「聞きたいことがある、なぜ私を慰安係に指名した?」
職場での威厳そのままに、腕組みをして問いかける瀬野美幸。
「九課」構成員の性欲を解消する特殊任務「慰安係」。
夫がいる身にもかかわらず、尊敬されていた元部下・久保木に指名され、
経験したことのない巧みな性戯で蕩かされ、曝け出された女の顔。
冷徹さと知性に満ちた才女の堅牢な壁が、今ついに……
超人気「絶対NTR」連作短編シリーズ、ファン待望の第三弾!
プロローグ 瀬野美幸
第一話 性的技能講習
第二話 慰安任務
最終話 繁殖交尾
エピローグ 無償の愛
本編の一部を立読み
プロローグ 瀬野美幸
日本がスパイ大国と評されるようになって長い時が経った。各国の諜報員が大手を振って我が国で活動をしているというのだ。
しかしそれを呆けて見届けているだけの楽観主義者だけではない。水際対策として結成された組織が存在する。
しかしそれは表に出ることはなかった。
テレビやインターネットのニュースになることはなく、ただひたすらに影から日本を支える者たち。
けして称えられることはない。時にはテロを未然に防ぎ、殉職したとしても事故死として処理される。
彼らを動かすことができるのは官房長官からの勅命のみ。
いつしか彼らは『九課』と呼ばれるようになった。
警察や自衛隊の上層部でもその存在を知る者は一握りである。
何名からなる組織なのか。どういった活動を行っているのか。それらは全て厚いベールに包まれている。
噂では幼少の頃から特殊な訓練を受け、さながら現代の忍びのような英才教育の結晶であるとも言われていた。
そうやって日本の裏側で暗躍する彼らを統括、管理する部門も存在する。最前線での諜報活動は行わないが、諜報員の査定や評価、そしてバックアップを専門とした職務を遂行する。
瀬野美幸はそんなセクターで活躍している。
歳は三十。
九課としては異例の早さで出世して管理職に身を置いている才女である。
冷徹と知性を凝縮したような雰囲気を纏っている女性だった。セミロングの黒髪に眼鏡を掛けた中肉中背の出で立ち。常にスーツを着用している。どこか近寄りがたい威厳と緊張感を放ちつつも、同僚からの信頼は厚い。
そんな彼女を慕う後輩は少なくない。
久保木潤もその一人だ。
三年前から瀬野の部下として働き、そして今は二十八歳となった。真面目で丁寧な働きぶりと人柄は瀬野も評価している。
そんな久保木に転機が訪れた。
事務員ではなく諜報員としての適性を九課から見いだされたのだ。
久保木の外見は非常に整っていた。清涼感と甘さを兼ね揃えた顔立ち。程良く引き締まった体躯に長身。それらはアイドルやモデル、俳優として活躍していてもなんら驚きはない。
そして何より柔らかい物腰。細かい気配りができる性格。
彼は尋常ではないほどに女性から人気があった。
街を歩いているだけで見知らぬ女性から声を掛けられ、連絡先を渡されることも珍しくはない。
そして彼自身は性欲が希薄で、女性からの誘惑に浮ついたりもしない。
久保木にハニートラップを仕掛ける諜報員としての素質を九課は見出したのだ。
それとは別に九課には慰安係という制度がある。
九課に在籍する男性構成員をハニートラップから守るための役割。重要な職務についている男性構成員は、迂闊に女を抱くことができない。
性欲を発散させる時が最も情報漏洩の危険性が高い瞬間である。
それを未然に防ぐために、課内に於いて指名制でのフリーセックスが認められる場合がある。
それは女性構成員にとっても同様である。つまり九課の男性を男娼として、セックスの相手として指名することもある。久保木はそういった要員としても重宝されるだろうと九課は判断した。
「僕にそんな適性があるとは思えませんが」
とある雑居ジムでの一室。
久保木は瀬野と面談していた。
「私は九課の判断は正しいと思う」
瀬尾は普段通りの威風を備えた表情と声色でそう言う。
久保木は眉をひそめた。
「何故そう思うのですか?」
瀬尾は眼鏡のブリッジを中指で軽く持ち上げる。ガラスも相まって眼が光ったように見えた。
「君には女性をたぶらかせる天性の才能がある。それは久保木君も自覚できているはずだ」
その程度の客観的視点は持っていてもらわないと困る、とでも言いたげな口調だった。
「確かにそういった一面は持っています。しかし僕自身は女性にあまり興味がないのですが」
「何だ。ゲイだったのか。なら無理強いはしないが」
「いえ。そういうわけでもありません。昔から恋愛感情や性的好奇心に乏しいだけです」
「そういった性質は尚更都合が良い。惑わされることがないからな。色恋沙汰はミイラ取りがミイラになることも多い」
「はぁ……」
「乗り気ではなさそうだな」
「正直なところ自信がありません。それに……」
「それに?」
「自分は瀬野さんの下で働きたいです。上司として尊敬しています。いつか瀬野さんのように九課の前線で働く皆さんの背中を守ることにやり甲斐を感じています」
「私はやり甲斐などという曖昧な感情で仕事をしたことはない。適性があるかどうかだ」
「……僕は貴女の下での適性がないのでしょうか」
「いいや。君は優秀な部下だ。ただもっと輝ける職場が見つかったというだけだ」
「少し考えさせてください」
「ああ。そうしてくれたまえ」
そして面談が終わると瀬野は帰宅する。
家には専業主夫である夫が待っていた。
「おかえり」
彼の声と笑顔は穏やかだ。瀬野と同じく眼鏡を掛けている。しかしその風貌は彼女が鋭く放つ知性や威厳とは違い、ただただ温和な雰囲気を醸し出している。
誰が彼を元スパイだと思うだろうか。
瀬野夫妻は職場恋愛からの結婚だった。そして結婚を機に夫は仕事を辞めた。九課の人間が結婚する相手の多くは同僚である。一般人を相手に自身の立場を擬態して結婚する人間もいる。
「ただいま」
スーツの上着を脱ぐとハンガーに掛け、ダイニングテーブルに顔を向ける。ビーフシチューが湯気を立てていた。ワインの香りが微かに漂っている。九課時代からそうだったように、夫の丁寧で手の込んだ仕事ぶりが窺える料理は瀬野を常に感心させる。
「美味しそうだ」
傍目には無機質にも聞こえる声。
しかし夫はその機微の違いをしっかりと判別できる。
「機嫌が良さそうだね」
自身の部下が評価されたことが瀬野は嬉しかった。
「ああ。仕事で良いことがあった」
「へぇ」
「機密事項ゆえに部外者には口外できないが」
夫は苦笑いを浮かべる。
「わかってるよ。僕はもう一般人だ」
それ以上は夫婦の間で仕事の話はしない。
瀬野もオンとオフは厳密に切り替える。
今はただ、夫が用意してくれた夕餉を甘受することに集中する。常に威厳という鎧を纏った瀬野だが、夫と二人の時だけはその雰囲気が和らぐ。だから彼女は彼の求愛を受け入れた。自分には帰るべき宿り木が必要だと判断したから。
翌日、再び久保木と面談を行った。
「一晩考えてみてどうだ?」
「多少不安はありますが、前向きに検討したいと思います」
「そうか」
「ただ、一つだけ条件があります」
「なんだ?」
「僕が色恋沙汰を操った諜報員になるためには、当然ながらセックスの技術も必要になるかと思います」
真面目な久保木らしく、その口調は堅苦しい。
それは瀬野も同様だった。
「もちろんだ」
「しかし自分にその能力があるか疑わしいのです」
「心配はいらない。その手のエキスパートが講習してくれる」
色恋を駆使する男性諜報員を育成する専門の女性九課員が存在することは周知の事実だ。
瀬野がそう言うと、久保木が微かな躊躇を見せる。そんな彼に瀬野が問い詰めた。
「どうした?」
久保木が小さく深呼吸をする。
そして覚悟を決めたように言った。
「その講習の相手を、瀬野さんにお願いできませんでしょうか」
瀬野はその提案に対して眉をひそめた。
しかし取り乱したりなどはしない。
冷静沈着に眼鏡のサイドフレームを指で押し上げた。
「申しわけないが、私は性行為の技能に長けていない。よって君の講習相手としては相応しくないだろう」
久保木が両手を握りしめる。その表情からは珍しく彼の感情が漏れだしている。
「僕が心から信用できるのは瀬野さんだけです」
その顔つきには一切の邪念はなく、ただ純粋な敬意と信頼だけが浮かんでいる。
瀬野は小さくため息をついた。
「しかしだな……」
久保木がそんな彼女の声を遮る。
「僕を相手に肌を接触させることに生理的な嫌悪感がありますか? ならば諦めます。瀬野さんに不快な思いはさせたくありません」
彼の口調や表情は真面目そのものだ。
「いやそういうわけではない」
対する瀬野の対応も事務的である。
瀬野は続ける。
「私は君に対して男性としてなんら特別な感情は抱いていない。正でも負でもない。それは君だけではなく、世の中の男性全てにだ。もちろん清潔感がない、時間にルーズな人間は不愉快だがそれは異性としてではなく人間としての評価になる」
久保木は押し黙る。
その様子から瀬野は部下が何かしらを危惧していることを察した。
「性技能の講習を受けるに当たって何か不安でもあるのか?」
彼はその問いに対して一瞬の躊躇を覚えたが、瀬野に対する尊敬の念がそれを上回った。
「……お恥ずかしながら、僕は女性経験がないのです」
「別に恥じることではないと思うが」
「そんな人間が色恋を使っての諜報を仕掛けられると思うでしょうか?」
「君にはその天性の素質があるというのが九課の評価だ。何も女性の感情を操作するのは性交渉の腕前だけに由来しない」
「それでもやはりセックスの技量は大きな武器となる。だから習得する必要がある。ですよね?」
「その通りだ」
「しかしやはり自分にはその点に於いて不安があります。その理由は自分にとって未知なものだからです」
「それで?」
「その最初の一歩は、僕からの信頼と尊敬を兼ね備える瀬野さんにお願いできれば僕も安心して踏み出せます。それが最も効率の良い成長にも繋がると考えます」
瀬野は小さく息を吐くと、背もたれに体重を軽く預けた。
「一理ある……のかどうかは私には判別できんな。ともかく君はハニートラップ及び慰安係要員になるために、私に慰安係になれと言うわけだ」
「慰安などではありません。あくまで講習です」
久保木は両手を後ろで組んで直立し、胸を張って実直な声色を続けて発した。
「心に誓って、雑念を持って瀬野さんと性的に接触したいなどと具申しているわけではありません」
それは事実だった。
そして瀬野も理解している。
「君のことはよく知っているつもりだ。そんなに強調せずともそんな可能性は疑ってはいない」
「ではご検討のほど、よろしくお願いできますでしょうか」
「良いだろう。上とも話し合ってみる」
久保木が折り目正しく一礼すると部屋を退室していった。
一人残された瀬野が変わらぬ仏頂面で独り言ちる。
「私にセックスを教えろ、か。笑えない冗談だな」
彼女が笑った姿は誰も見たことがない。
その晩、瀬野は珍しく夫と寝床を共にした。とはいえ性交渉はしない。お互いに性に関しては淡泊なので、夫婦の営みは週に一度あるかないかだった。ただ寄り添って一緒に眠るだけ。
瀬野がそうする時は仕事に何らかの支障が出た時だと夫は知っている。しかし何を尋ねても彼女が答えられないことを、以前九課で働いていた彼は痛いほどに理解している。
だから一言だけ声を掛けた。
「君は優秀だ。どんな障害も片づけられる」
そう言って布団の下で、彼女の手を握る。
瀬野は何も言わず目を閉じた。
常に整然としている頭の中で、微かにでも糸がもつれそうな予感がしたら夫と同衾することにしている。
そうすると不思議と思考がクリアになる。
瀬野は結婚してからも恋慕の念というものがイマイチ理解できていなかった。それでも夫に対する確かな情念は年々と濃くなりつつある。それはけして甘いものではないのかもしれないが、信頼に足るパートナーを得ることで自身の強度が高まっていることを心から感じていた。
瀬野が求めるものは信頼。
いや、九課で働く者全員がそうなのかもしれない。
裏切りや謀略が渦巻く裏の世界に身を置いていると、いつしか自分さえ信じられなくなって心を壊していく例を幾度も目にしてきた。
自分がそうならないためにも、やはり伴侶は必要だったのだろう。
そして久保木も、それに似たような感情を自分に求めているのかもしれないと瀬尾は考える。
揺るぎない確固たる何かが欲しい。
その気持ちはわからなくもない。
そして数日が経った。
再び雑居ビルで瀬尾と久保木が面談する。
長机を挟んでパイプ椅子に腰を掛ける瀬野と、その前で直立不動の久保木。
瀬野は眼鏡のブリッジを中指で押し上げると手にした書類を読み上げた。
「久保木君の要請は通った。君が諜報員となるために、まずは私が性的技能講習を受け持つこととなる」
久保木は下唇を噛んで、真摯な表情で返事をする。
「はい」
「要するに、私でまずは不慣れなセックスの経験を積んでくれというわけだ」
「恐縮です」
どちらの態度と口調は堅苦しい。
「そう畏まらなくて良い。まずは初回講習だが、希望する日時はあるか」
「いつでも」
「それでは今日の午前三時は?」
「問題ありません」
「九課が慰安任務で使用しているホテルは知っているか?」
「はい」
「そこに集合だ。遅れるなよ」
そして二人の任務が始まる。