「言葉責めのカリスマ」として、その名を知らしめる南智子。今でこそM男性を中心に絶大な人気を誇っているが、青春時代は自分の欲求をさらけ出す場を見つけられない悩み多き少女だった。そんな彼女は本当の快楽をいかにして得ることができたのか?今回は特別に2ヶ月に渡って南智子の欲望の本質を剥き出しにする。
私の言葉は自分が興奮するというよりも、相手にエッチな言葉を言わせるための誘い水にすぎなくて、本当に感じさせてくれる材料は相手が発する言葉なんです。相手の男性にすごく比重が大きいので、「こんなことしている私って…」という興奮はそれほどないんですね。相手の人が絶対的に必要なので、ナルシズムだけでは満足できないみたいです。
言葉って結局コミュニケーションのものですけれど、日本の美学は内に秘めるという方向ですよね。特に昔から男性って「自分の思ったことを素直に言えない」じゃないですけど、気持ちを言葉で伝えない部分ってあるじゃないですか。そういう意味でコミュニケーションのツールとして、言葉というものがすごく恥ずかしいものになると思うんです。男性だから、似合わないからエロティックっていう部分がとても強く感じられるんです。だから余計に興奮するんでしょうね。
逆に、女性は変な言い方をすれば、そういうことがどちらかというと推奨されていて、その中でなるべくエロティックな女であれ、いい女であれ、と言いますか…私のコンプレックスの部分はそこですけれど、M女のほうがもちろん多くの男の人に好まれるでしょうし、人気があるわけですし、最もいい女っていうのは、一般的にはやはり受け身の女性ですよね。でも、これを逆に考えると男性のMっていうのが一番タブー化されているように感じられるんです。
淫語というのも相手をトランス状態にするための一つの方法だと思います。これは私が見たいと思っている状態に男性を導きやすいから自然に覚えたんだと思います。こういうテクニックに関して普段は無意識なんですけど、改めて考えるといくつかありますね。
例えば、人間って近視眼的にしたほうがより興奮するんです。だから、セックスの時は自分の体を近くに寄せて常に密着した状態にします。ビデオのときは声を拾えないので、あれでも声を張り上げてるんです。でも二人っきりやプライベートの時は、耳元に唇を寄せてずっと囁きかけるような感じ。情報をなるべく遮断したほうが欲情が盛り上がりやすいんです。マンガ家さんは顔や足、胸をばぁーんと全面に書いて盛り上げてますよね。同じようなことを無意識にしていて、相手の男性をある種の催眠に近い状態へもっていこうとするんでしょうね。