神獣姫のしつけ方

第一話：信仰を持つ女神


　地の神獣姫テラ。
　彼女を最初のターゲットにしたのは理由がある。
「そういえば地の神獣姫といったら――テラか」
　ぽそりと呟いたイヴァンの言葉に真っ先に食いついたのは純白の神獣姫だ。
「なんだ主。テラの名を知っているのか？」
　怪訝そうな顔をするルナに、「あ、ああ」と頷く。
「ということは――」
　彼女は嫌な顔をしている。その予想は当たりだろう。
　イヴァンは頷いた。
「ああ。豊饒の地女神テラは、いまでも信仰されているからな」
「信仰……？　あのテラに信仰ですって？　主神の座を一度も得られなかったテラのくせに？」
　なにやらソルまでぎこちない笑顔を見せた。
「しかたないわね、ルナ……。こうなったら、やることはわかっているわね？」
「ああ、わかっている」
　ふたりは揃って不穏な笑みを浮かべた。
　なにやら私怨が混ざっているようにすら見える。
「拉致るわよ」「拉致るのだ」
　こうして、最初に地の女神を連れてくることになったわけだが。
　
　＊

「ふぐぐっ。ふんんん――!?」
　本日、居間の床にはジタバタと暴れる、見知らぬ女性がひとり。
　鮮やかな刺繍で飾られた民族衣装のようなワンピースを着ていて、全身を縄でぐるぐるに巻かれており、口には猿ぐつわが噛まされている。
　腰まで伸びた三つ編みハーフアップの黒髪はこの状況で少しだけ乱れていて、淑やかそうな印象のきれいな目鼻立ちに、どこか背徳的な色気をかぐわせる。ぱっちりとした垂れ目のエメラルドグリーン色の瞳が恨めしそうに潤んでいて、髪からぴょこんと伸びているのは、黒色のツンと尖った獣耳。
　身をよじる度に縄からはみ出した、衣服越しのボリューム満点のスイカサイズもある爆乳が、たゆんったゆんっと揺れている。
（おお……）
　うかつにも一瞬、彼女のその暴力的な膨らみに目が釘付けになってしまうが、慌てて首を横に振る。
「なんなんだ、この人は……」
　ふたりが数日家を空けているなあと思ったら、このザマだ。
　女性の左右には、銀と金の神獣姫がそれぞれ誇らしげに立っている。
「ほら、ご主人さま。地の神獣姫のテラを連れてきたわよ」
　ソルが、えへんと嬉しそうに尻尾を立てている。
「ふう。一般人に紛れ込んでいたから見分けるのに苦労したがな」
　ルナもまた清々しげな笑顔で尾を振った。
　イヴァンは嫌な予感がして、ごくりと息を呑む。
「まさか……ふたりとも、この状態でここまで運んできたのか……？」
「ええ！」「うむ！」と、二人が頷いた。
「白昼堂々となにをやってるんだ、おまえたちは。事件だとでも思われて憲兵でも来かねないぞ……!?　いや、事件で合っているか……？」
　頭を抱えたくなるが、それよりも恐ろしいのが、テラの首にはなにもない。信仰もあるはずだ。ということは、つまり――。
「……もしかしてと思うが、神力はバッチリある状態かな……？」
　しゃがみ込み、彼女たちが巻き付けたらしき縄を慎重につつく。
「心配しなくても、それはただの縄よ」
「うむ。神力なら我々がきちんと枯渇するまで吐き出させてやってきたからな？」
「って、枯渇させてどうするんだよ……!?」
　慌ててふたりに言ったものの、彼女たちは肩をすくめた。
「だって、神力を持たせてたらご主人さまが危険でしょう？」
「そうなのだ。二人がかりだからなんとか御せたがな。残念ながら辺境の神殿をひとつ吹き飛ばしてしまった。だが、やむない犠牲なのだ」
「……吹き飛ばした!?」
　ギョッとするイヴァン。
　どうやら自分の知らないところで、とうの昔に事件を起こされたあとだったらしい。
「へんぴで小さな神殿だったから、少しくらいは平気でしょう？　安心なさい、ご主人さまが嫌がるだろうなと思って人間は殺してないわよ。ただ神殿と祭壇と｜御神体《トーテム》があると、神力を吐き出させても信仰を受けて戻っちゃうでしょ？　だから信仰が成立しないように、一通り破壊してきたってだけだから」
「そういうことなのだ。これで時間稼ぎくらいはできるはずだぞ。ただし修復されるとよくない。さっさと洗脳でもなんでもして、支配下に置いてしまうといい」
「……洗脳って、どうやってだ!?」
　ほんの少しも悪びれない彼女たちに、イヴァンは肩を落とすしかない。
　これでは、完全に悪者ではないか。
（って――なにをいまさら。俺は、最初から悪者のようなものか……）
　イヴァンはため息のあと、身をかがめ、ひとまず猿ぐつわとして噛まされているタオルを解いた。
　やっと口を解放された地の神獣姫が大きく息をついている。
「はぁ、はぁ――。……そなたが、この二柱の神獣姫を遣わせた黒幕ということですか」
　キッと鋭く睨まれたから、ギョッとした。
「おい、待て。俺の指示でこうなったことになっていないか……!?」
「え、違うの？」「違うのか？」
　ふたりの神獣姫にキョトンとした目を向けられる。
「いやいや――」
　首を横に振りかけるものの、自分のために動いてくれたことは事実だ。
　しばらく思い悩んでしまったが、やがて、しかたなく頷いた。
「そ……そうだ。この俺が遣わせた……！」
　こうやって言い切ってしまうと、本当に悪の親玉にでもなった気分である。
（いや。実存しているなら、もっと穏便に……とか、色々と言いたいことはあるがな……？　話し合いだってできただろうに……）
　この状況では、どう考えても好感度は最悪だ。だが、なってしまったものはしかたがないだろう。
「しかたない……まずは噛み殺されないために服従の首輪を付けるとするか……」
　イヴァンはスゴスゴと書斎へ行って古文書を取ってくると、テラに対して詠唱を唱え始めた。
「そ、それは……！」
　テラがギョッとした表情を浮かべる。
「まったく……なんだというのですか……！　唐突に二柱も古の神獣姫が来たかと思ったら神殿は吹き飛ばされ、見知らぬ男のもとへ連れて行かれ……！　挙げ句の果てにこの仕打ちは、あんまりではないですか……!?」
　まったくもって、正論だよ。
　そう思いながら、最後まで詠唱を唱えきった。
「う……ぐ、ううっ――」
　苦しそうに息をつくテラの首に、がっちりと金属質な首輪が取り付けられる。
　見ていると、抵抗をしなければ首輪装着時の苦痛も少ない様子だ。
「……ルナ、ソル。恨みます」
　悔しげに歯を食いしばり、静かにささやく地の神獣姫。
　それに対し、ルナはため息をつき、ソルは顔を背けた。
　とはいえ、これで従属契約はつつがなく終えた。
「つまり、今回は絶対服従を誓わせるまで制限時間があるというわけか。信仰設備が修復されるまで、どれくらい掛かるかは予想ができないが――」
　イヴァンが黒髪の神獣姫をちらりと見ると、彼女はすっと目を逸らした。
「…………」
　口を閉ざして黙り込んでいる。どうやら教える気はない様子らしい。
「主よ。これを使え」
　ルナが手渡してきたのは、なんの変哲も無い銅貨だった。ただし紐が付いている。
「……これは？」
「催眠道具だ！　人間は紐付きの貨幣を目の前で揺らして洗脳すると聞いたぞ。たとえ制限時間があったとしても、これでテラはイチコロだろう？」
　えへん！　と自信満々に胸を張るルナだが、イヴァンは生暖かに微笑んだ。
「掛かると思うのか……？　こんなものに」
「えっ……か、掛からないの？」
　動揺するソル。おまえもなのか。と言いたくなった。
「まあ――しかし、最初から決めつけるのもよくないよな。試してみるか……」
　イヴァンはテラの前にしゃがみ込むと、コインをゆらゆらと揺らしてみる。
　幸いにも彼女は縛られたままになっているため、身動きを取ることはできない。
　そんな彼女に囁きかけた。
「おまえはだんだん、眠くなる、眠くなる……」
　しばらく揺らしてみて、はたと聞く。
「……眠くなってきたか？」
「……いいえ？」
　にこっと笑うテラ。表情が若干、怒った感じに引きつっている。
「だよなあ……」
　イヴァンもまた微笑して立ち上がった。
　無駄なことをしてしまった……と思いつつ、貨幣をテーブルに置く。
「とりあえず、ルナ、ソル。こいつの縄をほどいてやりなさい」
　そう指示をして、ふたりの眷属に縄を解かせた。
　やっと自由になって立ち上がるテラから、挑むような目が向けられる。
「……それで、私の主さま。名はなんとおっしゃるのか聞いておきましょう」
　目つきのわりには、口調は柔らかく丁寧だ。
　気を抜いてはいけない相手だと感じさせられた。彼女の目の輝きの奥に、意志の固さを感じ取れたからだ。
「イヴァン・マツェクだ」
　静かに答えると、「承知しました――イヴァンさま」と呟いて彼女は頷く。
「この借りは、必ず――お返ししてみせましょう」
　彼女は凶暴性を秘めた眼差しのまま、柔らかな笑みを見せる。
　イヴァンはごくりと息を呑み、緊張を隠すように微笑した。
「……ああ、楽しみにしていよう」
　こうして、地の神獣姫テラも含めた生活が始まったのだ。