に仇なす者です」
リズリットは制服の胸元で腕を組んだまま俺を糾弾する。
胸の前で腕を組むのは警戒心のあらわれだ。無意識にしろ、相手とのあいだに距離を取りたいという心理が働いている。それだけ俺を警戒しているということだ。
じっと、彼女の顔を見る。
階段の高低差があるためだけでなく、普段から極端な猫背の俺は、黒い前髪の隙間から睨み上げるような格好になってしまう。
一方の彼女は貴族令嬢らしくしゃんと背筋を伸ばしていて、さらに今は威圧的に腕を組んでいる。
そしてきっと、嫌悪に満ちた表情をしているのだろうという俺の予想は――
しかし、少し、外れていた。
リズリットの眼光は厳しい。だが、俺に個人的な嫌悪感で接しているようではなさそうだった。
――なにか強い使命に突き動かされているような、そんな雰囲気を醸し出してる。
「俺が、王子に何をすると?」
「貴方は危険ですわ」
「くくっ。嫌われたものですね」
肩を揺すって、くぐもった声で笑ってみせる。
彼女にはさぞ気味悪く映っていることだろう。
それでいい。
それで正解だ。
これが『俺』――劣等貴族のレイン・ヴァルトラウトなのだから。
(しかし……。『リズリット』は、俺の知ってる彼女とは随分と違ったんだな)
俺はこんな風体だから、彼女はおろか、他の学友たちともまともに向き合ったことがない。
この{伊達眼鏡|・・・・}も、ただでさえ狭い視界を曇らせてしまう。
だから今日、ようやく彼女を真正面から見定める機会を得た。
公爵令嬢リズリット・ローゼンクランツ。
学院で才媛と呼ばれるこの少女は、しかし常に他人を見下したような高慢な目つきで、背後に取り巻きを従え、ここぞという場面で邪魔をしてくる。権力を振りかざし、『ヒロイン』への誹謗中傷を振りまく――
そんな『悪役令嬢』だったはずだ。
だが、態度や仕草は尊大なものの、誰も従えることなく一人で、自身が『危険』と評する俺と対峙している。
イメージと違う。『ゲーム』で見た彼女とは、まるで別物だ。
傲慢さを感じさせないリズリットは、その美貌がいっそう冴えて見える。
……いや、評価を覆すのはまだ早い。
もう少し探ってみるか――
「俺と二人でいたら、何をされるか分かりませんよ?」
ねっとりと、下卑た声色を出すのも慣れたものだ。
「研究室に連れ込まれて、貴女は酷い仕打ちを受けるかもしれない……くくくっ」
「そうでしょうか? 私からは、貴方はそのような人間には見えません」
「…………」
「私は、根も葉もない噂は信じません」
リズリットは、制服の胸元で腕を組んでいる。
それは警戒のあかし。俺に警戒心を抱いているからこその仕草だ。
ただしそれは――
『根暗で陰湿な、下級貴族の劣等生』
『時に痴漢行為にも及ぶ破廉恥な最低男』
『旧校舎の倉庫を勝手に研究室に改造し、怪しい実験を繰り返す不気味な男子生徒』
に対する警戒心とは、やはり少し違うようだった。
「確かに、学院の施設を一部私有化していることは感心しません。ですが、その行為は学院の許可を得ていますよね? 目的は何であれ、規則に沿った手続きを取っている以上、私が口を挟むことではありませんから。……私は、そのことを咎めているのではないのです」
彼女は至って冷静だ。
第一王子の婚約者として、つまり未来の王妃として、学院で起こることをつぶさに把握し、適切に対処しようとしている。
「私は見たのです。貴方が、王国に仇なす【影魔法】を自在に操っているところを」
「…………」
「この広間で、この階段を――」
ロングブーツの硬い靴底が、かつんと踏面を叩く。
「一年生の少女が三人、はしゃぎながら昇っていました。そのうち一人が足を踏み外し、背中から転げ落ちそうになりましたね? レイン・ヴァルトラウト、貴方はそのとき、後方から階段を昇ろうとしていました。とてもではありませんが、駆けあがっても彼女を助けることはできなかった――」
「…………」
「――そのとき、貴方から一筋の黒い帯状のものが伸びていきました。素早く伸びたその『黒い手』は、転倒しかけた彼女を支え、助けていたのです。……もっとも、臀部を触られた彼女は、貴方の姿に気づくと「痴漢だ」などとわめき散らしていましたが」
「そうでしたかね」
「なぜ抗弁しなかったのですか?」
とぼけても無駄らしい。
仕方ない。
「……ああ。そういえばそのあと、貴女が仲裁に入ってくださいましたね」
俺のことを罵倒する後輩女子を、リズリットは冷静に説き伏せて俺の冤罪を晴らしてくれた。
ただし、なるべく『この世界』に関わらないと決めていた俺は、彼女が割って入ってきた途端に、礼も言わずにさっさとその場を離れてしまったわけだが。
「リズリットさまの錯覚ではないですかね。俺はただの痴漢男ですよ。かばうだけ無駄骨でしたね」
「いいえ。違います」
またも、きっぱりと切って捨てるリズリット。
高圧的な態度と相まって、普通なら萎縮してしまうくらいの迫力がある。
(……なるほど。『ゲーム』ではこの態度が誇張して表現されていたわけか)
彼女は、私利私欲のために他人を貶したりはしない。
今、このとき、この場所を選んで俺に話しかけてきたのも、周りに人がいないからだ。
秘密が、無駄に広まることを避けるために。
俺に余計な誹謗中傷が及ばないよう配慮した結果、取り巻きも連れずにただ一人、怪しい男子生徒に釘を刺しにきた。
「影魔法――クリスタリア王国に災いをもたらすとされている、凶兆の魔法です。貴方がどのような人間であろうとも関係ありません。影魔法に関わる人間である以上、王太子殿下には近づかないでくださいまし」
「かつて二代目の国王の時代に、王族を根絶やしにしようと目論んだという影魔法使い……俺がその種の人間だと、そうお思いで?」
「誤解なさらないで。何度も言うように、貴方の人格が問題ではないのです」
公爵令嬢はさらに顔を険しくさせて言う。
「その忌むべき魔法は王族の――光の魔法を蝕み、消失させるものだと伝わっています。次の王となるべき者が光の魔法を失ってしまうような、そんな最悪な事態は、たとえ万が一の確率であろうとも避けなければなりません」
ようやく彼女の意図がはっきりと分かった。
王太子を、ひいてはこの国を守るために俺を遠ざけようとしている。しかも、なるべく俺を傷つけないように。
(――マズいな)
こんな人格者だとは思っていなかった。リズリットという一個人に、興味を惹かれそうになっている。
それに、俺のことをただの劣等貴族だと見下していない。
危険人物だとして警戒こそすれ、俺を公平に見てくれている。みすぼらしい外見や、変人という噂などにはまったく関心を示していないようだ。
ただのひとりの人間として、俺と向き合っている。
今の扱いには慣れているものの……やはり、少し嬉しく思ってしまう。
(駄目だ。関わるべきじゃない――)
この世界で俺は、ただの脇役でいるべき存在。
本来は脇役である俺と、ヒロインのライバルであるリズリットは、『とあるイベント』以外では深く関わらないはずだ。
こうして二人で会っているだけでも今後のイベントに狂いが生じるかもしれないのに、俺が彼女に惹かれるなんてことは――
あってはならない。
ここは、さっさと会話を切り上げるべきだ。
「……リズリットさま。貴女の命令には従えませんね。俺はフリードリヒ殿下にとある頼まれごとをされましてね」
「なんですって? それは一体――」
「俺の口からは言えません」
それだけ吐き捨ててから、俺はきびすを返し、まだ声をかけてくるリズリットに背を向ける。
ちょうど、予鈴が鳴った。
校舎の屋上にある鐘楼が、昼休みの終わりが近づいていることを知らせている。
おかげで、まだ何か言いたげなリズリットを巻くことはできたが、彼女を避けて授業に向かうには、かなり遠回りをしなければならない。
……まいった。
この調子だと遅刻だな。
◇02
遅刻した剣術の授業では、俺を目の敵にしている教師・ヘルマンからいつも以上に厳しく搾られた。
みんなの前に引き出されて木刀を握らされ、元騎士団長という、いかつい経歴を持つヘルマンの実演相手として、まったく間抜けな姿を晒すことになったのだ。
そのへっぴり腰具合を級友たちからさんざん笑われて――まさに『劣等生』の汚名{挽回|・・}といった具合だった。
これでいい。
完璧だ。
なぜなら俺は転生者で、転生したゲームのキャラクターを演じることに決めているのだから。
前世は、日本で働くシステムエンジニアだった。
多忙な日々の中での唯一の癒やしは、睡眠時間を削って没頭するゲームたち。
職場でもディスプレイに囲まれ、アパートに帰ってもとにかくゲーム。
一日のうち、睡眠の三時間ほどを除いてすべて仕事かゲームに打ち込んでいれば、当然身体にいいワケもなく、どうやら俺は深夜のプレイ中にそのまま意識がなくなって死んでしまったらしい。
幸いに、と言っていいのかはともかく、生まれた家庭環境が複雑でほとんど天涯孤独の身だったし、もちろん独身で、友人もいなかった。
ゲームの分野でも、ひとつの作品を極めるというより、とにかく色んなものを触るのが好きで――だから、ゲームを通じて友人ができても、すぐに疎遠になっていた。
ただ、アパートで死んだのなら、大家さんをはじめとした関係者には申し訳ないことをしたなと思っている。
……ともかく。
そんな日々の中で、この世界の元となった『クリスタリア・テイルズ』もパソコンでプレイしていた。
いわゆる乙女ゲームと呼ばれるジャンルだ。
主人公は、王立クリスタリア魔法学院の女子生徒で、ソフィアという名の素朴な少女だ。
なお、自身の評価では地味女、ということになっていたが、キャラデザは明らかに美少女。
栗色のふわっとしたボブカットに、優しげなまなざし。胸こそ控えめだが、なぜか彼女だけスカート丈が現代日本の女子校生くらいの短さだったりする。
ただの町娘だったソフィアは、平民ながらに魔法の高い才能を見いだされ、貴族ばかりの学院に入学する。
そして第一王子のフリードリヒ・オズヴァルトをはじめ、その弟のオッド王子や、理論派の魔術師、体育会系の侯爵子息など――
さまざまなタイプの美男と恋愛ができる作品だった。
また、男キャラとペアを組み、魔法を使ってのコンピュータとの対戦要素もあり、勝利すれば好感度が上がる仕組みになっていた。
誰と好感度を上げるかによってシナリオは分岐する。
中でも王道のルートは、メインヒーローであるフリードリヒ第一王子とのエンディングだ。
彼には婚約者がいる。
それこそがローゼンクランツ公爵家の娘、つまり『悪役令嬢リズリット』だ。
彼女は王子を独占するため主人公であるソフィアに意地悪を働き、退学に追い込もうとしてくる。
だがソフィアが王子の愛を勝ち取っていれば、逆にリズリットは婚約破棄を申し渡され、転落人生を歩むことになる。
――そこで登場するのが俺、レイン・ヴァルトラウトだ。
貴族の最下級である男爵家の跡取りにして、見た目もみすぼらしい劣等生のレイン。
悪事をバラされて婚約破棄させられたリズリットは、王子の言いつけで『レインと婚約』させられることになる。
王家と男爵家。
学院でも人気者の美男子と、嫌われ者の根暗男。
教師からの覚えもいいフリードリヒと、学院の一室でコソコソと怪しい研究に浸っている変わり者のレイン。
華やかに彩られるはずだったリズリットの未来は、そこで一転、暗く閉ざされることになる――
そんなシナリオが用意されている。
(……今のところ、ソフィアは順調に『フリードリヒのルート』を進んでいるな)
先日、俺は入学して初めてフリードリヒから話しかけられた。
同級生なのに、下級貴族の、しかも男子生徒になどは一瞥すらくれなかった第一王子様が、みずから俺に『依頼』してきたのだ。
いわく、
「あの悪女をくれてやる。
そうさ、おまえの婚約者に払い下げてやるって言ってるんだ。
僕の可愛いソフィアに意地悪ばかりする、性格のねじ曲がった女だからね。
あれでも公爵令嬢だ、下級貴族のおまえには一生届かない高嶺の花だろう?
その代わり、さんざん惨めな扱いをしてやってくれ」
金髪碧眼の美男子は、普段のイメージとはまったく違う、品のない表情でさらに続けた。
「高慢なあの女は、いつも、この僕に口答えばかりするんだ……!
少しは身の程ってものを分からせないとね!
まあ、見た目は悪くない。
服を剥いたことはないが、見て分かるとおり淫らなカラダをしている。
なんだって?
ああ、僕が抱いてやるって言ったのに、
――王太子なのですから婚前に不埒な行いは慎むべきです。
だなんて、意味の分からないことをほざいたんだ!
おまけに平手打ちまで食らわせたんだぞ!?
僕のこの美しい顔に!
ふざけた女だ……ッ!
だから、おまえのモノになったらなるべく手酷く扱うんだ。
いいな!?
決行は次のダンスパーティーの夜だ。その場で俺があの女を捨てて、おまえと結婚するよう命令してやる。
……そうだな、その場で、あの女の唇も奪ってやれ。
あいつは処女の上にキスの経験もない。
僕が奪ってやりたかったんだが――ふふっ。おまえのようなみすぼらしい男が『初めての相手』になったほうが、リズリットにとっても屈辱だろう。
しかも、同級生たちの目の前でな……!
今から楽しみだ、あの生意気な顔が恥辱に歪む様子を間近で眺められるんだからな!
おまえも嬉しいだろう?
絶対に触れられない、上級貴族の女を味わうことができるんだ。
いいな、これは僕からの命令だ。
当日までは誰にも言うんじゃないぞ、分かったな!?」
などと、言うだけ言って、こちらの返事も聞かずに去っていってしまった。
つまり彼女はこのあと、王子に捨てられ、俺というみすぼらしい男の玩具になるわけだ。
「…………」
薄暗い研究室に籠もって、俺は思案する。
本当にこれでいいんだろうか?
俺がゲームシナリオに介入しないと誓ったのは、それがこの世界の平穏に繋がると思ったからだ。
異世界から転生してきた俺が好き勝手に暴れ回ったら、本来幸せになるべきだった人が割を食う可能性だってある。
さらには、回りまわって、内乱など紛争の火種を作ってしまうかもしれない。
だから、なるべくゲームキャラどおりの『レイン・ヴァルトラウト』を演じてきたわけだが……。
しかし、フリードリヒ王子の本性と、何より初めてまともに向き合ったリズリット嬢の凛々しさを天秤に掛けると、迷いが生じてきた。
彼女は不幸な目に遭うべき人間なのだろうか?
確かに口うるさいしお節介なようだが、未来の王妃としての振る舞いならば致し方ない部分もありそうだ。
王子の性格があそこまで傲慢だと、国の行く末を案じて、あえて厳しく『教育』しようとしている節は十分にある。
「――少しだけ観察してみるか」
◇03
その日から、リズリット・ローゼンクランツを観察するのが俺の日課になった。
間近に迫った婚約破棄イベントの前に、彼女の性格を知っておきたくなったからだ。
……なんだかストーカーのようで気分は良くないが。
幸いなことにと言っては悲しくなるが、学院内での俺の好感度は最悪だ。
座学では平均程度と目立たないようにしているが、剣や魔法の授業では最低ランクの成績しか収めていない。
研究室に籠もっているからと、何か有益な研究成果を発表するでもなく、「裏でヤバい薬を流している」なんて、根も葉もない噂を流されている。
自身の不気味さは自覚しているので、そんな風説が流れるのも仕方がない――
というか、そうなるように演じているのだから当たり前のことだ。
おかげで、才色兼備な子女のそろったこの学園では、俺の存在なんて半分くらい無視されている。
だから、コソコソと一人で行動していても、もはや見咎める者はいない。
そうして物陰からリズリットの学院生活をのぞき見しているうち、幾度か似たような場面に遭遇した。
つまり――
「ソフィアさん、貴女は何度言ったらお分かりになるのかしら?」
「えっ? あっ、ごめんなさい……私、平民出身だから……」
悪役令嬢・リズリットと、健気なヒロイン・ソフィアとが衝突する光景だ。
といっても、突っかかっていくのはもっぱらリズリットのほうから。
校舎の裏手にある芝生の上。
俺は校舎の二階から、身を隠したまま顔だけで見下ろし観察していた――怪しさこの上ないストーカー男だ。
今は、悪役令嬢がヒロインをひとけの少ない校舎裏に呼び出し、詰め寄っている場面なわけだが――
どうやらそれは、リズリットなりの気遣いらしかった。
つまり、多くの生徒がいる前で恥をかかさないようにと、ソフィアに対して配慮しているのだ。
そんな気遣いなど、ソフィアには響いていないのだろう。フリードリヒは捕まらなかったのか、それでも彼女は王子の取り巻きの一人である男子生徒――彼も当然貴族の息子――を伴ってこの場に現れていた。
もちろん、彼はソフィアの味方だ。
二対一の構図。
それでもリズリットは、言うべきことはきっちりしていた。
「男性に、そのように気安く触れるものではありません。淑女としてふさわしい振る舞いを身につけるのも、この学院の意義なのですよ……!」
「そんな、私はただみんなと仲良くしたいなって」
「制服のスカートもそのように短く――以前も注意したこと、お忘れかしら!?」
「だって、走り回るのに邪魔なんです……」
言いながら、男子生徒の陰にさりげなく半身を隠すソフィア。
ミニスカートの美少女に頼られた男子生徒のほうは、
「リズリットさま! ソフィアちゃんがこんなにも怯えているではありませんか……!」
鼻息を荒くしながら、ひとまわり以上も体格が小さいリズリットに、ずいと迫る。
だがストロベリーブロンドの美女は、一歩たりとも退くことなく、毅然と応じた。
「貴方まで、このクリスタリア王立学院の意義をご存じないのかしら?」
声を張り上げるでもないのだが、リズリットの涼やかな声音はよく通る。成り行きを離れて観察する俺の耳にも、凛として聞こえた。
「貴族も平民も関係なく、ただ、この国の未来を支える紳士淑女を育成するために創設されたのがこの学院です。レディとしてのマナーを守れぬ者は見過ごせません」
「……そんなものは名目です。それは、貴女が一番ご存じなのでは?」
男のほうも退かない。
自身のプライドのためというより、腕にピッタリとくっつくソフィア嬢の前で格好いいところを見せたいらしい。
「ローゼンクランツ公爵の一人娘、そしてフリードリヒ様の婚約者だからと……こうして、弱き者を見つけては、王子に構ってもらえない鬱憤をぶつけているだけではありませんか!」
「――なんですって?」
聞き捨てならない、と双眸を険しくさせるリズリットに、男のほうは気圧されそうになるが、
「こ、怖いですぅ……」
と、ソフィアがさらに怯える様子を横目にして、ぐっと踏ん張る。
「そ、そうじゃありませんか……! ソフィアちゃんがフリードリヒ王子と仲良くされているから、彼女に八つ当たりをしているだけでしょう!?」
「…………。あの、まったく見当外れなのですが」
本気で困惑した顔のリズリット。
「確かに、そちらのソフィアさんは王太子殿下と親しくされていますが、私が言いたいのは――」
「ご、ごめんなさいっ!」
リズリットの言葉をさえぎって、ソフィアが声を上げる。
「私、ただ趣味が合うだけなんです、フリードリヒくんとは――」
さすがのリズリットも眉をひそめ、男子生徒のほうも困った顔になる。
いくら身分差は関係ない、という建前の学院であっても、さすがに国の第一王子を『くん』呼ばわりする娘は、いささか以上にマナーを欠いているだろう。
……平民出身だからその辺りのバランス感覚が理解できないというのは、まあ仕方のないことかもしれないが。
しかし、そんなことはお構いなしにソフィアは、さらに神経を逆なでするような言葉を連ねる。
「授業のときもペアを組もうって、フーくんのほうから声をかけてくれたり――」
「ふ、フーくん……?」
リズリットの顔が引きつるのもお構いなしに、
「この髪飾りだって、彼が贈ってくれたんです」
栗色の髪を留めたヘアピン。遠目では分かりづらいが、たしか小さな花を模した宝石飾りがされていたはずだ。
「だからお礼にクッキーを焼いてあげたら、美味しい、美味しいって食べてくれて」
ここまでくると、身分など関係なく明らかに空気が読めていない。
彼女は、婚約者の前で『貴女の彼氏とこれだけ仲が良いんですよ』とアピールしているわけだ。
かばっている男子生徒も、リズリットの鋭い視線と板挟みになって、見るからに居心地が悪そうになっている。
「魔法の相性だって、とってもいいんです。私の土魔法って凄く地味なんですけど、フーくんの光魔法のおかげで綺麗なお花を咲かせることができて――」
「…………」
「あっ、ごめんなさい。リズリットさんは、まだフーくんと一回もペア計測を受けたことがなかったんですよね」
互いの魔法相性を測るためのペア計測なるものが学院のカリキュラムにはある。
占いと健康診断をミックスしたような、まあ半分お遊びみたいな行事なのだが、その数少ない機会のたびに、ソフィアがさりげなくアピールして『フーくん』とペアを組むものだから、リズリットは一度も婚約者と参加できていない。
ちなみに、ぼっちの俺は誰ともペア計測なんて受けたことはない。
天然なのか煽っているのか、ともかくソフィアはリズリットにマウントを取るように、
「このスカートだって、活発な君にぴったりだって言ってくれてるんです――」
「……ソフィアさん」
さすがに声を低くして半眼でリズリットが睨むと、
「ひっ……!?」
ソフィアは必要以上に肩を跳ねさせて、今度こそ完全に男子生徒の背に隠れてしまった。
「り、リズリットさま! 彼女はただ健気に王子のことを想っているだけで――」
なんとか抗弁する男子生徒。
――ここだけ切り取ると、悪役令嬢が素朴な町娘をイジメている光景に見えるかもしれない。
だが。
彼の背中でソフィアは、俺にしか見えない角度で笑った。
優越感に浸り、怒るリズリットを嘲笑うように。
醜い表情だ。
それこそ、あのフリードリヒのようにねじ曲がった性格を想起させる顔をしていた。
「――あれがソフィアの本性か?」
ゲームでは主人公であるソフィア視点でばかり描いていたから、こういうシーンも彼女に都合がいいように改変されていたということだろうか。
……いや。
この生身の世界を、まだゲームだと認識している俺のほうが異常なのかもしれない。
すでにこの世界は俺の知っているゲームとは別種のものになっている。
入学するまでの場面はゲーム内では描かれなかったからそのことに確信を得る機会はなかったが――
やはり認識を改めるべきなのだろう。
この世界と……そして、リズリットに対しても。
もう、遠慮する必要はないのか?
俺は転生者として慎みを持って過ごしてきた。身勝手な行動で、本来幸せになれるはずだった人間が割を食わないように。あるいは、創造主たるゲーム制作者への敬意から。
しかし、今まさに悪役にされようとしているリズリットを見捨てておけなくなった。
――やるか。
俺はそっと窓を開け、胸の高さまである窓の{桟|さん}に足をかけ、
「おっとぉ……っ!?」
わざと間抜けな声を上げながら、彼女らのすぐ側の茂みに頭からダイブした。
「なっ!?」
「きゃっっ!?」
「な、なんですの――!?」
驚く三人の注目を浴びつつ、俺は茂みから這い出る。
会話を中断させる目論見は十分に果たせたようだ。
「ひっ!? な、なに、この人っ! やだ、怖いっ」
「ソ、ソフィアちゃん!? む、胸が腕に……!」
こんなときでもソフィアは、か弱いアピールと、ついでに貴族の子息に粉をかけるのを欠かさないようだ。ここまでくると計算高くて嫌気が差す。
もっとも、怖がっているのは事実だろう。
なにせ、いつも不気味な風体の俺が、乱れた長い髪に木の葉を付けながらのそのそ現れたのだから。
しかし、リズリットは、
「大丈夫ですの!?」
一瞬の驚きのあと、すぐに駆け寄ってきた。
「お怪我は!? 頭は打ちませんでしたか!? どこか痛いところは――」
俺もちょっとたじろいでしまう。
彼女は、自分の手が汚れるのも気にせず、俺の髪や体に付いた葉っぱや土を払って、傷がないか確かめようとしてくれる。
その目からして真剣だ。
警戒しているはずの俺のことを、本気で心配し、狼狽えている。
彼女を助けるつもりが、逆に悪いことをしたな。
「問題ありませんよ、リズリットさま……。それより、俺なんかに触っても良いので?」
フリードリヒに近づくなと釘を刺してきたのに。
「あれは、王太子殿下に対して――の話です。余計なことをおっしゃっていないで、どうなんですか、お怪我は――私は治癒魔法を使えませんので、そうだ、ソフィアさん、貴女は何か薬草など持っていませんか?」
「えっ、い、いやよ! たとえ持っていても、誰がそんな気味の悪い男なんかに……!」
ちょっと本性が漏れ出ているソフィア。
これ以上リズリットを慌てさせたくないので、
「怪我はしていません。こんなトラブルは日常茶飯事なものでね。これも研究の一環。ふふふ……」
思わせぶりなことを、距離を置きたくなるような声で囁いてやる。
実際、着地の寸前に影魔法を膜状に展開して体を守ったので、かすり傷ひとつ付いていない。茂みから這い出たときに髪や服が汚れたくらいだ。
「いいえ! こういうときは、やはりちゃんとしたお医者さまに診てもらうべきです! さあこちらへ――」
「え、いや……」
俺の腕をギュッと抱いて、無理にでも連行しようとするリズリット。
さっきのソフィアとは違って計算ではなく天然なのだろう、その豊かすぎる胸が――制服の横乳が押しつけられて、二の腕には、これ以上ないほどの柔らかな感触が当てられる。
冷徹な貴族令嬢というイメージとはほど遠く、体温も高い。
整った綺麗な横顔。白い首筋。長く赤みがかった髪からは、甘く、軽やかな香りが漂って俺の鼻腔をくすぐる。
何より、俺のために必死になっている表情には、険しさの中にも深い慈しみが感じられる。
――立派な人だとは思っていた。
たとえ悪者になろうとも、王子と、この国のために尽くそうとする公爵令嬢としての振る舞いを、尊敬すらしていた。
だが。
それ以上に彼女は――魅力的な女性だと思い知らされる。
見た目の問題ではない。
彼女の場合、中身の高潔さと優しさとが、その美貌にまで滲み出ている。
少なくとも、俺はそう強く感じた。
バクン、と胸が脈打つ。
まいった……こんな不謹慎な感情を抱くべきではないのに。
リズリットは王子の婚約者だ。
そして俺は、彼女を不幸のどん底に叩き落とす登場人物の一人なのに――
(……いや)
そうだ。
変えると決めたのだ。
俺に与えられた役回りがどんなものであろうとも、最後には彼女を幸せにしてみせる。たとえ誰を敵に回しても。
今は、彼女に嫌われてでも――
「リズリットさま、結構です。治療など不要ですよ」
あえて冷たく彼女を引きはがす。
この俺なんかと接近して、連中に、また悪い噂でも流されたら大変だからだ。
「……ねえ、リズリットさん。もしかしてその人のこと、好きなの?」
案の定。
さっそくソフィアが、些事を拡大解釈して自分に都合のいい話題に変換しようとしている。
「だったら私、応援するよ? やっぱり、好きな人と一緒になるのがいいもんねっ!」
この女。
いくら平民とはいえ、この学院に一年以上通っていれば、貴族にとっての結婚がそんな軽いものではないことくらい百も承知だろうに。
これにはリズリットも怒り心頭かと思いきや、
「ソフィアさん。茶化さないでくださいまし」
至って冷静に、真っ直ぐと彼女を見て返す。
「――レイン・ヴァルトラウト。怪我がないのでしたら何よりです。……ですが、もし本当にどこか痛むようなら、必ず校医の先生に診てもらってください。いいですね?」
「……え、ええ。約束しますよ」
俺が素直に答えると、リズリットはほんのわずかに、目元を柔らかく緩ませて、
「よろしい」
と、うなずいた。
長い前髪の下、俺のまぶたには、その美しい微笑が焼き付いて離れなかった。
……まいった。
どうやら俺は、本気でこの悪役令嬢に惚れてしまったらしい。