05/22 電子版発売

きみの全てを奪うまで(上)小説版【フルカラーイラスト付】

著者: ういろう
原作: たことかいと

電子版配信日:2026/05/22

電子版定価:1,430円(税込)

シリーズ累計24万ダウンロード突破中の同人コミックが小説に。
豪華フルカラーイラスト付きのプレミア仕様で上下巻同時発売!
俺と幼馴染のひな。家が隣同士で、生まれたときからずっと一緒。
時々ひなが泣いたり怒ったりするけど、最後は笑顔になるならそれでいい。
そうやって、今さら芽生えた想いを隠して「幼馴染」であり続けることを選んだ。
でも、最近友人になった転校生の礼司とひなの距離が近い気がして……。
ひなのこと、全部知っていると思っていた。だけどある放課後、
──ひなは友人の前で、俺の知らない「オンナ」の顔をしていた。

目次

プロローグ 二人の世界

第一話 Side-A 西島晴人の話 届いたはずの、手を伸ばさなかった現実

第一話 Side-B 東堂礼司の話 極上の優越感

第二話 雛鳥と、餌

第三話 溺れる

第四話 正しくて、空っぽ

第五話 雛鳥は、餌

第六話 なぐさみなぐさみおちていく

第七話 オモイオモイに雨降って

本編の一部を立読み

プロローグ 二人の世界



 よくある冴えない男と可愛い幼馴染の女が結ばれる恋愛ストーリー。
 現実にはありえないから、創作されるし、感動する。
 そう、いつだって、冴えない男はモブのまま。
 だからさ、想像できるだろ?
 ……この話の結末なんて。


♢五月
 
「おはよーっ」
「あー、ひなごめーん! まだあの子寝てるかもー。悪いけど、起こしてやってくれない?」
「はーい…………」
 階下で響く、聞き慣れた母ちゃんの声。
「……ったく、毎朝毎朝……」
 そして、それ以上に耳によく馴染んだ、呆れ果てたような声。
 もはや馴染みすぎてしまって、その声の主がドアを開けて部屋に入ってきても、俺は布団の中でまどろんだままだった。
 しゃっとカーテンを開く音がして、窓から差し込む光が強くなる。いつもと同じ、朝の儀式。五月の朝日が眩しいぜ。
「はーるとー、遅刻するよー」
【挿絵01:遅刻するよー】

 どうにか重たい瞼を開けると、冷めているのにどこか温かみも帯びた目で、一人の女の子がベッドを見下ろしていた。
 寝ぼけまなこでだらしなく布団を抱きしめる俺とは対照的に、制服のブレザーをきちんと着こなしている。
 しっかり者、という言葉がこれほど似合う人間もそうはいないだろう。
 いつもと同じヘアゴムで、いつもと同じ髪型。耳の少し下のあたりで黒髪をまとめる、控えめなおさげスタイルだ。
「あ、あと五分……」
「もーっ、早く起きないと、先行っちゃうよー」
 俺もまた、いつもと同じように睡眠欲に負けた情けない姿をさらす。
 とにもかくにも、こうやって毎朝、幼馴染が俺を起こしに来てくれる。
 まるで漫画のような日常……うん、悪くない。

「ねぇいつまで朝ごはん食べてんのー! 私まで怒られるんだから!」
「あーい」
「……服出てるよ! ……もうっ、だらしないなぁ……」
 身支度もほどほどに慌ただしく家を出ると、またあの呆れかえった声が飛んでくる。
 ……あ、そういえば自己紹介をしていなかった。
 俺は|西島晴人《にしじまはると》。まぁ……これといって語るようなものは何もない。いたって普通の、どこにでもいるような童貞男子だ。
 そんで、こいつは幼馴染の|間宮《まみや》ひな。
 ひなとは家が隣同士で、生まれたときからずーっと一緒に育ってきた。
 何をするにも一緒。怒られるのさえも一緒だ。だいたいやらかすのは俺なんだけど、喧嘩両成敗ってことかな?
 俺が何か失敗したときにも、なぜだかいつも隣にはひながいてくれる。またですかとため息をつきながら、傷口に優しく絆創膏を貼ってくれるのだ。
「もっと優しい先生呼んで……」と泣き言をこぼす俺に、根気強く勉強を教えてくれたのもこいつだった。そうして、ひなの厳しい指導のおかげで、俺たちは同じ学校に進学できた……いや、させられた、といった方が正確かもしれないけど。多分、教師とか、向いてるんじゃないかと思う。良くも悪くも。
 十数年もの間、それこそずーっと一緒にいるわけだから、多分誰よりもひなのことはよくわかっている。
 まず、ひなはポジティブなふりしてるけど、実は人一倍寂しがりだ。落ち込んだらだいたい一人では抜け出せない。
 そんなときは……仕方ないから隣にいてやる。そしたらすぐ、にかっと歯を見せて笑い出してさ。ほんと、単純なやつなんだよな。
 少し癖っ毛らしい。ふわっとした黒髪の束を、いつも同じゴムで結んでる。あのヘアゴム、いつから使ってるんだっけな。どこかで見た覚えがあるんだけど。随分とお気に入りらしく、ガキっぽいなんて言ったら最後、「さいってー」とぷんすか怒り出す。
 ……意外と、ひなのファンは多いらしい。けど、いつも一緒にいるせいで、付き合ってると勘違いしたやつらから、俺は頻繁に恨みをぶつけられている。
 裏を返すと、俺がモテない原因の一端もこいつにある……多分ね。
 いつも二人で一緒にいるから、美女と野獣ならぬ、美女と猿とか言われることもあり……ぐぬぬぅ。しかもそういうとき、なぜかこいつは決まって嬉しそうなのだ。
 人が猿呼ばわりされているのを喜びやがって。許せん。
 ……ま、別にいいんだけどさ。
 そうやって、幼馴染のことをつらつら考えながらちんたらと歩いていたら、結局遅刻してしまった。

「あのさぁ……毎度毎度……私まで一緒に荷物運びの罰受けてさ。たまには俺が持つよー、とか気の利いたこと言えないの?」
「ごめん、お腹痛いからムリ」
「……そーですか」
「そーなんです」
 こうやって愚痴を言いながらも、なんだかんだ付き合ってくれるのが、俺の幼馴染のいいところなんだけど。
「あー、そういえば、今日からトラ爺のケーキ屋フェア始まるんだってー」
「ふーん」
「……あー! 今日も朝から疲れたなー! なんでかなー!? 誰のせいかなー!?」
「…………」
 うがーっと大きく口を開けたひなの語調が、じりじりと強くなっていく。どこ吹く風な態度もそろそろ限界か……。
「か、帰りさ、トラ爺のケーキ、食べに行きません?」
「えー、そんな言うなら仕方ないなー、付き合ってあげるかー」
 俺の幼馴染は表情がコロコロと切り替わる。急に不機嫌になったかと思えば、次の瞬間には太陽みたいな明るい笑顔になったり。ほんと、忙しいやつだよ。
 ……まぁ、こいつが楽しそうなら、それでいいんだけどね。

 実はひなは早くに親父さんを亡くしていて、おばさんはひなのために毎日遅くまで働いている。
 だから家に帰っても一人のことが多い。「ただいま」と呼びかけても、誰も返事をしてくれないの、きっと寂しいんじゃないかと思う。
「何してんだーひな、飯できてるぞー。早くこーい!」
「……うんっ」
 母親同士が昔から仲がいいので、うちの親とひなも親子みたいなものだ。昔からよく、俺の家で一緒に晩飯を食ったり、勉強したり、遊んだりしていた。
 それで少しでもこいつの寂しさが紛れればいいな……なんて、内心むず痒いけれど、そんなことを思ったりもする。
「はい、また晴人の負けー!」
「お前イカサマしたろ」
「私はそんなことしなくても強いのー」
「晴人、あんた、ひなにゲームでも勝てないのねー」
「う、うるせー」
 得意げに笑うひなに、母ちゃんまで加勢してくる。
「おバカの証のとんがり帽子、似合ってるじゃん。いつもよりかっこいーよ」
「くっ……その笑顔、腹立つぅ……っ!」
 ひなのやつめ、罰ゲームであれこれ仮装させられている間抜けな俺の姿が、よっぽど面白かったみたいだ。目を細め、腹を抱えて、大きな声で笑ってる。
 ……まぁ、こいつが楽しそうなら、俺は別にそれでいいんだけどさ。

♢六月

 アジサイが咲く季節になると、うちの学校でも文化祭のムードが高まってくる。
 俺とひなのクラスの出し物は、投票の結果、なんとメイド喫茶に決まった。後はホールとキッチンをそれぞれ誰がやるかだが……。
「接客してくれる人、あと一人いないー?」
「……お、このメイド服、お前がこの前、着てみたいって言ってたやつじゃん」
「はっ!? あ、あれはちがっ……」
「えーそーなのー!? ひな絶対似合うよ、一緒にやろーっ!」
「あ……う、うん……」
 可愛らしいメイド衣装に袖を通せるとなれば、一応は女の子であるひなも、内心は嬉しいんじゃないかと思っていた。
「ぐぬぬぬ……絶対許さん……」
 ……が、なぜか俺はひなから睨まれていた。あ、あれー?
 一緒のとき、たしかにこれ着てみたいって言ってたんだけどなぁ。聞き間違いだったのかな、うーん……。

 ……かくして文化祭当日。
 黒のワンピースと白のエプロンというクラシカルな組み合わせが織りなす、フリルたっぷりのメイド服。その優美な雰囲気とは対照的に、ひなさん自身はいつにも増してご不満そうだった。
「うおっ、あっつ!」
 ガンっと、コーヒーカップが勢いよく机に叩きつけられる。
 危ない危ない、今完全にこぼれそうだったぞ……。
「注文なんかしてないで、あんたも働きなさいよ!」
「いやー、ひな、よく似合ってるよ……馬子にも衣装とはこのこと……」
「はあっ!?」
【挿絵02:文化祭 メイド服】

 ただでさえご機嫌斜めなこいつに向かって、火に油どころか、直接の炎の中に飛び込むようなことを言ってしまった。
 素直に可愛いって伝えられないのは、ほんと俺の悪いクセだ。挽回しなければ……。
「……あ、スマイル注文で!」
「……なに? 私がスマイルじゃないってこと?」
 あ、マズったっぽい……。
「いーえとっても素敵な笑顔です」
 白いカチューシャをちょこんと頭に乗せたひなは、もはや笑顔の消え失せた鬼の形相だった。
「ひなーお客さーん」
「はーい、今いくー!」
 俺と話すときとは明らかにトーンの違う、弾んだ声で返事をしながら、ひながくるんと踵を返す。……こんにゃろ。
「ひなちゃん、すっごく似合ってるー。てっきりアイドルかと思ったよ!」
「そ、そんな……」
 お、あれはひなのことが好きな先輩だ。
 アイドルみたいなんて甘い言葉でおだてられちゃって、ひなのやつも表向きは満更でもなさそうな顔をしている。
「ほんとほんとー、ねぇ今席空いてる?」
「はい、どうぞー」
「おっ、じゃあ、ひなちゃんについてもらおっかなー」
 そう言って、先輩がひなの肩にぽんと手を置く。あーあ、やっちまったな。
「…………空いているお席へどうぞ」
 まるで汚い物でも払うようにその手を振りほどき、ひなは氷点下の声音でそう告げた。
 そして今度は、俺のことも鋭く睨みつけてくる。「あんたのせいよ」とそのしかめっ面で語りながら、肩をぱんぱんと払っていた。
 でも、これは俺のせいじゃない。ああいう輩に絡まれるのは、お前が俺以外誰にでも愛想よくする八方美人だからだよ。
 俺への当てつけみたいなとても熱くて、とても苦いコーヒーを口にしながら、そんなことを思う。
 ……まぁ、もう慣れてますから、別にいいんですけどね……。

♢七月

 今年もひなへの誕生日プレゼントを買うことにした。
 毎年のことながら、こればっかりはいつも悩む。
 近所の雑貨屋さんに入るなり、やけに綺麗な店員さんが近づいてきて、指輪とお人形を勧められた。
 前者は、女性なら皆がうっとりするような……という売り文句のついた、高価な指輪。たしかに悪くはない。ただ、幼馴染へのプレゼントとしては、ちょっと……。
 後者は、うぃんうぃんと振動する、なんとも奇妙な造形の人形。店員さんもイチオシで、愛用……? してるらしい。
 なんとなく意味深だけど、その理由はいまいちよくわからなかった。くにっと何かを挟み込めそうな突起に、秘密がありそうなんだけどな。
「うーん、……人形で、お願いします」
 ひなはきっとなんでも喜ぶだろうから、これでいいんだよ。そう自分に言い聞かせて、会計を済ませた。

 ……そうして一週間後、いつもの海が見える公園にひなを呼んだ。
 清楚な花柄のワンピースのせいか、なぜだか普段よりも幼馴染のことが可愛らしく見える。
「ん……ほら。これ、プレゼント……」
「え……あ……私の誕生日、覚えててくれたの……? 今年は黙ってたのに……」
 ひなのくりっとした目が大きく見開かれる。
「十年以上も、毎年何かくれアピールされ続けたら、さすがに忘れらんねーわ」
「……あり……がと……」
「それと……今日、おばさん夜いないだろ。うちで食えよ」
「うん……一緒に食べたい」
 頬を朱に染めて、瞳をじわりと潤ませた幼馴染の顔を見ていると、なんだかこちらまで調子が狂う。胸の奥が妙にむず痒い。
「っ…………」
「な、泣くなよ、毎年のことだろ!」
「だ、だってえ…………っ」
 白地のワンピースに銀色の雫をぽたぽたと落としながら、ひなはそっと手のひらサイズのプレゼントボックスを開ける。
 その中には、奇怪な声をあげてうぃんうぃんと震えるあのお人形が……。
「………………」
 しおらしい様子から一転して、「え……なに、これ……?」とでも言いたげな複雑な表情。
 し、失敗した? プレゼント、ちょっと微妙だった?
 たらたらと冷や汗が背中を流れ落ちる。
 でも、少し間を置いて、ひなは急に小さく噴き出した。
「……ふふふっ、変なのー、何これー?」
「お、お人形……です」
「ふふっ、ばーか。晴人のばーか」
 笑ってくれたから、とりあえず怒ってはいない……のかな?

 ……その日の夜は、当然一人反省会タイムとなった。
 ベッドの上で腕組みをして、ぐるぐると考える。うーん。やっぱり、指輪の方がよかったんかな。
 いやいや、俺とひな、別に恋人でもなんでもねーし……。なんだかんだ、あいつも笑って、喜んでたし……。
 女って、よくわからん。
 最近なんとなく、胸の奥の方がモヤモヤすんなぁ。
 ……まぁ、ひなが嬉しそうならそれでいいんだけど。

「あー、今日の水泳の授業やだー、休みてーっ。泳げないやつに泳がせるとか、ほんとひどいよな。……でも、ひなはいーよなー、なんでもできてさ」
 翌日の朝。一緒に登校しながら、プレゼントの感想でも聞こうかと思ったのに、今日のひなは普段とどこか様子が違っていた。
 おとなしいっていうか、視線の動きが妙だ。俺のことチラチラと目で追ってる感じがする。振り向くとすぐに逸らされちゃうんだけどさ。
「……ひな、大丈夫か? なんか顔赤いけど、熱あんの?」
「う、ううんっ、むしろ、すっきり……。あ……」
「すっきり? 寝すぎたってこと?」
「ううん……な、なんでもないっ、早く行こっ……!」
「…………変なやつ」

 水泳の授業中も、ひなのまとう雰囲気はいつもと違っている気がした。
「なんか……今日の間宮、やけにエロくね?」
「ああ、エロい」
 クラスメイトたちの噂する声が、ふと耳に入ってきて、思わず聞き返す。
「そーか?」
「なんで晴人は間宮とずっと一緒なのに、今日の間宮のエロさがわかんねーんだよ」
「逆になんでお前ら、そんなことわかるんだよ」
 濃紺のスクール水着姿でぐっと伸びをしているひなのこと、クラスのやつらは口々にエロいエロいと言っている。
「あれはきっと、昨日オナニーしたな。いつもとエロさが全然違う」
「俺も思った。好きな男想像しておもちゃ使ってオナニーしてた顔だ」
 うーん、好きな男か。そんなやつ、いるんかな。どっちかというと男嫌いな印象が強いし、ひなに限って、まさかなぁ……。
 ましてや、あいつがオナニーしてる姿なんて、ちょっと想像できないっていうか……。
 いやまぁ、ひなのやつも普通にしてたら可愛い……んだろうし……。その気になれば、彼氏くらいすぐに作れるんだろうけど……。
 気づいたら、プールサイドに立つひなへと視線が向いてしまっていた。惜しげもなく披露された白い肌、腋の下、ちょっと上気した頬……。
 あ……目が合った。気づかれた、ヤバい。
 ……ん……? 睨んでこないの?
 それどころか、はっとしたように視線を泳がせて、頬の赤色もちょっと濃くなって……もしかしてだけど、俺に見られて、照れてる……?
 どうしよ、それに恥ずかしそうにしてるこいつ、なんかすげえ可愛い……かも?
 ……い、いやいや……そんなわけないかぁ。
【挿絵03:プール授業 スク水】


♢九月

 グラウンドを照らす日差しは、まだ夏の名残が色濃くて容赦ない。ぶっちゃけ体育祭ってそんなに好きじゃないんだよな。
 そりゃーね。やる気を絞り出さなきゃいけないのはわかってるんだけど、そう思えば思うほど、無性に瞼が重くなってくる。
 たしか今やってるのは借り物競走で……走者はひなでぇ……。
 あれ、なんかすごい形相でこっちきた――
「……かっ、勘違いしないでよ! 他に誰もいないだけだからね!」
「は? 何のお題なんだよ?」
「あんたは知らなくていい!」
 船を漕いでいた俺の腕をつかんで、有無を言わさず引っ張り出しておいて、それなのにお題の内容は教えてくれない。ほんと横暴にもほどがある。
「ひな、はや~い! 頑張れー!」
「なんのお題なんだろーね?」
「あれは『好きな人』とかでしょ、間違いなく」
「あー、……そりゃどおりで速いわけだわ……」
 外野が口々に何か言ってるけど、そっちに耳を向けてる余裕なんて少しもない。
 ひなと手をつないで、ゴールテープに向かって駆けてゆく。こいつの手、温かくて、少し汗ばんでて……あと、なんか――
「イエーイ! いっちばーん!」
「ちょ、ひなっ、くっつくなって……!」
 ゴールした瞬間、ひなに勢いよく抱きつかれた。
 うおっ、体操服越しの身体、柔らかくて、なんか甘い匂いまでするっ……!
 最近の俺、ちょっと変だ。前はひなに抱きつかれたって全然何も感じなかったのに……なんで今日はこんなにドキドキしてんの……?

♢十月

 うん、やばい。マジでやばい。このままだと本当にやばい。どれくらいやばいかというと、ぶっちゃけ勃起してしまいそうなくらいやばい。
「どうせ授業寝てたんでしょ。どれなの? ほらみせてー」
 いつものように、俺の部屋でひなに勉強を見てもらっているだけ。ただそれだけなのに、下半身の自制が限界に達して、油断すると猛り狂いそうになってしまう。
 それくらい、今のひなの装いはあまりにも無防備で、煽情的。吐息もやけに耳に近くて、いやらしい。こんなの反則だ。
「ここ……ちゃんと見て……」
 見てって言いながら、柔らかい肩を押しつけてくるの、反則だろ……。わかってやってるんじゃないかと疑いたくなる。
 ちらと目を向けると、身体のラインにぴっちりと張りついた黒いワンピースは、胸元の守りをほとんど放棄していて、今にも中身が零れ出してしまいそう。
 こんな状態で、勉強なんてできるわけがない。視線がひなの手元でも教科書でもない、全く別のところへと誘われていく。
 やばい……やばいやばいやばいやばい……。
「……どう? わかる……?」
 あ……ダメだって、胸元がっつり丸見えで、ブラの隙間からひなの乳首……もう少しで……わかっちゃ――
「あ、そうだ!」
「は、はい、何か?」
 うん。今のはかなり危なかった。完全に理性が飛びかけてた。
「あ、明日さ、見たい映画あって……遊び行かない? 二人で……」
 改めてひなのことを見ると、なんとも不思議な感情がこみ上げてくる。
 ずっと隣にいたはずの幼馴染なのに、俺の知っている幼馴染とはどこか違って映る。
 まるで「あれ、こいつ……こんな可愛かったっけ……?」なんて、ラブコメじみた心の声が聞こえてくるようだった。
「それに、晴人、もうすぐ誕生日でしょ? 私もね……何かプレゼントあげたくて……」
 そして、一度気づいてしまったら、妄想は際限なく加速していく。
 ひなの薄ピンクの唇、つやつやしてて、柔らかそう。
「どう……かな?」
 服越しにも、うっすらとその形がわかるおっぱいは……もっと柔らかそう。
「……聞いてる?」
 きっとその先っぽは、ぷっくりと盛り上がっていて……ああ、ダメだ。想像できない。
 ましてその先は、ひなの身体の一番大事なところは、未知の領域。全くわかんねぇ……。
「ねぇー、聞いてるっ!?」
 ほとんど間一髪で、ひなの声に引き戻される。
「あ、あぁ……行こうぜ、映画……」
「やった! じゃあ明日ね!」
 あー、やばい。ひな、やっぱ可愛いよな……。
 大きな瞳とか。屈託のない笑顔とか。……膨らんだ胸とか。そういうの全部、今夜はやけに鮮明に見える。
 ダメなのに、幼馴染のこと、好きになってしまう……。
 その日の夜、俺はついに越えてはいけない一線を越えてしまった。今までずっと我慢していたのに、ついにやってしまった。
 あぁ、気持ちいい……。ひな……好きだ……。キスしたい……おっぱい、触りたい……。
 暗い自室で一人、ひなの写真を食い入るように見つめながら、汚い欲望をぶつける。
 罪悪感と快感がぐちゃぐちゃに入り混じった液体をたくさん出して、それでも全然、あいつへの気持ちは収まらなかった。
 むしろ、どんどん強くなっていく。

「あ、おはよ……今日、けっこう冷えるねー」
 えっ、待って待って……可愛すぎ、やばいって……。
 翌日、しっかりとめかし込んだこいつを目の当たりにして、そんな心の声が抑えられなかった。
「初めて着る服なんだけど……に、似合ってる……?」
「あ……い、いいんじゃね……?」
 そっけない返事をしてしまったけど、似合ってると思ったのは本当だ。
 首元をゆったりと包むホワイトのオフタートルネックに、いつもより短いベルト付きのスカート。洒落たロングブーツ。
 斜めがけにしたショルダーバッグのストラップが、昨日目に焼きつけた谷間にぐいっと食い込んでて……パイスラ、めちゃくちゃエロい。
 総じて、とても目のやり場に困る。
【挿絵04:デート 私服】

「じゃあ、行こっか!」
 ダメだ……ひなのこと好きになったら、意識しすぎてもう何にも考えられない……。
 ただの幼馴染同士で遊びに出かけてるだけなのに、頭の中が好意で漂白されて、上の空になってしまう。
 一緒に映画を見て、お昼を食べて、買い物をして。ひなも心なしかテンション高めで、楽しそうで。
 キモいのはわかってるけどさ。もしかして、こいつも俺のこと好きなんじゃって……そんな気さえしてくる。
 ……ただ、俺の舞い上がった気持ちとは裏腹に、ひなの口数はだんだんと少なくなって、表情も険しくなっていく。
「お、おい、なんで不機嫌なんだよ……?」
「だって晴人……全然、話聞いてくれないじゃん……私、せっかく、頑張って……」
 震える声はよく聞き取れない。でも、怒ってる、いや、悲しんでる……? ってのは痛いほど伝わってきて……。
「てゆーか、ズボンのチャック開いてることくらい、早く気づけー!」
「ブボハァっっ!?」
 突然、ひなの強烈な拳が俺の頬に直撃した。
「あーもう、晴人のバカっ! 帰るっ!」
「え……あ、晩飯はうちで食う?」
「食べるっ!」
 足早に歩き出したひなの背中を眺めながら、俺は黙ってその後ろについていく。
 ……あぁ、やっぱそうだよなー。ほんとに好きだったら、殴ったりしないよな。普通、好きな相手には優しくするはずだもんな。
 やっぱりひなは、俺のことなんか別に……。
 なら、一方的に俺だけあいつのこと好きになって、ギクシャクしてたらダメだよな……。また今日みたいに悲しませたら、ダメだよな……。
 うん、ひなとは、ただの幼馴染でいよう。そうだよな。それが一番いい。
 よし! 俺、今日からひなでシコらない!
 ……そうやって俺は、自分の気持ちを隠して「幼馴染」であり続けることを選んだ。
 ひなさえ笑ってくれるなら、それでいいんだ。他には何もいらない。自分の気持ちは……いったん、忘れることにする。
 うちで一緒に飯食って、母ちゃんと三人でゲームやって……たいてい、俺が負けて。笑い合いながら、何度でも遊ぼう。
 俺、何があっても、寂しがりなお前の幼馴染でい続けるからさ。
 ……んで、そのうちいつか、ひなも俺のことを好きになってくれたなら――
 そのときは、ちゃんと告白しよう。
 それが多分、正解だ。うん、きっとそうだ。
 あぁ……でも、本当はわかってる。
 俺はただ、怖いだけだ。
 自分だけがひなを好きになって、そのせいで、ひなとの関係が取り返しのつかないほど変わってしまうことが……。
 ……だから。
 そのうち……とか。
 たぶん……とか。
 いつかきっと……とか。
 そんな言葉に甘えて、納得したふりして、ひなと、いや自分自身と向き合うことから、俺は逃げ出したんだ。

♢一月

 年が明けてすぐのことだった。俺たちのクラスに転校生がやってきた。父親の仕事の都合らしい。
 名前は|東堂礼司《とうどうれいじ》。
 イケメンで、コミュ力も背も高い、絵に描いたようなハイスペ男子だ。担任のマリ先生なんか、教壇の上で完全に女の顔になってるし……。
「転校生の東堂君、モテそうだね~」
「ふん、リア充に興味はない」
「ん? 晴人もリア充じゃん」
「いやどこが」
「可愛い幼馴染がいる」
 ひそひそと冗談交じりに転校生の品評をしてみるが、まぁ要するに、俺とは正反対のいけ好かないやつってことだ。
 初対面の印象は、だいたいそんな感じだったのだが――
「なー晴人、パンチラスポット発見した! 行こーぜ!」
 ……なーんだ。ただのスケベないいやつじゃないか。
 礼司が通学のときちょうど俺とひなの家の前を通るということもあって、自然と一緒に登下校するようになった。ほどなくして、三人でも遊ぶように。
 ひなへの想いが出てしまわないようにと、ずっと一人で気を張っていたから、正直、礼司がいてくれてけっこう助かった。

「おはよー」
「ひなごめーん、あの子今日もまだ寝てるかもー」
「まったく……おーいはるとー、起きろー!」
「……どうする? 先に行く?」
「んーん、起こしてくるから、礼司、先に行ってていーよ」
「そっか、じゃあ俺も待つよ」
 朝、玄関口の方から、ひなと礼司の話す声が聞こえてくる。
 ああ、いつもと変わらぬ愛すべき日常。こんないいやつらに囲まれて、俺ってばほんと恵まれてるなぁ……。

♢二月

 私――間宮ひなにとって、晴人の部屋で勉強するのは日常の一部みたいなもの。
 受験のときだって、勉強の面倒を見てあげた。だって、絶対に一緒の学校、行きたかったんだもん。
 そんな二人だけの勉強会に、最近新入りが加わった。もちろん、礼司のことだ。
「もー、晴人、そこまた間違ってる!」
「ひなの教え方が悪いんだろ」
「はぁっ!? 私はあんたの家庭教師じゃないんだけど!」
「お前ら、ほんと仲良いよなー」
「「仲良くないっ!」」
 こんなときだけ、息がぴったりと揃う。礼司も苦笑いで肩をすくめて、そういうとこだぞって言ってる。
「はぁ……礼司が変なこと言うから集中力切れちゃった。飲み物取ってくる」
「お、ひな、サンキュー」
「…………」

「はぁ……」
 ……三人分のコップにジュースを注いで、お盆に載せたはいいけど……なんとなく部屋に戻る足が重い。
「仲良い、かぁ……」
 廊下を歩きながら、さっきの会話が頭をよぎる。
 正直、最近晴人とはあまりうまくいっていない。
 ううん、仲が悪いわけじゃないの。いや、さっきみたいな喧嘩は日常茶飯事だけどさ。
 もっとずっと、根本的な問題。
 心の距離が、遠い。晴人が何を考えてるのか、全然わかんない。
 昔はもっと、わかりあえてた気がするのに……。
「……ん、礼司、どしたん?」
「あー、えっと、晴人さ……ひなのこと――」
 二人の男同士の会話の中に自分の名前が聞こえて、部屋の前で反射的にぴたっと立ち止まる。
「ひなのこと……好きなんだろ?」
 ドクンと、心臓が一回、大きく脈打った。
 瞬時に、顔がかあっと熱くなる。お盆を持つ手がじんわり汗ばむ。
「はぁっ? と、突然、何言ってんだよ」
「はっきりさせたいんだよ。もしそうなら、俺は邪魔だろ?」
 はっきりさせたい。私も同じだ。晴人の本音、聞きたい。
 息を殺す。じっと耳を澄ます。ああもう、心臓の音がうるさい。盗み聞きしてるの、バレちゃいそうなほどに。
「だってお前、どうみても、ひなのこと好きなようにしか見えねーんだって」
「……な、なんでだよ……そんなことねーだろ……」
「今ひないないんだし、正直に言えよなー? 好きなんだろー?」
 答えが待ち遠しい。時間がひどくゆっくりと流れる。期待と不安でどうにかなっちゃいそう。
 お願い、好きって言って……そう願う。そう祈る。そう念じる。

「た……ただの腐れ縁だよ。どーでもいーっての」
 え……?
 腐れ縁……? どうでもいい……?
「ほんとかー?」
「お、俺はもっと守ってあげたくなるような……あー、そう、隣のクラスのレナちゃんとかさ、小柄で、なんか最近いいなーとか、思ったり…………」
 レナちゃん、という隣のクラスの女の子の名前が、心臓に突き立てられる。
 ……た、たしかに、私はそんなおしとやかな女の子じゃないかもしれないよ……?
 でもさ、私なりにずっと、晴人に振り向いてほしくて、頑張ってきたんだよ?
 少しくらい、見てくれたって……認めてくれたって……。いい、じゃん…………。

「だから、あんなガサツで暴力的なやつ、好きになるわけねーじゃん。は……ははっ」
【挿絵05:好きになるわけねーじゃん】

 …………っっ。
 どうして、どうしてどうして。
 どうして…………そんなこと、言うの……?
 言葉の意味はわかる。けど、脳が理解を拒む。
 受け入れたくない。受け入れられない。
 これ、夢? 悪い夢だよね……?
 あれ……?
 私、泣いてるの……?
 なんで……?
 全身から、すぅっと力が抜ける。
 頬を熱いものが伝って、視界が滲んで何も見えない。
 世界がぼやけて、輪郭が消えていって、やがて真っ暗になる。
「そっかー……よーし、それじゃ今度レナちゃんと遊び行こうぜ! 晴人の恋を実らせよう!」
「お、おう……サンキュー……」
 呆然と廊下に立ち尽くしたまま、私は動けなかった。
 ただ感情の雫らしきものだけが、後から後から溢れてきて、止まらない。
 ――ガサツで暴力的なやつ――
 ――好きになるわけない――
 何も考えられない頭の中で、耳にこびりついた晴人の声だけが、繰り返し繰り返し再生される。
 あ……。
 そっか……。
 私、失恋したんだ……。
 その認めたくない現実だけが、辛うじて理解できた。

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