10/10 電子版発売

辛辣で可愛げのないクール系後輩彼女は性行為中だけデレる

著者: 田中別次元

電子版配信日:2025/10/10

電子版定価:880円(税込)

「先輩、いっそのこと、私で童貞卒業しときますか?」
放課後、冷笑しながらからかってくる後輩・涼川綾香。
告白したらなぜか付き合えたけど、相変わらず毒舌な彼女。
冗談交じりの言葉にムキになり、彼女を部屋に連れ込むことに。
ぎこちないキスを交わしていると甘い声を漏らし始めた涼川は、
エッチの時だけ「好き」と言いながら抱きついてくる処女だった!
ギャップが激しい後輩彼女との夢の初体験──官能大賞eブックス賞受賞作!

目次

第一章 辛辣で可愛げのないクール系後輩彼女

第二章 セックスの始め方

第三章 性行為中だけ、デレる

第四章 透明な女の子

最終章 辛辣で可愛げのないクール系後輩彼女は、本気でデレる

本編の一部を立読み

第一章 辛辣で可愛げのないクール系後輩彼女



 二年生の夏。
 生まれて初めて恋人が出来た。

 学業成績はほぼ平均、取り立てて目立った特技がある訳でもない。ルックスも普通、どこにでもいる普通の学生。それ故にこれまで女性からモテた事など一度もなかった。
 そんな、何の取り柄もない俺に、彼女が出来た。
「古谷《ふるや》先輩、何してるんですか?」
 放課後の渡り廊下でオレンジ色の西日に染まる校舎をぼうっと眺めていた時、とある女子が俺の背中にひんやりとした冷たい声で語りかけてくる。
「こんなところで一人黄昏《たそが》れているなんて……何か、キモいっすよ」
 この子の名前は涼川綾香《すずかわあやか》。俺の一つ下の後輩であり、そして――。
「……涼川、その物言いは流石に傷付くぞ」
 俺の、人生初の恋人である。
 髪型は女の子の可愛らしさと、まるで少年のような無邪気さを兼ね備えているショートボブ。色白できめ細やかな素肌、お世辞ではなく、まるでモデル雑誌から飛び出してきたかのような美貌の持ち主であった。
「それで、何してたんですか? キモい先輩」
「き、キモい先輩って、お前なぁ」
 身長160センチ前後と背丈はやや高め、バストの方も発育が良く、迫力ある丸みが衣服の上からでも窺えるほどの巨乳であった。控えめに見積もってもG、いや、下手をすればHカップの領域に足を踏み入れている。
「涼川の事を待ってたんだよ、一緒に帰りたかったから」
「え、きも、やば」
「お前さ、マジでお前……っ」
 そう、容姿に関して言えば、涼川はまごう事なき美少女であった。俺のような何の取り柄もない石ころとは決して釣り合わない程のレベルである。
 しかし、そんな彼女の可憐な印象を、決定的に一変させる箇所があった。
 それは、彼女の目つきである。
 鋭い目尻に、薄く目立つ泣きぼくろ、生え揃った長い睫毛に、冷たい印象のある真っ黒な瞳、彼女の目元には人を寄せ付けない威圧のオーラが多分に含まれていた。
「何ですか、先輩。人の事をジロジロ見て」
「い、いや、別に、その」
 俺の視線に気付いたのか、涼川はキッと氷のような目つきで見つめ返してくる。俺は思わずごくっと喉を鳴らして目を逸らしてしまう。
「不躾に人の身体を舐め回すように見つめるなんて」
 新学期早々に出会い、様々なアプローチを経て、俺達はめでたく交際へと至った訳だが……。
 目つきの悪さに加え、彼女にはもう一つ、それも致命的と言えるほどの問題があった。

「古谷先輩って、本当に気持ち悪いっすね」

「うぐ」
 まるで銃で撃たれたかのように俺は胸を押さえてしまう。
 そう、この涼川という女は、なんて言えばいいのか。
 言葉がキツイというか、オブラートを知らないというか。
「そんなんだからモテないんすよ、古谷先輩」
「ぐはっ」
 心を抉るような涼川の言葉に、俺は目に見えない形で吐血してしまう。
 こいつは、そう、かなり性格がキツイのである。
 仮にも彼氏であり、尚且《なおか》つ一個上の先輩である俺に対してあまりにも容赦のない物の言い方――それが、彼女の唯一の難点であった。
「べ、別にモテなくていいんだよ俺は」
 図星を突かれると、人は意思に関係なくウロウロと目を泳がせてしまう生き物だ。俺は手を組み、妙にウジウジとした動きをしてしまう。
「くすっ、本当の事を指摘された途端に挙動不審になっちゃうその感じ、先輩の童貞っぽさが如実に表れていますね」
 涼川はそう言って若干見下し気味の目線を送ってくる。
 ちょっと待ってくれ。俺達って、一応恋人同士なんだよな?
 そんな事あるか? 恋人に童貞いじりをされるなんて。
「どうしたんですか? 何か反論しないんですか? 童貞の先輩」
 俺を罵倒するのが心底楽しいのか、涼川はニタニタと意地の悪そうな笑みを浮かべながら俺の傍に近寄ってくる。くそ、この性格さえなければ最高に可愛い女の子なのに。
「あのさ涼川、せめて誠実って言ってくれないか? 俺は段階を大切にするタイプなんだよ。そういうのはまずお互いが心と心を通わせて、ベストなタイミングがやってきた時に初めて成就するものというか」
 我ながら何を青臭い事を、と思いながらつらつらと能書きを熱弁してしまう。その様子に、涼川はさらに小バカにしたように鼻で笑う。
「そんな都合良い事ばっかり言ってるからいつまで経っても童貞なんですよ」
 俺の長ったらしい男女の恋愛論がたった一言で両断されてしまう。そんな言い方されたらこちとらぐうの音も出ねぇじゃねぇか。何なんだよ、何か言えばすぐ童貞童貞って。俺はうんざりした顔でため息をつく。
「……」
 すると、涼川はそっと俺の方へ歩み寄り、耳元に向かって蠱惑的な音色で呟く。

「だったらいっその事、私で童貞卒業しときますか? 古谷先輩」

「え――」
 涼川の蠱惑的な言葉を聞いた瞬間、俺は顔をかぁっと赤くしてしまう。
 悔しいが、俺だって一匹のオスだ。涼川の言葉は、この世の何よりも甘い果実のように魅力的であった。自然と目つきが色めき立ってしまい、俺は無意識のうちに物欲しそうな表情を浮かべてしまう。
「す、涼川、お前……」
 い、いいのか? 本当に? え、ガチで?
 だがその途端、涼川はにんまりと歪な笑みを浮かべて――。
「何本気にしてんすか? 本当に気持ち悪いですね、先輩って」
 そう言って、涼川はそのまま俺から距離を取る。
「す、涼川、お前っ、お前さぁ……っ」
 羞恥のあまり、俺は顔を赤くしながらその場で悶々としてしまう。からかいとはいえ、今のは流石に破壊力があり過ぎる。
「くすっ、そうやって動揺しているうちは誰からも相手にされないですよ」
「いや、今のタイミングでそんな言い寄られ方されたら誰だってドキッてしちゃうだろっ! 人の純情を弄びやがって!」
 俺の言葉に、涼川は口元を押さえて笑い出してしまう。俺の純粋な心を弄ぶのがそんなに愉しいのか、この女は。
「ふふっ、ごめんなさい、ちょっとからかい過ぎました」
 ぐぬぬ、とした気持ちが溢れ返るが、涼川のぎこちない笑みを見ると、不思議と怒りが湧かなくなる。どんなに馬鹿にされても許してしまいたくなるのだ。これぞ美人の特権なのだろう。
「うう、ちっくしょう。バカにしやがってぇ」
 後輩にボコボコに貶され、俺はめそめそとした気持ちで帰路に就く。その後ろを、涼川が相変わらず意地の悪い笑みを浮かべながら付いてくる。
「でも、さっき言ってたのは本当っすよ? 古谷先輩」
「あん? 何が?」
「童貞、私で捨てますかって話」
 コイツ、まだ俺の事を弄るつもりなのか? 生憎、その手には乗らない。俺は振り返る事なく、鼻を鳴らしてぶっきらぼうに応えた。
「どうせまた俺の事を馬鹿にするつもりだろ。もうその手は食わねえって」
 すると、涼川はポカンとした様子でさらに問いかけてくる。
「いいんすか? もったいない。先輩が構ってくれないなら、私、他の男の人に取られちゃいますよ? NTR《ねとら》れちゃいますよ?」
 NTRとはつまり、「寝取られ」の意である。いつもの冗談なのだろうが、俺はそこで薄っすらと考えてしまう。俺の事をあっさりと捨てて、イケメンに靡《なび》いていく涼川の姿を――。
「絶対嫌だよそんなのっ、考えただけで苦しくなるだろっ」
 俺はそこで振り返り、涼川の顔を見つめながら言葉を続ける。
「グダグダ言わずに素直にお願いすればいいんすよ、ヤらせてくれって。何なら私が手取り足取り教えてあげますよ? 先輩」
「っていうか涼川、そういう冗談ってホント性質《たち》悪いからマジでやめてくれって! 心臓に悪いからっ」
 今更だが、俺は涼川のこれまでの男性遍歴を知らない。これほどの美少女だ。まさか今の今まで誰からも放っておかれた、なんて事はないだろう。それこそ、俺なんかよりもずっと経験は豊富なのかもしれない。
「……」
 涼川が性に乱れる姿なんて、想像したくもなかった。
 ちなみに、俺と涼川は未だキスすらした事ない。俺が奥手過ぎるというのもあるが、単純に、涼川が美人過ぎてアプローチをかける事にさえ一種の罪悪感めいたものを感じてしまうのだ。
 すると、涼川は先ほどまでの冷笑から「笑」の部分だけを引っ込め、冷たい表情で俺の事を見つめる。
「何すか? 私って、そんなに魅力ないように見えるんすか?」
 涼川のその表情は、まるで子供が拗ねている時の顔にも見えた。
「いや、いや違う違う違うっ、そ、そういう訳じゃなくて」
 魅力がない? 馬鹿言え。学校、いや、下手したらこの街でも随一の美少女なんだぞ。魅力的に見えない訳がない。しかし、涼川は俺の言葉を無視し、不機嫌な表情で俺を追い越してしまう。
「ふーん、そうなんだ。古谷先輩って、私の事好きじゃないんだ」
「いやだからそういう事じゃないって。おい涼川っ、ちょっと待てって」
 頬を膨らませながら、涼川は俺の制止もきかずそのままスタスタと先に行ってしまう。俺は弁解の言葉を述べながら雨に濡れた野良犬のような顔で涼川の背中を追いかける。
「好きだってっ、涼川の事っ、好きだから大切にしたいんだってっ」
 恥ずかしかったが、俺は涼川の機嫌を取るためにあえて包み隠さず真っすぐに本心を伝える。すると、涼川はようやく足をピタッと止めてくれた。
「すいません古谷先輩、聞こえなかったんで、今のもう一回言ってくれますか?」
「えっ? いや、だから、あの、そ、その」
 聞こえない訳ないだろ。こんなにはっきり言っているのに。こいつ、やっぱり俺の事困らせて愉しんでやがる。俺が口ごもった瞬間、涼川は先ほどのように憎たらしい笑みを浮かべてみせた。
「やっぱり、古谷先輩って……」
 一拍ほど間が空く。その時の涼川の顔は、何処か嬉しそうにも見えた。
「ほんと、マジでキモいっすね」
 完全に負けた気分になり、俺は不貞腐れたように涼川の隣を歩く。知り合って以降、ずっとこんな調子であった。
「もー、そんなに拗ねないでくださいよ、先輩ってば」
「拗ねるだろっ。純粋な男の恋心をからかいやがってっ」
 俺が涙目で声を荒げると、涼川はこれ以上ないほどに楽しそうな顔を浮かべて笑い始めた。
 ……これでも、出会った当初に比べたらまだマシな方である。
 今でこそ涼川は無垢に笑う事が出来ているが、少し前、氷のように冷たい表情で、誰にも理解を示そうとせず、興味すら持たず、ひたすら孤独を貫いていた時期が彼女にはあった。あの頃に比べたら、これでも仲は進展した方だと言える。

 ・・・

 今年の春、涼川が新入生として入学し、少し経った後くらいか?
 俺と涼川の出会いは、一言でいえば「偶然」であった。
 昼休み、担任からの頼みで授業に使う資材を旧校舎の準備室に取りに行っていた時の事――一年生の女子がガラの悪い不良生徒達に囲まれているのを目撃した事からこの話は始まる。
 剣呑な雰囲気だった。人気のない旧校舎で女子一人を寄ってたかって囲うなんて、誰がどう見ても良からぬ事に決まっている。
 見てしまった以上、知らん顔するのも気が咎《とが》めた。俺は勇気を振り絞ってその場に割って入ったのだ。
 そこにいたのが彼女、涼川綾香である。
 想像通り、男達は群れになって涼川に乱暴を働くつもりだったらしい。心底ムカつくが、俺は別に漫画の主人公みたいに何かしらの特殊能力がある訳でもない。声を荒げて不良達をその場から退散させるのが精いっぱいであった。
 しかしその時、涼川に言われたのは――。
『ほっといてくださいよ、迷惑なんで』
 もちろん、助けた事を恩に着せるつもりは毛頭なかったが、それにしたって随分可愛げのない反応だなと思った。
 だがそれと同時に、何だか放っておけないとも思ったのだ。
『お前、一年生だよな? 名前は?』
『……涼川、綾香』
 俺に対して素っ気ないのはまだいい。だが何というか、この時の涼川はどうにも危うい雰囲気があった。全ての事に無関心で、投げやりで、自分自身の事すらもどうでもいいと思っているような、そんな儚さみたいなものがあった。
『俺は古谷優司《ゆうじ》、お前の先輩だ』
 涼川の方は別に俺なんかとよろしくする気などさらさらないだろうが、それでも、俺は一方的に名乗る。とにかく、今の涼川を一人にする訳にはいかないと思ったから。
 このまま彼女を放っておいたら、また今日と同じように変な輩に絡まれ、今度こそ取り返しのつかない事が起きるかもしれない。そんな、胸糞悪い事態だけは何とか避けなければならないと思った。
 その日以降、俺はお節介のつもりで何かと涼川と接触し続けた。一方的ながら、彼女のボディーガードを買って出たのである。
『これ以上私に関わらないでください。キモいんで』
 しかし、涼川は俺に会う度に辛辣な言葉を吐き、頑なに距離を取ろうとする。
『古谷先輩は、どうしてそこまで私の事、気にしてくれるんすか?』
『放っておけないんだよ。危なっかしくて』
 こうやって偶然ながらも出会ってしまった以上、もう他人事とは思えなかった。それに……涼川のような可愛い女の子が下衆な奴らに乱暴される姿なんて、想像したくもなかったからな。
『変な人っすね、古谷先輩って』
 最初こそ疎まれていたが、次第に涼川も少しずつ俺に気を許すようになり、俺達はいつの間にか自然と一緒に登下校をする間柄になっていた。

 そして、季節は初夏――。
 気付けば、俺は涼川に告白をしてしまっていた。

 どうしてなのか。
 始めはただのお節介のつもりだったのに、一緒に過ごすうちに、だんだんと俺の中で彼女の存在が大きくなってしまっていたのだ。
 涼川は俺に対して辛辣な言葉を投げたり、素っ気ない態度を取ってくる事もあるが、それでも、傍にいたいと思わせる何かが彼女にはあった。
 心の何処かで、彼女と一緒にいる事に妙な安心感を抱くようになってしまったのだ。そういう、言葉では言い表せない気持ちが俺の中で綯《な》い交ぜになり、気付いた時には――。
『涼川、俺と、付き合ってくれ』
 俺は、彼女に恋をしてしまっていたのだ。
『……』
 告白をした直後の、あの沈黙。思い出すだけでも寒気がする。感情の見えない目つきに、時間が永遠に引き延ばされたかのような感覚。まるで拷問のような無言の時間が続いた。
 ああ、これはフラれたかも……そう、思った瞬間だった。
『いいっすよ、別に』
 涼川は、意外にもあっさりと俺の告白を受け入れてくれたのだ。
 俺に、生まれて初めて恋人が出来た瞬間であった。
『ねぇ、先輩』
 しかしその直後、涼川は俺に不思議な質問をしてきた。

『私、今、何色に見えますか?』

 ……色って、何だ?
 涼川の質問の意図が分からず、俺は少し困惑したまま『綺麗な色だよ』と答えたが……それが正解か不正解なのかは分からない。それに対し、涼川は小さく「そうすか」と答えただけだった。
 そう、涼川には良くも悪くも不思議な部分があった。
 俺はまだ、あの時の涼川の問いの意味を理解出来ずにいた。生まれて初めて彼女が出来た事に舞い上がってしまい、それどころじゃなかったのだ。

 あの時、どうして涼川は俺にそんな質問をしてきたのか――?
『私、今、何色に見えますか?』
 涼川の、あの問いの意味は、一体――?

 ・・・

 とにもかくにも、そうやって俺達の交際は始まった。
 だが、その結果どうだ?
 彼女は事あるごとに俺をからかって弄ぶようになったのである。惚れた弱みもあり、怒るに怒れない。男としてかなり情けない状況であった。
「いいんすか先輩? 私だったら別にオッケーっすよ?」
 さっきの話を蒸し返しているのか、涼川はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら俺の二の腕を突いてくる。
「どうせこの先、私以外に彼女なんか出来ないんですから、私が貰ってやってもいいんですよ? 先輩の童貞」
 まーた童貞いじりじゃん。何なんコイツ。
 思わずイラっとしてしまい、俺は大人げなく返事をしてしまう。
「ああそうかいっ! だったら今すぐ俺ん家《ち》にこいよ。そんなに言うんだったらお望み通りやってやっからっ! 黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがっ――」
 顔を赤くし、声を荒げようとした。だが……。
「ええ、いいっすよ、行きましょう」
 まるで当然かのように涼川は返答する。
「……えっ?」
 思わず、頭の中が真っ白になってしまう。しかもこの時、涼川はからかうような表情ではなく、至って真面目な顔をしていた。意図の読めない目で、じっと俺の事を見つめながら。
「だから、古谷先輩の家、今から行きましょう」
「い、いや、ちょっと待てっ、今のはその、弾みというか」
「行くんすか? 行かないんすか? どっち?」
「え、いや、だからあの」
 涼川の語勢に、つい返答がごちゃついてしまう。若干つっかえながら言葉を続けようとするが、涼川はそこでさらに俺の腕をぐいっと引っ張り、まるでトドメのように言い放つ。
「行くんすよね? 早くしてください」
 面白がる訳でも、からかう訳でもない。
 いやむしろ、涼川はまるで催促するかのように俺の腕を引っ張り続ける。その勢いに押し負け、俺はつい、力なく返してしまう。
「……は、はぃ」
 これまで、同じようなやり取りは何回かした事がある。涼川に色々とからかわれて、大体は俺が拗ねて終わるのがいつもの流れであった。
 だけど、今日は違った。
 涼川は、今から本気で俺の家に来るつもりらしい。
 え? うそ、ガチで? ホントに?
 当事者なのに、俺はまるで他人事というか、フィクションのやり取りを俯瞰的に見ているかのような心境になってしまった。だって、そうだろ?
 涼川と付き合う事になった時もそうだが――まさか、自分にそういう機会が巡ってくるなんて、想像もしていなかったから。
「ほら、早くしましょう。他の生徒に見られないように」
 故に、現実感がなかった。
 幸い、俺は進学を機に親元を離れ、ワンルームマンションで一人暮らしをしている。彼女を連れ込む上で不都合な事は何もない。
 俺の家で、涼川と二人きり――。
 涼川と共に歩きながら、俺は内心テンパってしまっていた。付き合っているとはいえ、その、そういう……エッチな事は、もうちょっと仲が進展してから起こるものだと思っていたから。
 それが、急に何の予兆もなく目の前にやってきたのだ。男たる者、そりゃあ誰だってビビるに決まっているさ。
 ……いや、待て。
(コイツの事だ。また性質の悪い冗談なんじゃないか? 土壇場になって俺の事を笑いものにするつもりなんじゃないのかっ?)
 そうだよ。これまでずっと一緒にいて分かった事だが、この涼川綾香という女はびっくりするぐらい性根が曲がってる。
 乗り気に見せかけて、また童貞の初心《うぶ》な気持ちを刺激して悦に浸るつもりなんじゃねーのか? そう思ったら何かだんだん腹が立ってきたぞ。
 だがそこで、俺の家の方向へと向かう道中、コンビニの前で涼川がふと立ち止まり、俺の方を見つめながら小さく問いかけてきた。
「そういや古谷先輩って、あれ持ってます?」
「あれって?」
 そう聞き返すと、涼川はほんの少しだけ目線を外しながら言葉を続ける。
「……ゴム」
「ゴムって、あ、いや……」
 涼川が言いたいのは、コンドーム、避妊具の事だ。
 持ってる訳がない。だって今までゴムが必要な機会なんてなかったし、これからもずっとそんな予定なんかないって思ってたもん。
「はぁ、先輩って本当にどうしようもない子っすね。いざって時どうするんですか? 避妊具くらい常備しとかないと」
 涼川の言葉に、またしてもモヤモヤとした気分が胸の内に膨らんでしまう。何か、ちょっと慣れてないかコイツ?
「仕方ねぇだろ。涼川に出会うまで『いざって時』なんか一生ないって思ってたんだから。俺、ゴムなんか買った事もないっすよ」
「……」
 俺がそう返すと、涼川は妙な間を一拍ほど置き、俯き気味に小さく息を吐く。その直後、涼川は再びいじめっ子みたいな顔を浮かべた。
「古谷先輩、だったらアレしません? カップルで一緒に避妊具をレジに持っていくヤツ」
「何その羞恥プレイ。恥ずかしいって」
「面白そうじゃないっすか、やりましょうよ」
「というかさ、俺達学生服だけど、その、コンドームって学生にも売ってくれるのかな?」
 馴染みがなさ過ぎて思わず素っ頓狂な事を聞いてしまう。
 これはあれだ。酒、たばこ、セックスは大人がやるもの――という固定概念のせいだ。そこで、涼川はまたしても悦に浸ったような表情で返してくる。
「何言ってんすか、売ってくれない訳ないでしょ。私達みたいな学生カップルにこそ必要なものなのに」
「うん? まぁ、いや、まぁ、そ、そうっすね?」
 そう、なのか? いや、分かんないけども。
「馬鹿なんじゃないっすか? ほら、行きますよ」
 涼川に引っ張られる形で俺はコンビニへと入り、スタスタと買い物かごに商品を入れていく。
「古谷先輩、今日は泊まってもいいんすよね?」
「えっ!? お前、い、いや、でも」
 マジか、泊まる気なのかコイツ。いや、俺自身は別にいいんだけど。
「ああ、私は大丈夫っすよ。先輩と同じで一人暮らしなんで」
 これはずっと前に聞いた話だが、どうやら涼川は俺と同じく親元を離れてこの街に越してきたのだという。だから門限も気にする必要なく、ある程度自由に過ごす事が出来るらしい。
「いやでも、若い男女がさ、一つ屋根の下でさ、それってなんか……ふ、ふしだらというか」
「ふしだらな事をするために今から先輩の家に行くんでしょ?」
 俺はなおも意気地のない独り言を呟きながら身を強張らせてしまう。そうこうしているうちに涼川は買い物かごにお泊まりに必要な物を次々と放り込んでいく。
(コイツ、俺ん家で一晩過ごす気満々じゃん)
 粗方詰め込んだ辺りで、いよいよ俺達は避妊具、コンドームが並んでいる棚へ足を運び、いかにもって感じの箱を一つ手に取る。
「今日一晩で使い切れますかね、これ?」
「いや、どんな精力バケモンだよ」
 内心バクバクと心臓を跳ねさせながら、俺達はレジへ向かう。
 男性の店員が商品を袋に詰め込んでいく時、避妊具の箱を手にした刹那、ほんの一瞬だけ俺と涼川の顔をチラと見やってきた。
「……」
 一瞬の無言の中に、色々な感情が交錯したような気がした。店員は無言のまま袋詰めを続ける。「この二人、これからセックスするのか」とか思われているんだろうか?
 俺はふと横に立っている涼川の顔を見る。涼川は伏し目がちで恥ずかしそうな顔を浮かべていた。俺も涼川も終始無言であった。
「……っ」
 会計の途中で羞恥に耐え切れなくなり、涼川は赤面しながら俺の背に隠れてしまう。自分で言い出した事なのに、何でコイツこんなに顔を真っ赤にしてんだよ。
 全ての商品を精算し、俺達は店を出る。気まずい雰囲気に包まれながら、俺達はしばらく無言で歩き続けた。二分ほど経った辺りで、ようやく涼川はぎこちなさそうに口を開く。
「店員さん、無反応でしたね」
「うん……いや、そりゃそうでしょ」
 店を出る時、じろじろ見られていた気がする。どういう風に見られていたのだろうか? 傍から見て、俺達って仲のいいカップルに見えているのだろうか? 実際はいじめっ子といじめられっ子みたいな関係なんだけども。
「でも、必要な事ですからね。妊娠して学校辞めたくないし、ちゃんと避妊はしないと」
「いや、まぁ、それはそうなんだけどさ」
 あのコンビニ、学校帰りによく使ってるんだけどな。しばらくは気まずくて顔を出せそうもない。店員側は何も気にしてないだろうけど。
「でも、ちゃんと責任取ってくれるっていうなら、先輩の赤ちゃん、孕んでもいいっすけどね」
「お前さ、冗談でも言わない方がいいぞ、そういうの」
 というか、そんなのシャレにならない。親御さんになんて説明すればいいんだ。俺は半歩ほど歩幅を伸ばし、少しだけ前を歩く。
「別に、冗談じゃ、ないんすけど」
「どうした?」
「……何でもないっす」
 というか、本当に買っちまったぞ。コンドーム。
 しかも涼川と二人で並んで。

 これってさ、もしかしてなんだけどさ。
 ……ガチで童貞卒業出来る流れなんじゃないのか?

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